純情賭博 ニナが夜の兵舎を歩いていると、開けっ放しになっていた扉の向こうが騒がしい事に気付いた。 この扉から向こうには賭場がある。ニナも過去に1度入ったが、どう見ても人相の悪い男達がひしめき合う異世界だった。 その時は自分の他にも連れが居たので入れたものの、1人ではどうにも……という具合だ。 怖い、というよりは居心地が悪い。部屋の隅々にまで煙草、そしてニナの嫌いな酒の匂いが充満しているから。 その匂いはニナの心の奥底に閉じ込めた、良くない思い出ばかりを引き出してくる。 昼夜問わず、酒臭い息を吐き出しながら罵り合うグリンヒル市民とミューズ兵の姿を。 満たされない欲が生み出した醜く浅ましい光景を。 ハイランドの策略によって、内部から脆く崩れていく故郷を。 だから夜の酒場にも近づかない。 「それにしても、運の悪い野郎だぜ」 「ありゃあ完全にツキに見放されてるな、向いてねえよ、あいつ」 立ち去ろうとしたが、そんな会話が聞こえてきて足を止める。 運の悪い男といえば、何人か心当たりがあった。しかしそれらの誰もが賭け事とは縁遠い人間ばかりなので、全く見当がつかない。 どうやら今、皆に注目されている男は1のゾロ目や1・2・3の並び数字を何度も出して負け続けているらしい。 ちんちろりんのルールは当然知っているが、1のゾロ目まで出続けるのは正直きつい。 適当なところで切り上げないと後々大変な事になる。 男達の話を聞いているうちに、そこまで運が悪い男というのがどんな人間か、興味がわいてしまった。 自分も決して強運とは言えないが、その男に比べればまだマシと言える。 ニナは強面の男達の間をすり抜けて、賭場の奥辺りに出た。 賭場の主であるシロウの向かいには、1人の男が片膝を立てて座っていた。 インパクトの強すぎるその後ろ姿だけでも誰なのか分かってしまい、ニナは目眩を覚えた。 まさかこの男が賭け事をするなんて。彼は誰もが認めるほどの、不運の持ち主なのに。 ニナは男の背後から近寄り、その肩を掴んだ。振り向いた顔は、恐ろしく不機嫌だった。しかも今日は格別に。 「ここで何してるのよ、クライブ」 「……見れば分かるだろう」 確かに見れば分かる。賭場に来て、やる事と言えばひとつしかない。しかしそれはニナの望んでいた答えではなかった。 相変わらず言葉が足りない男だと思う。 「久しぶりだな、グリンヒルの嬢ちゃん。もしかしてこいつ、あんたの男か?」 「ち、ちちち違うわよ!」 シロウの問いに、ニナは慌てて否定をした。 ニナの答えに不満があるのか、クライブは口を閉ざしたまま眉根を寄せた。 言いたい事があるならはっきり言えばいい。表情だけで読み取れる情報には限りがある。 彼に対して、もっと喋れだの笑えだのと注文を付ける気は無いが、腹の底に何かを隠しているような態度が勘に触る時がある。 メグやビクトールなどの解放戦争からの気心知れたメンバーなら、クライブの事をもう少し長い目で見てやれるだろう。 「まあ、どっちでもいいさ……ところでクライブさん、そろそろ金が尽きてきた頃じゃねえか?」 そう言うシロウの膝元には、クライブのものと思しき金があった。きちんと数えたわけではないが、 およそ10万ポッチはありそうだ。 「まだやりたいって言うなら、俺が金貸してやってもいいぜ。ただし、その銃を担保にしてな」 シロウの言葉に、クライブは傍らに置いていた銃に視線を送る。 まさか、とニナは思った。誰にも触れさせないほど大事にしているそれを、賭け事の担保にするつもりなのだろうか。 しかしその予感は外れ、クライブは懐から何かを取り出してニナに差し出す。見覚えのある、銀色の鍵だった。 「俺の部屋に行って、もうひとつの財布を取って来てくれ。財布の場所は分かるな?」 ……ここまで負けていながら、まだやるつもりだ。 一体何が、そこまでクライブを駆り立てるのか。全然分からない。 「もういい加減にして! 大人なんだから、引き際くらい分かってよ!」 クライブとシロウがニナを見た。事の成り行きを見守っていた男達も静まり返る。 そんなニナの叫びも空しく、クライブは首を横に振った。 「まだ、やめるわけにはいかない」 酒と煙草の匂いにやられて、ニナは苛立っていた。クライブの言葉はそんな状態に油を注ぐ結果となった。 