青春博徒



「……暇だわ」

酒場と倉庫に挟まれた廊下を行き交う人の流れを眺めながら、ニナはため息混じりにそう呟いた。
こうして壁に背を預けている自分を気に留める者は居ない。
普段は馴染みの仲間と一緒なので寂しさを感じる事は少ない。しかし今はこうして1人でここに立っている。 別に彼らと喧嘩をしたわけではなく、皆それぞれ個人的な用事があるので散り散りになっているだけだ。 そう、自分以外は。何度も言うが、ニナは暇を持て余していた。
自分の部屋に戻れば、そこには閉じられた空間が待っている。外の雑音がかすかに聞こえる程度の、寂しい空間が。 そんな空しさを感じるくらいなら、こうして無数の人の流れに触れていたほうがいい。
1人きりの夕食はとっくに終えてしまっている。部屋に帰りたくないからと言って、 夕食時のピークで混雑しているレストランにいつまでも居座るわけにもいかなかった。

「珍しいな、お前が1人なんて」

その声と共に大きな影が足元に差した。顔を上げると、熊の愛称で知られる逞しい男がそこに居た。

「な〜んだ、ビクトールじゃないの」
「おいおい、ずいぶんな言い草じゃねえか」

ビクトールはそう言いながらも、機嫌を損ねた様子は無かった。 大雑把で少々がさつな雰囲気、しかし快活さとユーモアを持ち合わせた彼は宿星仲間から一般兵にまで、 非常に多くの者に好かれている。
実際、ビクトールに関する悪口は誰からも聞いた事が無い。
ニナも過去に、手作りの物をフリックに受け取ってもらえなかった時、何度も励まされた。 そういう事もあって、彼はこの軍の中でもニナが信頼を寄せている者の1人に数えられている。

「メグは?」
「新しいからくりのアイディアが浮かんだとかで、部屋に篭ってる」
「シーナは?」
「どっかでナンパでもしてるんじゃない?」
「……フリックは」
「あのね、そんなのこっちが聞きたいわよ」

最後のは愚問だったと気付いたのか、ビクトールは一瞬気まずそうな表情になった。 しかしフリックに逃げられるのは日常茶飯事なので、このくらいで落ち込んでいては身が持たない。

「要するに暇なのよ、何もする事が無くて」
「おっし、そんじゃあ俺が面白いところに連れて行ってやるよ」
「えっ、それってどこ?」
「まあ、大人の遊び場ってとこだな」
「ちょっと、それってまさか置屋じゃないでしょうね」
「あのなあ……そんなとこにお前と行ってどうすんだよ」

行くぞ、と言うとビクトールは先を歩き始める。
とにかくニナはその広い背中について行く事にした。




扉を開けると、そこは異世界だった。
兵舎にこんな部屋が存在していたなんて知らなかった。 個人の部屋にしては大きいなとは思っていたが、兵士達が大勢で休憩を取る場所くらいにしか考えておらず、 しかもその予想は全く外れていた。
部屋に入ったニナとビクトールを迎えたのは、子供が見たら泣いて逃げ出しそうなほど人相の悪い男達で、 皆が一斉にこちらへ視線を向けてきたので、さすがのニナも口元が引きつるのを感じた。

「……何なのよ、ここは」

男達に聞こえないように、ニナは小声でビクトールにそう尋ねる。

「やっぱり来たの初めてか? ここは見ての通り……」

充満する酒と煙草の匂い。あまり気分の良い空間では無かった。

「賭場だよ」

部屋の奥には1人の男が陣取っていた。
逆毛の金髪。口に咥えた煙草からは、細い紫煙が立ち昇っている。

「シロウ、今日こそたっぷり稼がせてもらうぜ」

ビクトールは前に進み出ると、部屋中に聞こえるように堂々と宣言した。

「さあ、それはどうかな?」

シロウと呼ばれた逆毛の男が不敵な笑みを浮かべる。その直後、彼とニナの目が合った。

「……ここは女子供の来るところじゃねえ、帰れ」

吐き捨てるようにシロウがそう言うと、ニナの頭の中で何かが切れた。

「何よ! それって差別じゃないの!?」

突然いがみ合うニナとシロウの間に、これもまた凶悪な顔つきの男が割り込んできた。 一体どんな修羅場をくぐり抜けてきたのか、その顔には右の頬から顎にかけて大きな傷跡が刻まれている。

