すばらしい人生



「あなた、ボタンが取れかかってるわよ」

メグやシーナと共に城の廊下を歩いていたニナは、洗濯物が入った籠を抱えた1人の女性に声をかけられた。 初対面なので名前は分からないが、同盟軍に所属している一般兵の奥さんか何かだろう。
年齢は30代半ばくらい。長い髪を首の後ろでひとつにまとめている。 どこか知的な雰囲気は、同郷のエミリアに似ていた。
女性の言葉を受けて改めて自分の服を確認すると、制服の袖についているボタンが今にも取れて落ちそうになっていた。 毎回この服のまま戦闘に出ているので、知らない間にところどころ汚れたりほつれたりしている。それはもう日常茶飯事だ。 汚れたら洗えばいいし、修復不可能なほど破れても替えの制服を持ってきているので問題は無い。

「もし良ければ、私が付け直しましょうか?」

女性の突然の申し出に驚き、申し訳無いので断ろうかと思っていたが。

「ニナ、やってもらえば? あんた裁縫苦手でしょ」
「お前じゃ付け直すのに何時間もかかりそうだもんな〜」

からかうようなメグとシーナの言葉に、ニナの中で何かが切れた。

「ちょっと2人共、うるさいわよ!」




……しかし結局、女性の好意に甘えてしまった。
宿屋のヒルダから裁縫道具を借りた女性とニナは、城の外にあるベンチへ向かった。そこに2人並んで腰掛ける。
女性は慣れた手つきで、制服のボタンを付け直していく。
シーナの指摘通り、針に糸を通すだけで何分もかかるニナとは全然違う。
ニナはその作業を眺めながら、無意識にベンチに両足の裏を乗せて膝を抱えた。それを見た女性は手を止める。

「お行儀が悪いわ。女の子なんだから、ちゃんと座って」
「……す、すみませんっ」

女性の厳しい口調に動揺したニナは、慌てて地面に足を下ろすと膝を合わせて座り直した。
そんな様子を見た女性の表情が、わずかに緩む。

「あら、素直なのね」
「い、いえ、そんな事は……」

年上の男にはいつも強気で反抗し放題だが、年上の女性から受けるお叱りの言葉には何故か弱い。
再びボタン付けを始めた女性の手を見ると、少し荒れていた。指のところどころがうっすらと赤い。 それらが全て、家事によるものだと何となく分かった。
洗濯籠にはたくさんの衣類が入っている。 今日のように寒い日の水仕事はかなり辛いはずだ。
例え剣を持たなくても、魔法を唱えなくても、皆それぞれの役割をこなして生きているのだ。楽な道など存在しない。
疲れて帰ってきた大切な人を、温かい食事と笑顔で迎える。
将来の事などまだ想像付かないが、そんな人生も悪くはないと思った。
これを冒険好きのメグに話したらきっと、『旦那の帰りを家でおとなしく待ってるなんて、そんな退屈な人生は御免だわ』と言って笑うに違いないが。
生い立ちも性格も食べ物の好みも将来設計も全く違う、ニナとメグ。2人が女の幸せについて論議すれば、意見が両極端に分かれるのは当然だ。
何年も旅を続けていたメグに比べると、ニナが知っている世界はあまりにも狭い。 同年代の少年少女達が詰め込まれた、狭い囲みの中で学べるものには限りがある。 退屈で変わり映えのしない学校生活で、ただ漠然と時間を浪費していただけだった。
しかし現在の、同盟軍での日々は刺激に満ちていた。グリンヒルに居た頃の、ハイランド軍との攻防戦で身に付いた経験は、ここで生かされている。 この戦争が終わる頃にはきっと、自分はひとまわりくらいは成長しているに違いない。そう思いたい。
ボタン付けの終わった制服をニナに手渡すと、女性はベンチから立ち上がった。そして洗濯籠を抱えて歩き出そうとする。

「あのっ、ありがとうございました!」

ニナがそう言うと女性は微笑み、こちらに会釈をして去って行く。歩いている時もその背筋は真っ直ぐに伸びていた。




「あらシーナ、服の裾がほつれてるわよ」

翌日の昼過ぎ、兵舎をうろついていたシーナは、いつのまにか背後に居たニナに声をかけられた。

「ああ、こんなの別にいいよ」
「良くないわよ。私がちゃんと直してあげるってば」
「お、おい! 服引っ張るなっつーの!」
「痛い目に遭いたくなかったら早く脱いで脱いで」

携帯用の小さな裁縫セットを取り出し、ニナは針の先をシーナの目の前でちらつかせる。青ざめるシーナ。 助けを呼ぼうにも自分達の1番近くに居るのは、テーブルで銃の手入れをしているクライブのみ。 これだけ大騒ぎしていても、まるっきり気付かない様子で作業をしている。それとも見て見ぬ振りをしているのか。
必死でアイコンタクトを送った甲斐あってか、クライブはようやく椅子から立ち上がるとこちらへ向かってきた。 そしてニナに顔を近づけると、

「ニナ」
「何よ」
「わざわざ脱がせる事は無い、こいつなら着たままで充分だろう」

シーナは耳を疑った。悪い冗談はやめて欲しい。自分はクライブに恨みを買うような事をした覚えは無いのに。 しかし最近はニナに手懐けられているという妙な噂が流れているので、とてつもなく嫌な予感がした。

「あー、それもそうね!」

ニナは明るい声で高らかに言うと、あらかじめ糸を通してあった針をシーナの服の裾に突き立てた。
凄まじいシーナの悲鳴が上がる中、テーブルに戻ったクライブは再び銃の手入れを始めた。何事も無かったかのように。




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