言い出せない気持ち ニナには苦手な魔法は無い。 一般的によく使われる紋章の類とはほぼ全て相性が良いので、戦闘中には攻撃にも回復にも転じる事が出来る。 魔力だけなら同年代の少女達の中では高い部類に入っているはずだ。 同盟軍に参加するまでは普通の学生だった彼女を軽く見る者も存在するが、 だからと言っていつまでも粗末な扱いをされ続けるのは本意ではない。 体力には自信は無いが、それを補えるものこそニナが持つ強い魔法の力だった。 グレッグミンスターへと続く道は険しく遠い。果てしなく深い森が行く手を遮る。 シュウから命じられたとある用でそこへ向かう事になった時、直々に指名されたのはクライブとニナだった。 別にその人選に深い意味があるわけではない。軍主達と共にグレッグミンスターへ行き来した回数が最も多い2人が選ばれただけだ。 予想通り口数の乏しいクライブと共にほぼ無言の旅をしていると、突然複数のモンスターに遭遇した。 最初は難なく追い払っていたが、戦闘を重ねるにつれて疲れを感じた時に見せた一瞬の隙を狙って、 ニナは背後からモンスターに襲われた。それを庇ったクライブはニナの代わりに重傷を負ってしまったのだ。 攻撃よりもまずはクライブの手当てが先だと考えたニナは、まともに歩けない彼を支えながらその場を離れた。 追いかけてこようとしたモンスター達を、弱い魔法で目くらましするのも忘れずに。 草の上に投げ出されているかのように横たわるクライブを、ニナが放つ水の魔法が少しずつ癒していく。 しかし思っていた以上に多く血を失っているらしい。次第に温度を失いつつある身体を前にして、じりじりと焦りを感じる。 間に合うだろうか。 彼が流す血の匂いを嗅ぎ付けたモンスター達にいつ見つかってもおかしくないこの状況の中、頼れるのは自分の魔法と集中力だけだ。 限界を超えた魔法の力を使う事は、自らの体力すらも削り取っていくのは分かっている。しかしそれをためらっている余裕は無い。 自分が油断をしたせいでクライブに怪我をさせてしまった。今、恩を返せる方法といえばこうして傷の治療をする事しかない。 額に汗を滲ませるニナを、クライブが薄目を開けて見つめた。 「無理をするな……俺はもういい、から」 「あまり喋らないで。あんたはとにかく身体を休めて」 ニナがそう言うとクライブは再び口を閉ざした。 横腹に大きく開いている傷に触れるか触れないかの位置で両手をかざし、力を送り込む。淡い光が傷を包んで癒していく。 その作業は時間が経つにつれ確実にニナから体力を奪っていった。 やがてふさがりかけた傷を見て、ニナの表情が緩む。このまま治療を行っていけば大丈夫だろう。 しかし幸運は長くは続かない。ふいに辺りを見回したニナは背筋が凍りつくのを感じた。 先程のモンスター達がいつの間にか2人を取り囲んでいたのだ。 クライブの治療が終わっていないので、今すぐ攻撃に転じる事は出来ない。 鎧のようなものを纏ったモンスターが襲いかかってきたが、2人が居る場所の数センチ手前のところでその動きが止まった。 まるで何かに攻撃を遮られているかのように。 ニナはクライブの片手に何かが握られている事に気付いた。それは守りの天蓋の札だった。 魔法の札にも、起動させるにはある程度の力を消費する。もちろん今のクライブのような怪我人がそれを使えばどうなるか、 ニナにもすぐに分かった。 「あんた何してるの、すぐにやめて!」 「……先に言っておくが、俺は魔法があまり得意じゃない。だからこの札の効き目も長くは持たないはずだ」 クライブの言う通り、2人を包んでいる天蓋は現れて間もないのに早くも消えかけている。 札を起動させていたのがニナだったらもっと長く効果が続いたはずだが、クライブが札の力で作ってくれた この天蓋のおかげで、先程のモンスターの攻撃を避ける事が出来たのだ。 「だから今のうちに、お前だけでも逃げろ」 「な……何言ってるの!? そんな事出来るはずないじゃない!」 