永遠の恋人 「ちょっとクライブ、いつまで寝てるのよ!」 苛立ちを含んだ声を上げ、ニナは閉ざされている部屋の扉を何度もノックする。 いくら遠征から帰ってきた後とはいえ、昼近くまで疲れて寝ているような呑気な男ではない。そう、普段ならば。 扉の向こうは相変わらず沈黙が続いている。深いため息をついた後、制服のポケットから鍵を取り出した。 それはこの部屋の主から最近貰った合鍵で、決してニナが勝手に作ったものではない。 「もうっ、入るからね……本当に入っちゃうわよ!」 実はそれを使うのは今日が初めてだった。自分は鍵を渡されたのだから、部屋に入っても怒られる事は無いはずだ。 扉をゆっくりと開ける。いつ見ても簡素で、机と椅子とベッドがあるだけのただ寝るためだけの部屋。生活感が全く感じられない。 ベッドに腰掛けていたのは、1人の少年だった。 彼は多分10歳前後で、肩まで伸びた金髪を首の後ろで小さくまとめている。 深い緑色のTシャツは、少年の肘や腰を余裕で覆ってしまうほど大きい。色褪せたベージュのパンツの裾は何度も折り返されている。 しかしニナの目を引き付けたのは、少年が大事そうにその胸に抱えている物。精霊が宿っているという銃・シュトルムだった。 本来の持ち主の事を、ニナは知っている。 「あんた、誰?」 ニナが問うと、少年は顔を上げた。前髪の奥の大きな瞳がこちらに向けられる。それは、はっきりと不安の色を帯びていた。 「……クライブ」 少年が口にしたその名前に、ニナの目が驚きに見開かれた。 昼時のレストラン。 向かいの席では、先程の少年が美味そうにピラフを食べている。そんな様子を、ニナは頬杖をつきながら無言で眺めた。 最初はこの少年の事を泥棒かと思った。しかしクライブの部屋には鍵がかかっていて、しかもかなり上の階にある。 この本拠地の城壁は子供が容易く登れるような造りにはなっていない。 運良く登れたとしても、夜中でも厳重に見回りをしている兵士が黙っていないだろう。 彼が何らかの組織で特殊な訓練を受けているなら話は別だが。 テーブルにはシュトルムが立てかけられているが、外から見えないようにクライブの黒いローブで包まれていた。 それはニナの提案だった。 持ち主をすぐに特定できるような珍しい武器を、どこの誰とも知らない少年が持ち歩いていたら大変な騒ぎになってしまうからだ。 意地でもシュトルムを手放そうとしないこの少年は、自分の名前以外は何も語らない。 ニナに告げた名前すら、本名かどうかも怪しい。 少年の口元に飯粒が付いているのを見つけると、ニナは手を伸ばしてそれを取ってやる。 すると少年は、ニナの指先に付いた飯粒を素早く舐め取った。 慌てて手を引き戻すニナの頬はかすかに赤い。しかし少年の無邪気な笑顔を見ると、何故か怒る気にはなれなかった。 その笑顔も、あの名前も、何もかもが反則だと思った。 夕方近くになっても、クライブは帰ってこなかった。 ニナは少年を連れて本拠地を出ると、行く当ても無く歩いた。 こうして歩き回っていればクライブがどこからか帰ってくるかもしれない。そう思ったのだ。 少年はローブに包まれたシュトルムを片腕で抱えながら、もう片方の手でニナの手を握っている。 手も背丈も、ニナよりずっと小さい。男とはいえ、やっぱりまだ子供だ。 しばらく歩いていると、複数のモンスターに遭遇した。 この付近のモンスターは弱いので、攻撃魔法を1度唱えるだけですぐに殲滅させられる。 ニナの右手に宿る烈火の紋章が淡く光る。 その直後、少年はニナを護るかのようにモンスター達の前に立つと、シュトルムを構えた。黒いローブが彼の足元に落ちる。 「えっ、待っ……」 戸惑いを隠せないニナの手から、光が消えた。 シュトルムは、持ち主の手でしかその力を発揮しない。要するにクライブ以外の者は扱えないという事だ。 モンスターが目の前に迫る。ニナは焦って呪文を唱え直そうとしたが、それは少年の手元から上がった破裂音でかき消された。 舞い上がるモンスターの血飛沫、硝煙の匂い。 そして沈黙が少年とニナを包み込んだ。 約束の石版を辿る指が、天捷星の欄で止まった。その星を持つ者が死亡した場合、そこから名前は消される。 先の戦いで命を落とした、キバやナナミのように。残酷な現実を示しているようで辛い。 クライブの名前はまだ刻まれたままだった。彼が姿を消してからもう数時間は経っている。 以前ならば、長年追い続けているエルザという女性を探しに行ったのかと思うと納得できていたが、今はもう……。 「ねえ、あんた」 石版の前に立っているルックが、いつもの冷めた表情でニナに声をかけてきた。 「何よ」 「その子供さあ、どこから連れてきたわけ?」 ルックはそう言って、ニナの隣に居る少年を横目で見た。 「ど、どこだっていいじゃない」 まさか今朝、クライブの部屋に行ったらこの少年が居たとは言えない。 クライブしか扱えないはずのシュトルムでモンスターを撃った事も。 「あっそう……でも、なんか厄介な匂いがするんだよね」 「悪かったわねっ!」 ニナは少年の手を引いて、石版を離れた。 ただ事ではないような予感がするのは分かっている。わざわざ言われるまでもない。 それでもニナは、この手を離す事が出来ないでいた。 倉庫の前を通りかかると、酒場から数人の兵士が出てきた。皆ほろ酔い気味で、足取りがおぼつかない。 その中の1人が、ニナと手を繋いだ少年にぶつかりそうになったので、ニナは慌てて少年を自分のほうへと引き寄せた。 