君に捧げるLove Song 歌姫という呼び名に恥じぬほど、その少女の歌声は多くの人間の心を魅了していた。 抱きしめたら折れてしまいそうなほど華奢な身体、白い肌。守ってあげたいと思わせるには充分な雰囲気だった。 更に控えめで謙虚な美少女ときている。自分とは何もかも違いすぎて、思わず嫉妬さえ覚えてしまいそうだ。 そんな複雑な気持ちを抱えながら、ニナは今日もステージの客席へ足を運んでしまうのだった。 「ニナさん」 レストランに入ろうとしたところを、誰かに呼び止められる。澄んだ優しい声。振り返ってみて言葉を失った。 いつも客席から見ていたあの少女が目の前に居たからだ。 「……アンネリー」 ニナは自分を呼び止めた少女の名を呼ぶ。途切れなく行き交う人々の中、アンネリーの姿だけが何故か特別なもののように感じた。 「少しだけ、お時間いただけませんか?」 全く予想すらしていなかったその誘いの言葉に、ニナは頷くしかなかった。 「すみません、急に呼び止めてしまって。ニナさんいつも忙しそうだから、 声をかけるタイミングが掴めなくて……お部屋にもあまりいらっしゃらないし」 そう言いながらアンネリーは、レストランの向かいの席で本当にすまなそうな顔をしていた。 暇を持て余すのが嫌いなニナは、夜に寝る時以外は部屋を空ける事がほとんどだった。 色々な場所でメグやシーナと他愛も無い話で盛り上がったり、カレンのところへ踊りに行ったり、 以前ならフリックを追いかけて城中を駆け回ったり。よほどニナの行動を把握している親しい仲でなければ、 常に移動を繰り返す自分を捕まえるのは困難だろう。しかし今は偶然にも何も予定が無く、それを幸運に思った。 興味はあったが何となく声をかけにくかった相手が、向こうから来てくれたのだ。断る理由は何も無い。 「別に構わないわよ。ところで私に何か用?」 「あ、はい。あの……ニナさん、いつも私の歌を聴きにきてくれていますよね」 いつも客席に居る人間のうちのひとりとしか認識されていないと思っていたのに。 アンネリーはニナの事をちゃんと気に留めてくれていて嬉しかった。 まあ、いつも客席の1番前を陣取っているので嫌でも目立っているだけかもしれないが。 「だからニナさんは、歌がお好きなのかなと思って」 歌が好き、というかアンネリーの歌声が好きなだけだ。グリンヒルの学校では友人達と時々お遊び程度に歌っていたが、 お世辞にもニナは歌が上手いとは言えない。せめて人並み程度のレベルになれたら、といつも思う。 しかしニナはアンネリーに、自分は音痴だとは言いたくなかったので、「うん、まあ」などと曖昧な返事をしてしまった。 それが間違いだった。アンネリーの表情が明るくなり、テーブルの向こうから身を乗り出してきた。 なんだか妙な展開になりそうな予感がして、ニナは苦笑いを浮かべた。 ステージの裏にある部屋は、思っていたよりも広かった。 ここはアンネリー達やカレンがステージに上がる前に衣装や楽器などの準備をする部屋だ。 今はアンネリーとニナ以外は誰も居ない。ニナはここで今、アンネリーのために歌っていた。 目を輝かせながら「あなたの歌が聴きたいんです」と頼まれてしまっては断れるはずもなく。 別に大勢の前で歌うわけではないからと自分に言い聞かせて腹を括ったのだ。 しかし出せる音域が人より狭いので、どうしてもほとんど同じ音程になってしまう。 劇の台詞で言うなら、棒読みと同じような状態だった。皆を魅了し続ける歌姫の前で披露するには、あまりにも情けない有様だ。 アンネリーの持ち歌の中でニナが1番好きな歌。アンネリーは穏やかな表情でニナの歌を聴いている。 内心では、もしかしたら呆れているかもしれない。やがてニナが歌を終えると、アンネリーが顔を上げて唇を開いた。 これから発せられるであろう言葉が怖い。聴かなければ良かったと言われても無理はない出来だったので。 「ニナさんは歌詞をしっかりと発音するから、すごく聞き取りやすくて良かったです。 それに今の歌、私も大好きなので歌ってもらえて嬉しかったです」 ニナの頬が熱くなった。詞を覚えてしまうほど何度も聞いた大好きな歌だから、せめてアンネリーの前では上手く歌いたかったのに。 それは叶わなくて、行き場の無い苛立ちがニナを襲った。 「お世辞なんかいいから、下手ならそう言ってよ」 「……え?」 「私、自分が音痴だって自覚してるもの。だから今更何言われても気にしたりしないわ」 「ニ、ニナさん……」 「本当は私、歌いたくなんかなかった」 そう言うとニナは、アンネリーを置いて部屋を飛び出した。