「お前にはもう魔力が残ってないだろう? 奴らは俺がここで引き付けておくから、先にグレッグミンスターへ行け」 無理をして札を起動させたせいか、せっかくふさがりかけていたクライブの傷が開き、そこから血が滲んできた。 その顔が苦痛に歪む。こんな状態の彼を置いて行けるわけがない。 「嫌よ、絶対に離れない! あんたの言う事なんか聞かない!」 「……ニナ!」 はっきりと怒気を感じさせる声で呼ばれて、ニナは身体を竦ませる。 それでもニナは、1人で逃げようとはしなかった。 今度は自分が彼を護る番だ。 やがて天蓋が消え、再びモンスターが襲いかかってきた。 ニナは悲鳴を上げながら、動けないクライブを庇うように彼に覆い被さる。 その直後、2人を囲んでいたモンスター達が黒い何かに取り込まれ、跡形も無く消滅した。 あっという間の出来事だった。一体何が起こったのかとニナが顔を上げると、 1人の少年がこちらへ歩いてくるのが見えた。頭を覆っている緑色の布のようなものが、風に煽られ揺れている。 少年はニナの前で立ち止まり、手を差し出してきた。 「君、大丈夫?」 その手には、禍々しい形をした黒い紋章が刻まれていた。 突然現れた少年の手を借りながら、ニナはクライブをグレッグミンスターにある宿屋へ連れて行った。 彼を医者に診せると、とりあえず2、3日は安静にする事を勧められた。ニナの水の魔法が効いたのか、 生死に関わる状態だけは免れたようだ。 ベッドで眠り続けるクライブを残して部屋を出ると、先程の少年が廊下でニナを迎えた。 「さっきはありがとう。あなたのおかげで助かったわ」 「……君、あの人と付き合ってるの?」 「えっ」 無邪気な表情で訊ねられ、ニナは驚いて言葉に詰まってしまう。 「そ、そんな、別にそういう関係じゃないわ。ただの仲間同士っていうか……それに彼は多分、私の事なんて何とも思ってないもの」 「そうかなあ?」 少年は壁に背を預けると腕を組み、何かを考えるような仕草を見せた。 「いくらひどい怪我をしてたって、クライブは女の子に身を任せるような人じゃないよ。少なくとも、僕の知ってる彼ならね」 「クライブの事、知ってるの!?」 「まあ、最後に会ったのは3年も前だけど」 そう言って微笑みを浮かべたたけで、少年はクライブとの関係についてはそれ以上は何も語ろうとしない。 「もしかするとクライブは、君に心を許しているんじゃないのかな」 「でも私、結局足を引っ張っちゃったし……あの人が心を許してくれる理由なんか無いわ」 「君の魔法が無かったら、クライブは死んでいたかもしれない」 弱気になるニナに、少年は一転して真剣な表情になった。 大量の血を失い、まさしく瀕死の状態だったクライブの姿を思い出す。今日ほど自分に魔法が使えた事を感謝した日は無かった。 彼が死ぬだなんて考えられない。考えたくない。 こんな気持ちになったのは一体いつからだったのか。 あの満月の夜、屋上でフリックに拒絶された時、ニナの中で何かが崩れて粉々になった。 待ち続けて一体何が変わるというのだろう。今はもう同じ世界には居ないオデッサへの気持ちを聞いて分かった。 たとえ何年経っても、ニナとフリックの関係は平行線のままおそらく何も変わりはしないと。 何故か様々な場面で関わる機会が増えてきたクライブの存在が、 空虚になったニナの心を支配するまでに大した時間はかからなかった。 ニナが我に返った頃には、少年は挨拶も無しにどこかへと姿を消していた。そういえば名前すら聞いていないままだった。 クライブを知っているらしいが、以前にどこかで関わった事があったのだろうか。 何となくクライブの様子が気になって、ニナは再び部屋のドアを開ける。 「気が付いた?」 精一杯の笑顔を見せつつニナは、ゆっくりとした動作で起き上がった彼に声をかけた。 おそらく永遠に言い出せない気持ちを胸の奥に閉じ込めたままで。 |