傷心 軍師の策が成功し、王国軍の支配下にあったグリンヒルが解放された。 自分には直接関係のないことだったが、そこは普段から気にかけている少女・ニナの故郷でもあるので、 クライブは不思議な安堵感を覚えていた。 本人はあまり表に出さなかったとはいえ、ニナが王国軍を恨んでいたのを密かに知っていた。 王国兵を見る時と普段の時では、目つきが明らかに違っていたからだ。 ニナとはこの同盟軍の本拠地で初めて顔を合わせたが、関わる機会が多いせいで物の考えや話し方、癖までも把握していた。 逆に、解放軍時代からの長い付き合いでも関わりが薄かったり、まともに話すらしたことがなかったりと、そういう者も大勢居る。 元から自分は積極的に周囲と打ち解けようとする性格ではないので、 ニナのように強い存在感を持つ人間ではない限り印象に残らず、当然ながら興味も湧かない。 人との付き合いで重要なのは、単なる年月の長さではなく密度なのだと、ニナと過ごしていくうちに少しずつ実感していた。 故郷が救われて喜んでいるかと思えば、ニナは城中を忙しく走り回っていた。フリックを追いかけているのではなく、 軍議で使う資料の整理など、シュウから次々に頼まれる雑用をこなしているのだ。 そんなニナの様子が、まるで何かを振り切ろうとしているように見えるのは気のせいだろうか。 いつもの図書館裏へ行くとニナが、壁にもたれかかったまま寝息を立てていた。 なるべく音を立てないように、隣に腰を下ろす。 こんなに近くでその存在を感じたのは、本当に久しぶりだった。 ニナはもうひとつの顔である軍師付参謀として、多忙な日々を送っている。切れ者や口の達者な者が揃う軍師周辺で、 よく頑張っていると思う。見た目は軽そうな今時の少女だが、自分の考えをしっかり持っている。そういうところもいい。 あの計算高いシュウが本人の希望だけで軍役を決めるとは思えないので、 ニナの中にある何かを見込んで軍師付参謀に加えたのだろう。 少しずつ空が夕焼け色に染まっていくのを黙って眺めていると、 すぐ隣から草が擦れる音がした。眠っていたニナが目を覚ましたのだ。 「……あら、あんたいつからここに?」 「さっき来たばかりだ」 「寝るつもりなかったんだけど……今日の仕事も終わったし、そろそろ部屋に戻るわ」 「疲れてるなら、もう少し休んでいけばいい」 腰を浮かせたニナを見て、クライブは咄嗟に出た言葉で引き止めた。 休みたいのなら、ベッドで眠れる自分の部屋のほうがいいに決まっている。 それでも久しぶりに会えたニナとすぐに別れてしまうのは惜しい。 改めて隣に座り直したニナが怪訝そうな表情を向けてきた。 「私が疲れてるって、どうして分かるの?」 「見ていれば分かる。最近ずっと走り回っているからな」 そう言ってからクライブは後悔した。これでは自分が常にニナを見ているのだと、本人に告白したようなものだ。 嘘ではないが、本心を知られるわけにはいかなかった。 クライブの密かな焦りをよそに、ニナは俯いて深いため息を落とす。 その横顔を見ると、肌が少し荒れていることに気付いた。あまり寝ていないのだろうか。 「覚えなきゃいけないこと、たくさんあるの。だから根詰めすぎてるのかも」 以前のニナなら、仕事とプライベートをうまく両立させていたはずだ。睡眠不足で肌が荒れるほど無理はしていなかった。 それなのに、今になって何故こんな状態になっているのか。 そんな時、道場の出入り口からフリックが姿を見せた。そばには相棒のビクトールも居て、談笑しながら 図書館のほうへ向かって歩いてくる。 フリックが近くに来ているのに、いつもなら大騒ぎして追いかけるはずのニナは唇を噛んだまま動かない。 膝を抱えて、何かに耐えているかのようだ。 「追わないのか」 「今日はそんな気分じゃないのよ」 「珍しいな、お前がフリックを見逃すなんて」 「うるさいわね、ほっといて!」 クライブの言葉が相当気に障ったのか、ニナは急に声を荒げた。凄まじい剣幕でこちらを睨んでくる。 しかしすぐに口を閉ざし、再び俯いた。 もしかすると、フリックと何かあったのだろうか。気になるところだが、 しつこく訊ねてもニナを更に怒らせるだけなので、あえて追求しないことにした。 ニナはかすかに唇を開いては、閉じる。 