触れられないもの 「ねえ、君! この城に来たの初めて? 良かったら俺が案内してあげようか?」 本拠地の入り口付近で、シーナは前を歩いている少女に声をかけた。 少女がこちらを振り返ると、内側にゆるく巻かれた髪がそれに合わせて揺れる。それは鮮やかな、蜜のような色だった。 歳は15、6くらい。顔立ちは少し幼さを残しているが、濃い化粧をしているわけでもないのに地味さは全く感じさせない。 勝気そうなエメラルドグリーンの瞳がシーナの姿を捉える。 「それともレストランでお茶でもする? あ、俺が奢るからさ。金なら心配無いよ。俺の親父さあ、トラン共和国の大統領なんだぜ」 シーナがひとしきり喋り終えると、少女の薄桃色の唇が開いた。 「だから何?」 「えっ」 「偉いのは父親のほうで、あんたじゃないでしょ。親の威光を利用して口説こうとするなんて最低だわ。 救い様が無いくらい情けない男ね! 私は今とても忙しいの、あんたなんかお呼びじゃないわよ!」 きつい口調で一気にまくし立てると、少女は呆然と立ち尽くすシーナを置いて早足でその場を去って行った。 「金髪で、制服姿の女の子?」 「この城に出入りしてるみたいなんだけど、知ってるか?」 レストランで注文した料理を待っている間、シーナは向かいの席に座っているメグに先程の少女の事を訊ねてみた。 美少女攻撃のメンバーにもその名を連ねるメグとは、3年前の解放戦争からの顔なじみで、最近訪れたこの城で久しぶりに再会した。 前はいかにも子供という感じだったが成長した今では、うっかりすると惚れてしまいそうになるくらい可愛らしくなっていた。 相変わらず個性的すぎる服を着ているが。 「まあ、下心が全然無かったわけじゃないけどさ。ひどい目にあったぜ」 「あ、もしかして!」 メグが声をあげ、思い出したかのように両手を打つ。その音に反応して、テーブルに突っ伏していたシーナは顔を上げた。 「メグ、心当たりあんのか」 「ある事はあるけど……あの子を口説くのは無理だと思うわよ」 「えーっ、何でそう言い切れるんだよ」 「知らないの? 結構有名な話なんだけど」 「ニナちゃん」 翌日、再び同じ場所で姿を見つけた少女に向かってシーナは声をかけた。 名前を呼ばれた少女……ニナは、振り向きざまにこちらを睨んでくる。 「あっ、昨日のナンパ男じゃないの! 今度は何の用?」 第一声から喧嘩腰のニナに、シーナは面食らう。 何もそこまで警戒しなくても良いと思うが、昨日のは明らかにナンパ目的だったので反論出来ない。 「用っていうか、ただ君と話がしたいだけ」 「私のほうは何も話す事は無いわ。だからもう行っていいかしら」 「……確かにいきなり声かけたのは悪いと思うけど、そういう言い方は無いだろ」 「いちいちうるさいわね、ほっといてよ」 ニナは不機嫌な顔でシーナを押しのけると、横をすり抜けて去ろうとした。 その背中が離れてしまわないうちにシーナは息を吸い込むと、 「あっ、フリックさんだ」 何気ないシーナの呟きにニナの両肩が跳ね上がり、せわしなく辺りを見回し始めた。 「どこどこどこ! フリックさんどこに居るの!?」 そんな必死すぎる様子に罪悪感を覚えながらも、シーナは堪えきれなくなった笑いを口元に浮かべる。 「冗談だよ。ここには居ない」 そう言った途端に、ニナの顔色が怒りへと変化していくのが手に取るように分かった。焦ったり怒ったりと忙しい。 次の瞬間、シーナの頬に熱い感覚が走る。ニナに平手で打たれたのだと理解するまで、数秒ほどの時間を要した。 「バカにするのもいい加減にしてよ!」 「バカじゃないの?」 赤みが未だに消えない頬を晒しているシーナに、メグが呆れた顔で言い放った。 「ああ、確かに俺はバカだ」 「自覚はあるみたいね」 メグの部屋は機械油の匂いに満ちていた。新しいからくりを作るための道具や材料が床に散乱し、足の踏み場はほとんど無い。 シーナは扉の前に立ったまま、ぼんやりとメグの作業を眺める。 「女の子達から、鈍いって言われない?」 「んー、もっとひどい事を散々言われてるからなあ」 「最悪ね。あ、そこのペンチ取って」 言われた通りの物を差し出すと、メグはそれを受け取って再び手を動かし始めた。 何を作っているかは分からないし、失敗作のような物も転がっているが、今作っている物との区別はつきそうにもなかった。 「もう関わるの、やめたら? あんたの印象悪くなるばかりじゃない」 人の話をまともに聞こうとしないニナに対する、ささやかな仕返しのつもりだった。 騙したシーナに本気で怒っていたニナの顔を見てすぐに後悔したが、すでに遅かった。何もかも。 フリックへの気持ちがあんなに真剣だとは思わなかったのだ。 シーナは本気の恋をした事が無い。すぐに他の女の子へ目移りしてしまうのが原因だとは分かっているが、 そんな自分を止められないまま今に至る。 もしかすると自分は、誰かに対して一途になれるニナを心の底で羨ましく思っているのかもしれない。 道場から出てきたフリックを木の陰で待ち伏せしていたニナは、何かの包みを手にフリックに駆け寄って行ったが、 結局逃げられてしまった。甘い香りのする包みを抱えたまま、その両肩が力無く落ちる。 そんな様子を遠巻きに見ていたシーナは、ニナのそばへ行く事もその場から離れる事も出来ずに迷っていた。 そうしているうちに歩いてきたニナと鉢合わせしてしまい、気まずい空気が流れた。 「覗き見なんかして、いやらしい男ね」 「何も見てねえよ」 「嘘つき」 「……ごめん」 観念したシーナが謝ると、ニナは深いため息をついた。 「見込み無いかも、って本当は分かってるの。でもね、もしかしたら上手く行くかもしれないって思うと、どうしても諦め切れないんだ」 「ニナちゃん……」 「私、やっぱりバカかも」 そう言って俯くニナの肩に触れようとして伸ばした手は、寸前のところで止まった。触れてはいけないような気がしたのだ。 「フリックさん、そんなとこで何やってんだよ」 1階の廊下で、シーナは窓の下で身を縮めているフリックを見かけた。 どうしてそういう状況になっているかは、見当が付くのであえて聞かない。 「静かにしてくれシーナ、追われてるんだ」 「あー、そうですか」 軽い調子で返事をすると、開け放たれている窓の向こうにこちらへ向かって走ってくるニナの姿が見えた。だんだん近くなる。 「おい、外にニナ居るだろ」 「誰も居ないって」 「本当か?」 「疑うなら見てみれば」 安心したように息をついたフリックは立ち上がり、窓の外を見る。 直後、すぐそばまで来ていたニナと至近距離で顔を合わせてしまった。 「フリックさん、見つけたー!」 「……シーナお前、騙したな!」 ここは1階。ニナは軽々と窓の桟を乗り越え、逃げていくフリックを追う。 追跡者の幸運を願いつつ、シーナはその後ろ姿に小さく手を振った。 |