ニナは何も言わずクライブの横に座る。そしてポケットから財布を出し、いくらかの金をシロウの前に叩き付けた。 「クライブが負けた分のお金、私が全部取り返すわ」 シロウとニナの目が合う。睨み合っているようなその状態の後、シロウは口元に笑いを刻みながらニナにサイコロをを手渡してきた。 「ニナ!」 咎めるようなクライブの声が名前を呼ぶ。 「大丈夫……きっと、大丈夫だから」 まるで自分に言い聞かせるように呟くと、ニナはサイコロを器の中へと投げ入れた。 空になった自分の財布を手に、ニナは涙が出そうになるのを必死で堪えた。 結局、人並み程度の運しか持たない自分にクライブのフォローが務まるはずがなかった。これからどうなるのだろう。 今度こそ銃を担保にすると言い出すかもしれない。それが嫌で、なけなしの運を信じて勝負に出たのに。 「もう終わりかい、嬢ちゃん」 降ってきたシロウの声が非情なものに聞こえる。肩に置かれた手に反応して顔を上げると、クライブがニナを見つめていた。 静かな眼差しで。 「帰るぞ」 その言葉にニナは頷くと、クライブに支えられながら立ち上がろうとした……その時。 「ちょっとニナ! あんた人を何時間待たせる気なのよ!」 人垣の中から上がった、慣れ親しんだその声。 頭の上でまとめた栗色の髪を振り乱しながら、メグが何の遠慮も無く賭場へ乗り込んできた。 彼女の姿を見たシロウは、飲んでいた酒を勢いよく吹きだした。口を開いたまま固まり、呆然としている。 「こんなところで何して……って、どうしたの!?」 張り詰めていたものが緩んで涙を浮かべたニナはメグに抱き付くと、声を上げて泣き出した。 「クライブさん……あなたが付いていながら、ニナを泣かせるなんて」 「ち、違うのメグ!」 ニナの背を抱くメグがクライブを睨んでいるのに気付いて、ニナは慌てて叫ぶ。そして全ての事情を話した。 「シ・ロ・ウさ〜ん」 名を呼びつつ微笑みを浮かべるメグに、シロウの肩が跳ねた。 「この前私が勝った時のお金さあ、まだ全部貰ってなかったよね?」 「あ、いや、それは……」 話によるとメグは持ち前の強運(更にラッキーリングでドーピング済み)で、ちんちろりんで勝ち続けてかなりの大金を稼いでいた。 あまりにも金額が多すぎるため、その時の金をシロウは分割してメグに渡しているらしい。 早い話、シロウはメグに頭が上がらない立場という事だ。 「とりあえず今日の分の支払いはいいからさ、ニナとクライブさんから巻き上げたお金、返してあげてくれる?」 「はあ? そんな事できるわけが」 「また借金増やされたいの?」 凄みのある声でメグに言われて、シロウはがっくりと肩を落とした。 ……その後、ニナとクライブは戻ってきた金でメグに遅めの夕食を奢った。 めったに揃わないメンツの3人に、レストランの客達は面食らっていたが。 「どうしてあんな無茶したのよ」 メグと別れた後、ニナはため息混じりにクライブに問いかける。 こちらから挑んだ勝負で自滅した挙句、無関係のメグまで巻き込んでしまった。これで何も思わないほうがおかしい。 「お前が負けた分の金を、取り返すつもりだった」 「私の?」 一瞬何の事か分からなかったが、思い出した。 この前ビクトールと2人で賭場へ行ってちんちろりんをやった時、ニナはあっさりと負けて賭けていた金をシロウに取られた。 しかしそれはほんの少額で、社会勉強代としては安いものだと思って気にしていなかった。 その件を軽い気持ちでクライブに話した記憶がある。それがまずかったのか。 クライブが賭博に手を出すなんて普通なら有り得ない、と去り際にメグが言っていた。 あれほどの運の悪さならいくらなんでも自覚しているだろうし、不利な勝負にわざわざ自分から飛び込むような真似をするほど愚かな男だとは思えない。 だからクライブには余程の事情があったに違いないと考えたメグは、2人が賭けた金を全て返せという無茶な要求をしたのだ。強い立場にものを言わせて。 「あんたって見かけによらず、結構突っ走るタイプなのね」 「うるさい」 それだけ言うと、クライブは早足気味に廊下を歩いて行く。 ニナは突然早まった歩調に合わせようと、必死で後を追った。 もう賭け事だけは勘弁だ、と思いながら。 |