それを何度か繰り返した後、 「……私ね、フリックさんに振られちゃったみたい」 その一言を紡いだニナの目はどこか虚ろだった。生気を抜かれたかのように。 いつもの明るい声色ではなかった。今まで聞いたことすらない暗い口調に、クライブは返す言葉を失う。 今のニナに何を言ってやればいいのか、分からなかった。 「私はフリックさんのことが好きで、ちょっとでも気にかけてもらいたくて、こっちを振り向いてもらいたくて必死だった。 自分のやり方が間違ってるだなんて、思いもしなかったわ。フリックさんを見るとね、胸が熱くなってどうしようもなくて、 気持ちが抑えられなくなるの。ここに来てから……ううん、グリンヒルで初めて会った時から、ずっとそんな感じだった」 グリンヒルの出来事は実際に見ていないので知らないが、この城でのニナは毎日のようにフリックを追い回して大騒ぎしていた。 ひたすら押しまくることしかできない、騒がしい娘だとクライブは思った。最初のうちは。 あんな強引なやり方では、大抵の相手は引いてしまうだろう。今はともかく、ニナのことを分かっていないうちに同じ目に遭ったら、 自分もフリックのように逃げていたかもしれない。 「私が何を言っても何を訊いても、お前には関係ないって言われ続けて。フリックさんのことをもっと知りたいだけだったのに、 私はそれすらも許してもらえなかった。それが辛くて悲しくて、ひどいこと言ってフリックさんを怒らせちゃった……」 はぐらかすなら、もう少しうまい言い方をすれば良いものを。お前には関係ないの一点張りでは、ニナも納得できなくて当然だ。 どうしても相手にされない苛立ちが募り、フリックに当り散らすニナの姿が頭に浮かんできてクライブはため息をついた。 ニナが言った「ひどいこと」の度合いにもよるが、所詮は子供の言うことだとして受け流せるならまだしも、 普段の様子からしてフリックがそこまでの余裕がある男とは思えない。 どちらにしてもフリックはニナの話をまともに聞いてやるつもりはないらしい。 「もうこの世界にいないあの人よりも、生きてる私のほうが有利だって勝手に思い込んでたの。 でもそれは間違いだった。きっとフリックさんは、オデッサさんのことを一生忘れないわ。 そのくらい大切な存在なのよ。他の誰も、心に割り込めないくらいに。 それでも私、フリックさんを諦められない……」 ひととおり話し終えるとニナは顔を上げ、城の屋上辺りに視線を移した。 「お前はまだ若いんだ、そのうち他の男が」 「他の男って誰よ、私はフリックさんじゃなきゃイヤ! 待つだけならいいって言ってくれたんだから……フリックさん以上の人が、 一体どこに居るっていうのよ!?」 ニナはなりふり構わず叫びながら、クライブの両肩を掴んで強く揺さぶった。 全身が、凍りつくような感覚にとらわれた。ニナは本当に、フリックしか見えていないのだ。 冷静さを欠いた言葉の奔流が、鋭い刃となってクライブの胸に突き刺さる。 「教えてよ、ねえ……」 クライブの肩を掴んでいたニナは、急に崩れそうになった自らの身体を支えるように、地面に両手をついた。 吐き出す息が震えている。 こんな時、自分はニナに何をしてやれるだろう。気の利いた言葉が見つからない。 たった数ヶ月という短い期間でニナの全てを分かったつもりになっていたのは、単なる思い上がりだったのか。 しかし、このまま放っておくことはできない。 ニナは目に浮かんだ涙を慌てて拭うと、こちらに背を向けた。 僅かな沈黙の後、クライブはニナの後ろ姿へ声をかける。 「……フリックの前では、泣けなかったんだろう?」 金色の巻き髪を揺らし、ニナが振り向いた。赤みを帯びた目と視線が絡み合う。 「明日からいつも通りのお前に戻れるなら、気が済むまでここで泣いていけ。俺が全部、受け止めてやる」 「クライブ……?」 「ここであったことは、誰にも言わない。俺とお前だけの……」 秘密だ、と言い終わらないうちにニナがクライブの身体にしがみついてきた。ずっと押さえていたものが溢れ出したかのように、 ニナは声を上げて泣いた。 頭と背を抱いて引き寄せると、驚いたらしいニナの肩が小さく跳ねる。抵抗する様子が全くないのをいいことに、抱き締めている腕に 少しだけ力を込めた。 自分は今、ニナの役に立てているだろうか? この瞬間だけでも必要とされているのなら、もうそれでいいと思った。 |