夜の酒場付近は酔っ払いが行き来しているという事を忘れていた。 酒の匂いを感じるだけで気分が悪くなるので足早にその場を去ろうとした時、酒場の扉が開いてフリックが出てきた。 彼はニナの姿を見て気まずそうな表情を浮かべる。 フリックはニナから目を逸らそうとする。少年はそれを察知したかのようなタイミングで、 シュトルムを覆っていたローブを払った。 露わになった銃身を見て、フリックの表情が驚きで凍りつく。 クライブが片時も離さなかった銃を、自分の所有物であるかのように持った少年。 廊下を照らすランプの光を受けた少年の瞳がフリックを見据える。まるで試すように、射るように。 物騒な雰囲気を感じ取ったニナは、フリックに謝りながら少年の背を押して立ち去った。 友人達から少年の事を散々突っ込まれて過ごしたレストランでの夕食後、眠そうな顔をした少年をどうしようかと思った。 クライブの部屋へ連れて行こうと考えたが、彼はニナの知っている本来のクライブではない。 名乗った名前と、シュトルムを扱える事だけがクライブと共通している、今日初めて逢ったばかりの小さな少年だ。 悩むニナの手を、少年が強く握った。お互いの視線が絡み合う。 どこにも行き場は無い、しかしこのまま放っておく事は出来なかった。 自分の部屋で制服を脱ぎ捨てたニナは、下着とブラウスだけの格好になってベッドに入った。 人に見せられるような姿ではないが、部屋に居るのは自分と少年だけなのであまり深く考えないようにした。 横に少年を招き入れると、部屋の明かりを消した。何分も経たないうちに少年の寝息が聞こえてきた。 姿を消したままのクライブは、一体どこに居るのだろう。 夕食前にも少年の手を引いて城の中を歩いてみたが、とうとう見つからなかった。 誰に訊ねても、クライブを見たという話は聞けずじまいだった。 彼の性格からして、銃やローブを置いて行くなんて信じられない事だ。 もしかしてこの少年がクライブなのでは、と思った。何かの拍子で子供になってしまったとか。 しかしそんな馬鹿な事があってもいいのだろうか。確かに面影があるような気はするが、あまりにも現実味が無さ過ぎる。 いくら魔法や不老不死の者すら存在するこの世界でも、まさか大人が子供になってしまうなんて……。 そんな事を考えていると、少年が寝返りを打った。 「……ニナ、まだ起きてる?」 「起きてるわよ」 「俺、怖い夢見た」 「どんな?」 「金髪で、顔に傷のある女の人を……俺が撃ち殺す夢」 ベッドの中、手探りで触れた少年の手は震えていた。 「手、握っててあげるから。ね?」 そう言って少年の手を握っていると、やがてそこから震えが消えた。 ……あの小さな村で起こった出来事を、ニナは一生忘れない。 クライブに撃たれて息を引き取ったエルザの顔は、安らぎに満ちていた。 長い年月をかけて追っていた逃亡者との決着を付け、クライブは執行人としてエルザの亡骸を葬った。 しかしその顔に浮かんでいたのは達成感や清々しさではなく、空しい喪失感だった。 クライブとエルザが昔どういう関係だったのか、詳しい事情をニナは知らない。 聞かされてもいないし、自分から聞く事も無かった。何となく、知らないほうがいいような気がしたのだ。 この戦争が終わったら、クライブは組織に戻るのだろう。ニナも長い間休学していたグリンヒルの学校へ戻らなければならない。 戦争がこのまま終わらなければいい、と心のどこかで願った事もあった。 戦いを終わらせるために、数々の犠牲を払った事実を知りながらも。 普通の学生と、組織に所属するガンナー。2人の立場は見事に違いすぎる。 戦争が終わった後のニナとクライブの人生は、きっと交わる事は無い。 最後の日、クライブはニナに別れも告げずに行ってしまいそうな気がした。そんな男を、どうしてこんなにも好きになったのか。 憧れていた人と気まずくなった時、1番近くに居たから? もしあの時、明らかに見込みが無くてもフリックが振り向いてくれるのを待ち続けていれば、違う未来が待っていたかもしれない。 学校へ戻った後、いつかフリックが迎えに来てくれる日をひたすら夢見続けるような未来が。 逆の選択をしたニナの未来は、そんな甘い夢を見る事すら許されなくなった。 薄闇の中、閉じているニナの目蓋に柔らかいものが触れた。それは次に頬へと動いていく。 そして唇へと辿り着いた時、かすかに涙の味がした。 窓から差し込む陽光がニナを照らし、目覚めを誘う。 昨夜から握っていた手がやけに大きいような気がした。感触で分かる。確か自分はあの少年の手を……。 目を開けた先にあったのは、何故だか懐かしさを感じさせる男の顔だった。 「クライブ!?」 思わず叫んでしまうと、目の前の男も眠りから覚めてこちらを見た。 「ど、どうしてあんたがここに!? 今までどこに……っていうかあの子は、子供は!?」 「子供……何の事だ?」 普段よりも低く掠れた声が、短く言葉を紡いだ。 傍らにニナが居ても動揺する気配を見せぬまま、クライブはベッドから身を起こす。 そんな彼の様子を見て、昨日の少年は幻だったのだろうかと思った。ここにはもう、あの少年は居ない。 昨夜までは一緒に寝ていたはずなのに。 「おいニナ、これはお前の仕業か?」 その問いかけに反応して顔を上げるとクライブが、黒いローブに包まれたシュトルムを引き出していた。 ニナの胸が大きく鼓動を刻む。 今ここで見ている光景は夢なのか、それとも現実なのか。 曖昧な思考を巡らせながら、ニナは再び眠気に襲われていった。 |