「シロウの奴、この前あんたくらいの歳の女の子にたっぷり巻き上げられちまったもんだから、トラウマになってるのさ」

男はニナの耳元に近づくと、楽しげにそう囁いた。

「えーっ何それ! なっさけなーい!!」

先程のお返しとばかりに、ニナはシロウを指差しながら爆笑してやった。シロウの額の端あたりにくっきりと青筋が浮かび上がる。

「……ビクトールさんよ、そのうるさいガキはどこのどいつだ」
「ああ、ニナの事か?」

うるさいガキという部分を否定せずに話を進めるビクトールに多少の反感を覚えながらも、ニナは事の成り行きを見守る。

「こいつは俺の妹みたいなもんでね、ちょっと気は荒いが慣れりゃ可愛いもんだぜ」

ビクトールはそう言うと、ニナの頭を大きな手のひらでぐしゃぐしゃと撫でた。
妹みたいな存在。
別に嫌な気分にはならなかった。異性として特別に意識した事は無いが、 人を見る目に長けているビクトールにそういうふうに思われるのはむしろ光栄とも言える。
ふん、と面白くなさそうにシロウが鼻を鳴らす。自分から質問しておいて随分な反応だと密かにニナは思った。

「そろそろ始めるぞ」

向かい合って座るシロウとビクトール。張り詰める空気の中、シロウの振った3つのサイコロが白い器へと吸い込まれていった。




「あらしで3倍もらいだ」
「よっしゃ!」

先にサイコロを振ったシロウは目無しだった。 次にまわってきたビクトールの番で、器の中に転がったサイコロは5のゾロ目。最高の役だ。
ビクトールの手元には、先程賭けた金が3倍の額になって戻ってきた。
目の前で生々しく金が動くのを見て、ニナは不思議な高揚感を覚えた。 この勝負で大金を稼げたら、ずっと欲しかったアレやコレが買える。
物欲が止まらない。まさしく捕らぬ狸の皮算用だ。

「ねえビクトール、次は私にもやらせてよ」
「おっ、ニナもやってみるか?」

ビクトールがニナに場所を譲った途端、シロウが眉を吊り上げる。

「おいガキ、お前がやんのかあ? ま、せいぜいカモられて終わりだろうぜ」
「そんな事言ってられるのも今のうちよ!」

財布からいくらかの金を出すと、ニナはそれを器の傍らに置いた。
シロウが出したサイコロの目は4。あらしに頼らずに勝つには微妙な目だが、悩んでいる場合ではない。 思い切ってニナがサイコロを振ろうとした瞬間、

「ビクトール、ここに居たのか」

男達がひしめくむさ苦しい部屋に響いたその声に、ニナの全神経が敏感に反応した。
ああ、この感じはもしかすると……。

「フリックさん!」
「げっ、ニナ! お前まで居たのかよ!」
「私に会いに来てくれたなんて嬉しいです〜!」
「なんだフリック、ニナ目当てで来たのか?」
「違うっ! 俺は子供に興味は無い!」
「ひどーい、私は子供じゃありませんっ!」
「いやいや、ニナはまだ大人には早すぎるな」
「もーっ、ビクトールは黙ってなさいよっ!」

ニナは怒りまかせに、握っていたサイコロをビクトールに投げつける。 しかしそれは軽くかわされ、彼の後ろに居たシロウの額に命中した。
床に転がったサイコロが出した目は、全て1だった。

「……あらしで3倍払いだ」

賭場の雰囲気を散々荒らされ、シロウは切れる寸前だった。冗談なのか本気なのか、無茶苦茶な宣言をニナに突きつける。

「ええっちょっと待ってよ! 今のってアリなの!?」




結局、まともに勝負してもニナはあっさりと負けて、賭けた金はシロウに取られてしまった。賭博というのは非情な世界だ。
賭場を出たニナとビクトールは、2人並んで廊下を歩く。フリックはいつの間にか姿を消していた。再び逃げられてしまったのだ。

「1回きりで良かったのか?」
「そう言われてもねえ、早く切り上げないとお金がもたないわ」
「ま、それもそうだ」

16の少女が持つ金には限りがある。これ以上賭け事のために、軍から出た給金に手を付けるのは辛い。

「それにしても……私と同じ歳くらいの女の子が、ちんちろりんで荒稼ぎなんて。どこの誰かしら」
「相当ツキに恵まれてる奴だな。俺も是非あやかりたいもんだぜ」

先程それなりに稼いだ男が何を言う、という感じだが。多分それは1ポッチも勝てなかった自分の僻みだろう。
宿星を持つ少女達の中には、稀に見る強運の持ち主が何人か存在する。
最近、何故か急に金回りの良くなった友人は居るが……ちんちろりんで稼いだというはっきりとした根拠は無いので、 口には出さなかった。
彼女は収入があると、それを趣味だか生きがいだかと豪語するものにつぎ込んでは、すぐに金欠になってしまう。
レストランで時々デザートを頼まなくなるのは、明らかにダイエット目的ではない。

「あんた、これからどうするの?」
「今日の飲み代くらいは余裕で稼げたし、酒場にでも行くさ。ニナも来るか?」
「さ、酒場は遠慮しとくわ……」

未成年を酒場へ誘うのもどうかと思うが、賭場にまで堂々と連れて行くような男だ。
しかしそのおかげで保護者付きの社会勉強を楽しめたので、今日のところは良しとしておく。




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