気まぐれな君を支配する 図書館の裏へ行くと、クライブが壁に背を預けて座っていた。 こちらの存在には気付いていない。何やら考えごとをしているようなので、ニナも隣に腰を下ろして持っていた軍略の本を広げた。 次の集まりの時までに読んでおくようにとシュウから言われているので、ちょうどいい。 前にエミリアから借りた恋愛小説とは違い、出だしからかなり難しいことが書かれていた。それでも読めなくはない。 長年グリンヒルの学校へ通っていたおかげで、字の読み書きは完璧に出来る。 放課後に友人達と流行り物の話に夢中になっていても、一目惚れした男を追いかけていても、 やるべきことはきちんとやっていた。 遊び回っているせいで成績が下がったと、親や教師からあれこれうるさく言われるのは御免だった。 要するに、どちらも上手くこなせばいいだけの話だ。そうすれば誰からも何も言われない。 ニナが十数年にも渡る学校生活で学んだのは、字の読み書きや紋章学だけではなく、 そういった公私のバランスの取り方も含まれていた。 本を読み進めているうちに、すぐそばから規則正しい息づかいが聞こえてきた。耳を澄まさないと分からないくらいの、 微かな音だった。 「……寝てるの?」 問いかけてみても返答はなかった。常に鋭さを宿した瞳は、柔らかく閉ざされている。 口数は少ないが、こちらの質問に対して理由もなく無視をしない男だと分かっているので、やはり寝ているんだろうなと思った。 本の続きを読もうとして再び手元に視線を落とすと、突然右肩に重みを感じた。 身長差のせいで普段は見えない、黒いフードに包まれた頭が目の前にあった。 重い。それでも不思議と嫌な気分ではない。 何だかもう、本どころではなくなってしまった。押し当てられた感覚や、穏やかな息遣いが集中力を奪い去ってしまう。 そうしているうちニナは、以前クラスメートから聞いた話を思い出した。 頭を撫でてみて、それを嫌がる男は女を支配するのが好きで、嫌がらずに受け入れたり心地良さそうにする男は 女に支配されるのが好きだという。 根拠は何だと訊きたくなるような、下世話な話だった。 そんなことで相手の嗜好が分かるなら、世の中の恋人達は誰も苦労していない。 ニナの学校の友人は早く大人の世界を見たい、知りたいという背伸びした少女が多い。実は自分もそのひとりだった。 どこで仕入れてきたのか分からないような色っぽい話で、仲間内で毎日のように盛り上がった。 寮は規則が厳しく、学校ではひたすら勉強ばかり。そんな中での、一種の清涼剤のようなものだった。 今は遠ざかっている学校生活が、やけに懐かしく感じられる。 王国軍の手が伸びてくるまでは、楽しく平和な日々を送っていたのだ。 黒いフードを無意識にそっと払い落とすと、金色の髪が露わになる。 それは陽射しを受けて、ニナの髪と同じ色の輝きを放っていた。 まるで何かを封じているかのような、赤いベルトや金具に目を移す。 こんな大げさなものまで付けて、どうして自分の身体を頑なに隠そうとするのだろう。 ニナとクライブの付き合いは、決して長いものではない。解放軍時代の彼はどんなふうだったのか。過去に何があったのか。 空しいほど、ニナは何も知らない。無理に聞き出そうとは思わなかった。フリックを追い回していた頃に重ねた失敗を、 わざわざ繰り返したくはない。 今のクライブとの関係はニナの一目惚れで始まったのではなく、様々な出来事を経ていつの間にか繋がっていた。 出会った当時はフリック一筋だったので、その頃はクライブに対して特別な興味はなかった。何故か、関わる機会が多かっただけで。 風に揺れる髪に触れ、頭を撫でてみた。起こさないように、優しく触れるように。 しかしクライブは、呼吸をわずかに乱しただけだった。クラスメートから聞いた話を試すには、彼が起きていなければ 全く意味はない。相手は結局ニナを支配したいのかされたいのか、それは別にどちらでも良かった。 ただ、クライブはどこかプライドの高そうなイメージがあったので、起きている時に頭を撫でたら嫌がりそうな気がする。 払ったフードを寝ているうちに元に戻そうとした時、クライブが身を起こした。 「……昔を思い出した」 「昔?」 「俺が子供の頃の話だ。お前がしたように、頭を」 淡々とした語りを聞きながらニナは、クライブにも子供の頃があったんだなと思った。 おかしなことに、全く想像出来なかった。今のようにあまり笑わなかったのか、 表情豊かで、誰からも愛されるような子供だったのか。 子供時代のクライブの頭を撫でていたのは、彼を大切に思っていた身近な人間に違いない。両親か兄弟か、それとも……。 そこまで考えて、重要なことに気付いた。 「あんた、いつから起きてたの?」 「起きていたも何も、元から寝ていない」 「うそっ」 「俺が起きていると、不都合でもあるのか」 反論出来ずにニナが黙っていると、肩を抱かれた。そのまま引き寄せられて、胸元に顔を押し付けるような形になる。 すぐ目の先で、金具が擦れるのが見えた。 「火薬臭い……」 「お前は文句ばかり言う」 「嫌な奴だって思ってるでしょ」 「別に」 もう慣れた、と呟くとクライブはニナの頭を一度だけ撫でた。 今、ニナの心を支配しているのは他の誰でもない。 愛想の欠片もない、この男だけだ。 |