反戦歌



あの日、差し出された手の温もりは今でもこの胸に残っている。
まるで宝物のように。



客の居ない、一人きりのステージはどこか寂しい。しかし今は好都合だった。
私がこの城の住人として迎えられてからずっと、ここで歌い続けている。
人々の疲れを癒すために、励ますために。
戦うための武器も力も持たない私にできるのは、歌う事だけだ。
もしこの喉が潰れて歌えなくなったとしたら、それは私にとって死にも等しい。 誰からも必要とされず、見向きもされないだろう。
楽団の仲間は未だに見つからない。どこで何をしているのかも分からない。
私は息を吸い込んで歌い始める。誰のためでもない、自分だけのために。
詞に込められているのは単なる愛でも思いやりでもない。
これは反戦歌だ。
戦時中に、兵士達が集まって生活しているこの城で歌うものではないと分かっている。それでも止められなかった。
今は真夜中だ。皆はとっくに寝静まっているだろうし、どうせ誰も聴いていない。
両親を殺され、仲間とはぐれ。戦場では敵味方関係なく、数え切れないほどの兵士達の死体を見てきた。
大切なものを何もかも奪い取られた。私に残されたものは歌しかない。
戦争が一体、何を生み出すというのか。ただ憎しみと悲しみと、むせかえるほどの血の匂いが、 絶え間なく降り積もって大きくなるだけだ。
客席に繋がる入口のあたりで、小さな物音がした。目線を向けた先に立っていた人物を見て、私は歌を止める。

「ツバサさん」

その名を口に出すと、彼は気まずそうな表情を浮かべながらこちらへ歩いてきた。
私と歳の変わらない少年だが、この城で彼の事を知らない人は居ない。
新同盟軍では最高権力を持ち、皆に認められている軍主なのだから。

「ごめんねアンネリー、邪魔だったかな」
「……邪魔だなんて」

ツバサさんの言葉に首を振ると、私はステージを降りた。
軍主である彼を、私が一段高いところから見下ろしているという構図が、あまりにも不自然に思えたからだ。

「まだ起きてたんだ」
「眠れなくて……」
「うん、実は僕も。なんだか目が冴えちゃって」

ツバサさんが客席に腰を下ろしたのを見て、私も同じようにした。
こんなにそばに居られるなんて……嬉しい。
決して知られてはいけない気持ちを抑えながら、静かな時間を楽しむ。

「あのさ、さっきの歌の事なんだけど」

突然切り出された言葉に、全身が冷えていくのを感じた。
叱られる、という予感が私を襲う。この軍を率いる立場にある彼が、あの歌を快く思うはずがない。
私は歌という形で、自分のわがままを吐き出した。ツバサさんに叱られても睨まれても、仕方のない事だ。
罰は、受けなければならない。なのに私の足はその場から離れようとして、走り出してしまった。
……失望されてしまうかもしれない。嫌われてしまうかもしれない。
私にとって、それが何よりも怖かった。

「アンネリー、待って!」

入口を抜けて廊下を出た途端、空しいほど簡単に追いつかれた。掴まれた手首に生まれた不思議な熱に、私の心臓が跳ねた。
ごめんなさい、と私は繰り返し呟く。頬を伝っていく涙を止められないまま。
ツバサさんは私の手首を放すと、何も言わずにこちらを見ていた。
自分は卑怯だと思った。こうして泣いて謝る事で、今でもツバサさんから必死で逃げ続けている。
サウスウィンドゥで途方に暮れていた私に声をかけてくれた。
もっと私の歌が聴きたいと、言ってくれた。
この人についてきて、本当に良かった。
いくら感謝しても足りないくらいなのに、今の私はそれを裏切っている。

「僕の話、聞いてくれるかな」

その言葉に私は頷いた。もう逃げない。そう決意して、ツバサさんと向き合う。

「この戦争を終わらせるために、僕は軍主として戦ってる。矛盾してるかもしれないけど、それしか方法は無いんだ」

幼さを残した顔立ちの中、その瞳には凛とした輝きがあった。
この輝きに皆は希望を見出して、戦い続けるのかもしれない。

「戦わなければ、守れないものがある。それを君に分かってほしかった」

急に自分が恥ずかしくなった。この戦いの意味を、そしてツバサさんの事を、何も分かっていなかった。
心の底で自分の境遇を嘆いてばかりで、前に進もうともせずに。辛い事を全て戦争のせいにしてきた。
ツバサさんは、私とは比べ物にならないくらい大きなものを背負っているのに。
再び口から「ごめんなさい」という言葉が出そうになった時、ツバサさんは私の手をそっと握った。 繋がった手から、あの日の温もりがよみがえる。

「部屋まで、送っていくよ」

ランプの淡い明かりに照らされた廊下を、私とツバサさんが並んで歩く。
……いつか、ちゃんと言える日が来るだろうか。
あなたの言葉が、その存在が。いつでも私を励ましてくれているのだと。




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