混迷という名の泥の中で



「レストランの新メニュー、ニナの好きそうなケーキあったわよ」
「うっそ本当に!? 行く行く!」

メグとニナは城の廊下を歩きながら、いつも通りお喋りに花を咲かせていた。
仲の良い2人はセットで扱われることが多く、しかも常に騒がしいので遠征時は一緒のパーティーには入れないというのが ツバサ達の暗黙の了解となっていた。ニナも何となくそれに気付いていたが、行動を共にすると無駄なお喋りが多くなるのは事実なので 反論できずにいる。
2人とも自分の感情を素直に出すところは共通しているものの、 メグは面倒見の良い世話好きタイプで、ニナのようにあれこれ問題を抱える人物を見ると放っておけない。
そしてニナは自分のことで手一杯で、基本的に視野が狭い。未来なんて実際に来てみないと分からない、今が楽しければそれで満足という 典型的な刹那主義だ。そのせいで、後先考えず思うがままに暴走してフリックに避けられるような、 取り返しのつかない間違いを犯した。気付いた時にはもう手遅れ、という計画性の無さはもはや病気と言ってもいい。
親友モードから母親モードに切り替わったメグに(ニナも驚くほど、それぞれの顔を上手く使い分けている)厳しく指摘されても、 喉元を過ぎれば熱さを忘れるニナは結局、同じ間違いを繰り返してはメグを呆れさせてしまうのだ。
心配してくれているのは分かっている。それでも、自分の中にすっかり定着してしまった考え方はなかなか変えられない。
はしゃぎながらレストランへ向かうメグとニナの前に、1人の男が現れた。
年頃の少女達を目の前にしても、愛想良く挨拶をするわけでもない。ただ、2人の行く先を塞ぐように立っているだけだ。
男に対してニナは眉をひそめ、メグは成り行きを興味深そうに眺めている。

「どうしたのクライブ、こんなところで」
「明日から、遠征に出る」

軍主であるツバサのご指名を受けて、クライブは遠征メンバーに選ばれたらしい。
大して珍しくもない。通常の戦闘要員として軍に身を置いているなら、誰が選ばれてもおかしくないことだ。

「いつ戻れるかは、分からない」

クライブは、真っ直ぐにニナを見ていた。
淡々とした口調だけでは読み取れない、何かの感情が込められているのが分かる。
この男はいつの間に、そんな表情をこちらへ向けてくるようになったのだろう。
目を合わせているうちに、心のどこかが頼りなく揺れた。
しかしニナは何事もなかったかのように、必死に平静を装ってみせる。

「そっか……待ってるから、無理しない程度に頑張ってね」

ニナはそう言って、励ますようにクライブの肩を叩いた。
そして彼の横を通り過ぎて、先を歩く。
僅かな沈黙の後、残してきたメグが背中へ非難の言葉を向けてきたが、あえて聞こえない振りをし続ける。 やがて走って追いついてきたメグに、腕を強く掴まれた。

「ニナ、ちょっと待ちなさい」

メグの振る舞いから、母親モードの匂いを感じ取ったニナの表情が警戒に満ちた。
これから指摘されるかもしれないことが、たまらなく重荷に感じる。

「さっきのあんたの態度、どういうこと?」
「どういう、って」
「いくらなんでも冷たいわよ。遠征で、いつ戻ってこれるか分からないって言ってたのに、心配じゃないの?」
「それはまあ、心配だけど……仲間として」
「あの様子からは、そんな気持ちなんて全然感じられなかった」
「だって仕方ないでしょ。私が引き止めてみたってどうにかなるものじゃないわ」
「引き止めろなんて言ってない。何か足りないものがあるんじゃないの、ってことよ」

レストランの入口付近で起こったメグとニナの言い争いに、 そばを通り過ぎる者達は一体何事かという調子で視線を向けてくる。

「だってメグ、前に言ってたじゃない。しつこくするのは良くないって」
「確かに言ったけど、あんたは極端すぎるのよ」
「あまりにもしつこいと、あいつもフリックさんみたいに逃げちゃうわ」
「フリックさんの時とは、状況が違うでしょ。 さっきのクライブさん、あんたにもっと何か言って欲しかったはずよ。気付かなかった?」

クライブとは関わりの薄いメグが、どうしてそんなことまで分かるのか。
あの時のニナには余裕などなく、とにかく自分の気持ちを落ち着けることで精一杯だった。 何かを訴えかけてくるようなクライブの真っ直ぐな視線を感じると、途端に平静ではいられなくなる。 具体的に何を伝えたいのかが曖昧なので、余計にそう思った。
目は口ほどに物を言う。図書館の本に載っていた、そんな言葉を思い出す。
しかし、言いたいことがあるなら口に出してほしい。自分はメグのように、人の気持ちを敏感に読み取れるわけではないのだから。 それが悔しくて、どこか腹立たしい。
胸に生まれた怒りの衝動が、目の前に居る親友を傷付ける武器になった。
ニナは容赦なく、それを振り下ろす。

「……ったの」
「え?」
「いつからメグは、クライブの心が読めるようになったの! いっそのこと、からくり師じゃなくて超能力者にでも」

言葉の続きは、頬に走った痛みで全て吹き飛んだ。
メグが、ニナを平手で殴ったのだ。

「何言っても分からないようだから、教えてあげるわ。 クライブさんがあんたから逃げるんじゃなくて、あんたがクライブさんから逃げてるのよ!!」

熱く痛む頬を押さえながら、ニナは呆然とメグの顔を見る。思わず怯んでしまいそうなほど、厳しい表情をしていた。

「私が……逃げてる?」
「自分のことばかりじゃなくて、たまには人の気持ちも考えたらどうなの」

メグはこちらを睨んだ後、それ以上何も言わずに走り去って行く。
多分メグは、ニナの心が不安定になっているのを知っている。故郷の解放前夜、城の屋上でフリックに振られて以来、 ニナはそれまでの勢いを失いつつあった。
ひたすら待っていれば、いつかフリックの心はこちらへ傾くかもしれない。 それは誰かが保証してくれるわけではないが、それでも僅かな望みに縋りたかった。
何の迷いもなく、一途に想い続けていられる強さ。それは自分にもあるのだとニナはずっと信じていた。信じていたのに。
誰かを強く想い過ぎて疲れるなんて、そんな気持ちがあることすらも知らずにいた。

少しでも気を抜けば粉々に崩れてしまいそうになるこの心をどうすればいいの、と胸の奥から問いかけてみても、 答えを出してくれる存在はもうどこにもなかった。




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