余裕のないキス



ある暑い夏の日。
ニナは城の廊下を小走りで進んで行く。両手で大切そうに持っているのは、紙で出来た蓋付きの小さなカップ。 外へ出た瞬間、強い日差しが襲ってきた。これはもう、急がなくては間に合わない。 ニナはただひたすら、目的の場所を目指して走った。
今の時間、図書館の裏には心地よい日陰になっていた。ニナはそこへ到着すると、壁に背を預けて腰を下ろす。 そしてカップの蓋を開けてみた。

「なんとか間に合ったみたいね」

カップの中には、バニラのアイスクリームが入っていた。
スプーンで突いてみると表面が少し柔らかくなっていたが、ドロドロに溶けているわけではないので安心した。
アイスクリームは、甘党のニナが大好きなデザートのひとつだ。いつもはレストランで食べるのだが、今日はあえてここを選んだ。 心地よい風、自然を感じる事ができる景色。レストランでは決して味わえない感覚がここにある。 戦争中の、束の間の穏やかなひととき。アイスクリームを口に運ぶと、甘さと冷たさが広がって思わず顔が緩んだ。 ああ幸せ、と呟きかけた瞬間に、ニナの隣に誰かが座っているのに気付いた。

「相変わらず、締まりの無い顔だな」
「……わ、悪かったわねっ!」

この暑い日でも黒いフードを深く被っていて、外の気温を全く感じていないのではと思わせる男。 謎に包まれたハルモニアのガンナー。いつの間にここに来たのだろう。来た時は確かに自分ひとりしかいなかったはずなのに。
クライブも、実はこの場所の常連だった。彼がよくここに来るのはニナも知っていて、 暇な時には立ち寄ってみるのが習慣になっている。あまり人が来ないので、考え事をするのにも最適の場所だ。 それなら自分の部屋で考えればいいという、ロマンの欠片も感じられない無粋は意見はニナの脳内で自動的にシャットアウトされる。

「それは何だ」

ニナが持っているカップの中身を指差しながら、クライブが聞いてきた。

「えっ、アイスクリームだけど……もしかして食べた事無い?」
「無い」
「うっそ、ホントに?」

どうやら冗談ではないらしい。人によって生活環境の違いもあるし、彼が甘いものを食べている姿などとても想像できない。

「じゃあ、食べてみる?」
「遠慮しておく」
「あら、残念。美味しいのに」

素っ気無く言うとニナは再びアイスクリームを食べ始める。唇の端についてしまったそれを、指ですくって舐めた。やはり甘い。 ふいに顔を上げるとクライブがこちらを見ていた。しかしニナと目が合うとすぐに逸らしてしまう。

「やっぱり気になるんじゃない?」
「別に」
「そんな事言って……実は食べたいんでしょ。だってずっと見てるじゃない」

クライブは無言になった。ニナはその反応を肯定と受け取ったのか、小さく笑みを浮かべた。

「どんな味がするんだ?」
「冷たくて、すごく甘いわよ」
「……甘いのは好きじゃない」
「それなら、いい方法があるわよ。ちょっと目を閉じてくれる?」

ニナが言うと、クライブは素直に言われた通りにした。まさかこんなにあっさりと従ってくれるとは思わなかった。 ニナに対して全く警戒していないという事なのだろうか。しかし今は、あれこれと考えるのをやめた。
カップを地面に置くと、ニナはクライブにゆっくりと唇を近づける。間近で見る端正な顔に、心臓が早鐘を打つ。 拒まれたらどうしようと思いながらも、いい方法があると宣言した以上、今更引き返すわけにはいかなかった。
やがて2人の唇が重なり、クライブは驚いたらしく目を開けた。
ニナは自分の唇の奥にある甘さを少しでも多く伝えようとして、角度を変えてキスを繰り返す。 クライブは何故か拒まず、再び目を閉じた。

「こ、このほうが程々に味が伝わると思って」

唇を離した後、ニナは焦りながら説明した。頬が熱い。大胆な事をしてしまったという動揺や、拒まれなかった事に対する驚き。
それらが交じり合ってニナを翻弄した。
キスを受け入れた理由はあえて聞かなかった。 クライブにとっては、あくまでニナからアイスクリームの味を間接的に伝えられたとしか感じていないだろうから。 彼の本心は分からないが、きっとそうだと思った。
置いたままにしていたアイスクリームは、カップの中でとっくに溶けて冷たさを失っていた。




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