ひどい事を言ってしまった。しかしもう後戻りは出来ない。 ひたすら走っていると、酒場の前辺りを黒づくめの人間が歩いているのが見えた。 それが誰かなど遠目からでもすぐに分かったが、変に意識する心境ではなかった。 向こうも自分の事など気にしていないだろうから。やがて距離が近づいて、ニナはその人物のそばを横切った瞬間、 突然片腕を掴まれた。 「何があった」 抑揚の無い声がニナに問う。 「……別に何も」 「それなら、どうして泣いている」 そう指摘されてニナは、自分が涙を流している事に気付いた。胸が痛い。 部屋を立ち去る直前に見たアンネリーの表情は、明らかに傷ついていた。決して悲しませるつもりは無かったのに。 いくら謝っても謝りきれない。 ニナは振り返り、その人物……銃を抱えた無愛想な男と向かい合った。 2人の横を通り過ぎていく者達は、滅多に見ない珍しい組み合わせの上、片方が泣いているという意味深な状況に、 それぞれ好奇などが入り混じった視線を向けてくる。男はニナの背をそっと押すと、人の少ない場所へと誘導した。 図書館の裏手から見える景色は、夜に訪れた時とは違う表情を見せた。 少し離れた場所にある湖、豊かな木々、緑の匂いを運んでくる風。ここに居るだけで心がゆったりと癒されていくような気がした。 ニナは図書館の壁に背を預けて腰を下ろすと、隣に立っている男にアンネリーとの件を全て話した。 「ひねくれているのにも程があるな、お前は」 「……うん」 「アンネリーはお前の歌を誉めたんだろう。余計に深読みする必要がどこにある」 「それは、そうだけど」 「お前の歌がどの程度のものかは知らんが、勝手に卑屈になっているだけじゃないのか?」 「でも、私は」 「このままでいいのかどうか、よく考えるんだな」 男はそう言うとどこかへ歩いて行ってしまった。普段は無口なあの男にしては言葉数が多かった事に気付いてニナは苦笑した。 「ありがとう……クライブ」 その日の夕方、アンネリー達の楽団がステージで演奏するらしいのでニナもそこへ足を運んだ。 今回は人が多かったため最前列の席ではなく、入り口の近くに立って開演を待つ。 このステージが終わったらアンネリーに会って謝る予定だ。先程のクライブの言葉を受けて、このままではいけないと思った。 ステージに登場したアンネリー達にたくさんの客達の拍手が向けられる。 やがて演奏が始まりアンネリーも歌いだしたが、何度か歌詞を間違えた上、その声は時折震えていた。 客席のところどころから、小さなざわめきが聞こえてくる。 もし彼女の不調が自分のせいだとしたら、このまま黙って見ているだけで良いのだろうか? 時間が経つにつれて痛々しくなっていくアンネリーの様子に、ニナはついに我慢しきれなくなった。 人ごみをかき分け、ステージがよく見える最前列へ出る。 「アンネリー、頑張って!」 ニナの叫びに、ステージの上に立っているアンネリーが驚いた顔でこちらを見た。客席中の視線がニナに集まる。 「さっきはごめんね、私……アンネリーみたいに上手く歌えなかったのが悔しくて、情けなくて、だから」 「ニナさん……」 泣きそうな顔で必死に言葉を続けるニナに、アンネリーは柔らかく微笑みを浮かべ、 そしてステージの上からニナに向かって手を伸ばす。 「次の1曲だけ、ここで私と一緒に歌ってもらえますか?」 「……えっ、でも」 誘ってくれるのは嬉しいが、こんなに大勢を前にして歌える自信は無かったので、 ニナは素直にアンネリーの申し出を受けられずにいると、突然誰かに背中を押された。 その勢いで身体が前に進み、差し出された手を取ってしまった。 ニナがステージに上がると同時に、アルバートとピコが次の曲の演奏を始める。 耳に馴染んだそれは、昼間にニナがアンネリーの前で披露した歌のもので、大切な人への気持ちを描いた温かく静かな曲だった。 演奏はニナの声質に合わせて、いつもよりわずかにキーが低くなっている。客席から湧き上がった拍手の中、ニナは息を吸い込んだ。 先程背中を押した手に、何となく覚えがあるような気がしてならない。あの大きな手の感触に。 もしかしたらこの客席の中に居るかもしれないひとりの男に捧げるように、勇気を出して歌い始めた。 楽団が全ての演奏を終えた後、たくさんの客達の間をすり抜けていく黒づくめの男をニナは追いかけ、廊下でその背に声をかけた。 「私、アンネリーと仲直りできたの!」 「……そうか」 男は珍しく表情を緩め、更にもう一言付け加えた。 「歌なんて結局、楽しく歌えればそれでいいんじゃないのか」 |