見せかけ握手



同盟軍の本拠地であるツバサ城には、毎日多くの人間が出入りしている。
様々な施設が充実しているせいもあり、軍の者以外にも一般の大人や子供で賑わい、温かい雰囲気で満たされていた。
一般人の間でも、宿星を持って活躍しているツバサ軍の面々は人気がある。
強い、見栄えが良い、親しみやすい……と、 好かれる理由はそれぞれだ。その中でも軍主と肩を並べるほど支持されているのは、言わずと知れた美青年3人組だった。 彼らに熱を上げる少女達は握手をねだったり手紙を渡したりと、かなり積極的に自身をアピールしている。 握手を求められて、にこやかに対応するカミュー、赤面するマイクロトフ、そしてもう1人は……。


***


「私フリックさんのファンなんです、握手してください!」

夕食後の酒場で、ニナがそう言うとフリックは飲んでいた酒を噴出しそうになった。
彼の隣で飲んでいたビクトールは、そんな様子を面白がって見物している。
今日はいつもと迫り方が違うだけで、ニナがフリックに猛烈なアタックを仕掛けているのは 城の住人達にとって、すでにお馴染みの光景だ。今更誰も驚かない。

「いいじゃねえか。握手のひとつやふたつ、減るもんじゃあるまいし」
「お前っ、他人事だと思って……!」

フリックがむきになってビクトールを睨みつけるが、ニナは構わず迫り続けた。

「そうですよー、ほんの少しだけ手を握ってくれるだけでいいんですから!」
「ニナ、俺で良けりゃ何度でも握手してやるぜ」
「フリックさんじゃなきゃ、イヤ!」

頬を膨らませて拗ねるニナを見ても、ビクトールは機嫌を損ねた様子もなく苦笑して、再びグラスに口を付けた。 どうやら軽い冗談だったらしい。彼は年頃の少女達よりも、屈強な兵士達の熱い支持を集めている。

「お前はどうしてそこまで、俺にこだわるんだ?」
「それは運命だからです!」

根拠のはっきりしない、勢いだけにも思える返事にフリックは呆れたようなため息を吐き出す。 過去に何度も言われているのか、それともたった今初めて聞いたのか。
どちらにしろ、フリックにはあまり良い印象を与えなかったようだった。

「訳の分からないことを……とにかく、握手はしない」

素っ気なく言うと、フリックはカウンターの方へ向き直った。
拒否をされたニナは呆然とした表情で立ち尽くしている。 今まで、フリックにこれほどはっきりと断わられた経験はなかったのかもしれない。
ニナの目にうっすらと涙が滲む。それを皮切りに、酒場の雰囲気がおかしくなった。
それまで冷やかし半分で眺めていた他の客達は、フリックの背中に向かって何かを囁き合っている。
刺々しい空気に耐えられなくなったのか、フリックは大きな音を立てて椅子から立ち上がると、ニナに向かって手を差し出した。 押し黙ったまま、冷めた表情で。
ニナは目元を拭い、フリックとその手を交互に見つめた後、弱々しく微笑みながら手を伸ばす。
しかしお互いの手が触れることはなかった。
待ち望んだ温もりを求めて伸ばした手は突然進み出てきたクライブに掴まれ、驚いたらしいニナは小さな悲鳴を上げた。 ビクトールやフリックを始め、周囲に居た客達は皆、唐突な展開に騒然となる。 おそらく誰も予想すらしていなかっただろう。
クライブはニナを連れて酒場を出ると、倉庫の前で手を離す。

「……どうして邪魔するの!?」

クライブの手を振り払ったニナが、怒声を上げた。

「哀れな奴だな」
「え?」
「あんな扱いを受けてまで、手を握られたかったのか」
「だって……フリックさんが私に触れてくれること自体、めったにないから。 他の子達みたいに、ファンだから握手してくださいってお願いしたの。それなのに……」

胸元で固く握り締めたニナの手に、涙が落ちた。それは次々に溢れて止まらない。
出会えたのは運命だと言っては、毎日大騒ぎしているニナの気持ちが 本気であればあるほど、フリックはそれを必死で避けようとする。
戦いの最中に失った恋人を想い続けるフリックは、ニナに余計な期待を持たせたくなかったのだ。 しかしニナはそれを分かっていない。クライブの勝手な予想だが、きっと的外れではない。
フリックに手を差し出された瞬間のニナを見て、一部始終を見ていたクライブは空しさを覚えた。 まるですがるように手を伸ばしたニナの姿が、今でも目に焼き付いている。
あんな形で手を握られて嬉しいのか。あれは本当に、ニナが望んだ握手なのか。
そう思っているうちに、黙って見ていられなくなった。
憧れの男に握手をしてもらえるチャンスを潰したクライブを、ニナは相当憎んでいるに違いない。
それでもクライブは、ニナをあの場から連れ出したことを悔やんではいなかった。

「私はただ、フリックさんに触れてほしかった。一瞬だけでも繋がりたかった」

人の流れが絶えない倉庫前で、切実なニナの言葉はクライブの胸を鋭く貫いた。

「俺が憎いか」

答えは分かっている、それでも訊かずにはいられない。
予想通りの言葉が返ってくるかと思っていたが、

「誰かを憎むとか嫌うとか、今はそんな気分にはなれないの」

しばらく放っておいてほしいと呟くと、ニナは走り去って行った。
クライブはその姿を、1歩も動かずに見つめる。遠ざかって見えなくなるまで。
憎まれるよりも、殴られるよりも、辛い状態で取り残されてしまった。
例え見せ掛けだけの、心のない握手でも満たされてしまうほどニナはフリックを求めている。 手が繋がる直前で連れ去った結果、それを思い知らされた。
もしかすると自分は単に、ニナとフリックが握手をするのを見たくなかっただけなのか、という考えが浮かんできた。
個人的な嫉妬や我侭で、ニナの幸せを奪ってしまったのではないか。彼女を哀れむ気持ちを言い訳にして、盾にしながら。
憎い、嫌いだとはっきり言われたほうがまだ良かった。そう言われてもおかしくないことをしてしまったのだから。 そのほうがある意味、救われたかもしれない。

ニナが熱心に追いかけているのは、別の男で。
決して険悪ではないが、特別な好意を寄せてくるわけでもない。
易々とは手に入らない相手を好きになった自分には、楽な道など存在しないのだ。




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