静寂に沈む



ビッキーの居る大鏡の前ではニナとクライブ以外の遠征メンバーがすでに揃っていて、 2人の姿を見つけたツバサが苦い顔をしながら前に出てきた。

「遅いよ2人とも、どこに居たの?」
「いや、それがね……」

遠征準備のために寄った防具屋で色々と目移りしてしまい、会計が遅くなったことをニナが告げようとすると、 並んで歩いていたクライブがこちらを見ながら口を開く。

「ああ、これの買い物が長くてな。毎回いい迷惑だ」
「これって誰のことよ、人を物扱いしないでよね!」

怒り心頭のニナをよそに、クライブはさっさと先を歩いて行ってしまった。
2人のやり取りにツバサは呆れたようにため息をつき、そばに居たビクトールが苦笑いをしながらその肩を軽く叩いた。
ちょうど入れ替わるように、何者かが背中に体当たりをしてくる。 思わず前によろめいたニナの両肩を掴んで引き寄せ、耳元へ興奮気味に囁きかけてきたのは親友のメグだった。 いっそ気持ち良いほど、遠慮の欠片もない。

「ちょっとちょっとニナってば、今の何なの!?」
「そうよね、納得行かないわよあんな呼ばれ方」
「見せ付けてくれるじゃない」
「はっ?」
「あれだのこれだの、かなり親しい仲じゃないとそういう呼び方しないでしょ」
「普通に失礼だと思うんだけど」
「ニナは男心が全然分かってないわね。クライブさんも苦労するわけだ!」

同じ歳の少女であるはずのメグはそう言って、けらけらと笑った。
そしてやけに短いスカートの裾を揺らしながら去って行く。 今回の遠征メンバーには入っていないメグは、どうやらニナを冷やかすためだけに近づいてきたようだ。


***


「ニナは、クライブさんと仲がいいのかい?」

遠征先にある宿屋の階段で、後ろからハスキーな声で呼びかけられる。
振り返ると声の主であるアイリが、落ち着いた足取りでひとつずつ段を上ってニナに追いついてくるのが見えた。
細長い形のピアスがランプの灯りを受けて、揺れながら輝く。
今回の遠征メンバーで同年代の少女はアイリだけだった。 普段からあまり感情を表に出さないせいか、クールな印象を感じて何となく近寄り難かったが、 誰かに想いを寄せていることを知ってからは親近感を覚え、たまに言葉を交わすようになったのだ。
アイリの恋の相手は分からない。それでも片想いをしているという共通点が、友情を育てるきっかけとなった。 いつか、アイリの恋がうまくいけばいいと願う。
一方のニナは、とうとう想いを叶えることはできなかった。
あの満月の夜に、フリック本人の言葉で審判が下されたのだ。

「どうして?」
「さっきも、一緒に鏡の前に来てたからさ」
「防具屋で偶然会っただけよ。約束とかしてたわけじゃないわ」
「フリックさんは? 最近、あんたが追いかけているところ見かけないけど」
「……」
「……ごめん」

ニナの沈黙で何かを感じたのか、それ以上アイリは訊ねてこなかった。
自分は今、平静を装えているだろうか? 男に振られた悲劇のヒロインのように思われるのは嫌だった。 アイリはこの件を言いふらすような口の軽い人間ではないと信じられるが、 気持ちを抑えていないと周囲にもばれて噂に尾ひれがついた挙句、きっとフリックにも迷惑がかかる。
クライブとは、フリックへ差し入れする菓子を試食させたり、図書館の裏でよく会話をしていたせいか以前から噂になっていた。 いい雰囲気だからこの際クライブに乗りかえれば、と勧めてきた者も居た。 それでもニナはひたすらフリックに夢中だったので、聞く耳を持たなかった。 周囲からはどんな関係に見えるかは知らないが、他人は無関心そうなあのクライブが自分に気があるとは思えない。 しかも、ニナがフリックに惚れていることは承知のはずなので、それを前提で好きになるなら相当の変わり者だ。
最上段から、小さな軋みが聞こえてきた。
見上げた先には、闇色のローブを纏ったクライブの姿があった。いつも通りの無表情だが、別に怒っているわけではないことを ニナは知っている。
必要以上に、深く関わりすぎたのかもしれない。フリックに振られた件でニナの涙を見た、唯一の他人。 学校の友人達はもちろん、親友のメグにもぶつけたことのない素の感情や叫びを、この男には何度も晒してきた。
引き直そうとした境界線は、いつの間にか曖昧になって溶けていった。 ニナが後ろに下がった分だけ、クライブは前へ踏み込んでくるのだ。
今日の防具屋でも用が済んだら先に行けばいいものを、ニナの買い物が終わるまでクライブは入口付近に立って待っていた。 そのせいで無関係の彼まで軍主のツバサに苦々しい顔を向けられ、ニナはいたたまれない気分になった。
基本的にツバサは人一倍、時間に厳しい。軍師付参謀という立場上、ツバサと絡む機会の多いニナはそれをよく分かっている。 下手をすると今後にも響きかねない。
先に部屋へ戻るよ、と言い残してアイリは早足気味に階段を上りクライブの横を通り過ぎていく。
気を遣ったつもりなのだろうが、むしろ今は居てくれたほうが有り難かった。
古びた宿屋の階段で、面と向かって2人きり。細々としたランプの灯りだけが辺りを橙色に照らし、とっくに仲間は寝静まっているのか、 誰も廊下に出てこない。
クライブは真っ直ぐにこちらを見ている。この状況はまずい、とニナは思った。
これまでの経験上、絶対に逃がさないと断言しているような目だった。

「早く上がって来い」
「……」
「嫌なら俺がそっちへ行く」
「ま、待って! 私が上がればいいんでしょ、もう!」

半ばむきになりながら、ニナは階段を上って行く。
1段、2段とクライブに近づくにつれて、この身にも馴染んだ硝煙の匂いが濃くなる。 今更どこへも逃げるつもりはないのに、こちらの動きを常に目で追ってくるせいで、監視されている犯罪者のような気分になった。
最後の段を上りきると、クライブと向かい合わせになって立つ。
身長差があるため、ニナのほうが少し見上げるような格好になった。 先程よりもお互いの距離が近くなったとはいえ、こういうところはどうしても埋めようがない。

「前から気になってたこと、ちょっと訊いてもいいかしら?」
「何だ」
「ずっと私を慰めてくれたり励ましてくれたりしてるけど、あんたがそこまで親切にしてくれる理由を知りたいの」

胸によみがえる、色々な出来事。言葉に出したことはないが、必要な時にはいつもそばに居てくれることを感謝していた。 しかし自分は、そんなクライブに何も返せていないままだ。与えられるばかりではいけないと思いながらも。

「……どうしても」
「え?」
「どうしても、知りたいのか?」

ためらっているようにも聞こえる静かな声が、ニナに問いかけてくる。
言うほうも聞くほうも、それなりの覚悟がいる理由なのかと思わず構えてしまう。
もし聞いたら、ただ事では済まないような予感がした。
2人の間に張り詰めた緊張の糸は、ニナが左右に首を振った瞬間にほどけていった。

「そうだ。知らないほうが、いいこともある」

どこか謎めいた言葉とニナをその場に残し、クライブは背を向けると1人で階段を下りて行った。
これで、本当に良かったのだろうか?
真実は深い静寂の底へ沈んでしまい、ニナだけの力ではもう届かなくなっていた。




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