涙が綺麗に流れない



ニナがその両手に力を込めると、いつも変化に乏しい男の顔に苦しげな表情が浮かんだ。
いくら女の力とはいえ、首を絞められれば平気ではいられないだろう。
これでも戦闘メンバーの端くれなのだ。主に魔法専門だが。
しかし男は、放せともやめろとも言わない。ニナが疲れてやめるのを待っているのか。 そうだとしたら非常に気に食わない。
こちらが疲れるのが先か、それとも男の息が途絶えるのが先か。
よく晴れた空の下、人通りの少ない図書館裏でこんな光景が繰り広げられているのを知る者は居ない。まさに本人達以外は。
そもそも何がどうなってこうなったのか。それはほんの些細な事だった。
いつものようにフリックを追っていたニナは、結局いつものように逃げられてしまった。押しが強すぎるからだとか、 弱気になるような反省はしない。立ち止まって深く考えた末に導き出されるものに気付きたくなかったのだ。
都合の悪い現実から目を逸らして、ほんのわずかな希望に縋って。
フリックを見失って呆然としていた自分を、図書館裏の壁に背を預けながら見ている男が居た。
その目には、好奇も蔑みも浮かんでいなかった。 空とか木とか、ごく当たり前に存在する景色を眺めているような目で、ニナを見ていた。

……言いたい事があるなら、言えばいいじゃない。
……涼しい顔して。私の事、本当はバカにしてるんでしょう?

そんなニナの問いにも、男は何も答えなかった。
ひとりでわめいているだけの自分が恥ずかしい。これではまるで、無関係であるこの男に八つ当たりしているみたいだ。
感情的になったニナは男を押し倒し、そこへ馬乗りになる。黒いフードに隠されていた首を両手で捕らえ、力を入れた。

そして今に至る。

男は抵抗すらしなかった。ふたりの腕力の差は明らかで、 戦い慣れた男の力をもってすれば、ニナを突き飛ばしてやめさせる事くらい簡単に出来るはずなのに。
何が狙いなのか、全く分からない。
限界が近づいているのか、男は微かな呻き声を上げた。
ニナは我に返って、首を絞める手から力を抜く。

「殺したいなら、殺せばいい」

低い声が、やっと言葉を紡いだ。

「だが俺を殺しても、何も変わらん」

その言葉が胸を真っ直ぐに射抜いて、ニナは男の首から手を離した。
確かにその通りだと思った。ここでこの男を絞め殺しても、フリックが振り向いてくれるわけではない。
男はニナの感情を甘んじて受け止め、身を持ってそれを分からせたのだ。

ニナは男の身体に乗ったまま、小さな子供のように声を上げて泣いた。




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