すべてがうまく重ならない夜



『ツバサ軍主催・第1回納涼肝試し大会』と書かれた質素な立て看板が、夏の夜風に吹かれて小刻みに揺れている。
一体誰が書いたのか、お世辞にも上手いとは言えない字だ。
まさかこの軍に来てまで、こんな事をするとは思わなかった。
本拠地付近にある森の入口では、宿星仲間達が集まって待機していた。
例え戦争中でも娯楽の精神を忘れないところは、軍主の気質に影響されているのかもしれない。

「男女2人でペアになって、この森の先にあるゴールまで行ってもらいます。先日説明した通り、 組み合わせはクジ引きで決定しますので、同じ番号を引いた人同士で組んだ後、時間を空けて出発してください」

主催者である軍主がそう言うと、仲間達のどよめきやら歓声やらが上がった。
皆それぞれお目当ての相手がいるわけで。ニナに関しては、もう言うまでも無い。
もしフリックとペアになれたら、怖がる振りをして抱きついたりアレしたりコレしたりと、まさしくやりたい放題できるのだ。
今にも飛び出してきそうなヨコシマな気持ちを抑えつつ、クジ引きの列に並ぶ。
先に並んでいた者達は、すでにペアを組んで出発している。
嫌がるヒックスを引きずるように森へ入っていくテンガアールの姿を眺めていると、とうとうニナの順番が来た。
クジが入った箱に手を突っ込み、中身を丹念に探る。
待っていてねフリックさん! と心の中で叫びながらクジを引いた直後、とんでもない光景を目にしてしまった。
真横を通り過ぎていく、いつもニナが追いかけている青いマントの人物。その傍らには親友であるメグの姿が。
メグはニナの存在に気付くと、「ごめん!」と心底申し訳無さそうな表情で両手を合わせて、森へ向かう。

「ち、ちょっと……!」

追いかけてどうにかなるものではない。クジ引きによって、もうフリックの相手は決まってしまったのだから。
この肝試し大会での目的をすっかり失ってしまったニナは、がっくりと両肩を落とした。
ため息をつきながらクジを開くと、27番だった。だから何だと言うのか。
もう帰ろうかと思って踵を返した先には、1人の男が立っていた。

「同じ番号ですね、よろしくお願いします。ニナ殿」

ニナと同じ27番のクジを持ったカミューが、優しく微笑んだ。




今まで、それほど交流があるわけでも無かった。
彼は社交的で、女性の扱いが上手く、誰にでも優しい。
剣を振るって戦う身でありながら物腰は柔らかく、仕草ひとつひとつに品がある。
白馬の王子様とやらが実在するならば、この男がそれに限りなく近いのではないか。
それでもニナにとって、フリック以外の男は皆同じなので特別に意識はしない。
カミューと共に足を踏み入れた森の中は薄暗く、月明かりだけが前へ進むための頼りだった。

「ニナ殿」
「何?」
「お恥ずかしい話、私は暗闇で目が慣れるのに少々時間がかかるのです。 それまで、手を繋いで歩いてくださると有り難いのですが」
「えっ」

唐突な申し出に、ニナは驚きを隠せない。
確かに辺りは薄暗くて歩きづらいかもしれないが、手まで繋ぐというのは大げさすぎだと思う。 大体、ニナには他に好きな男が居る事を知っているのだろうか。
しかし生まれ持った体質は仕方の無い事だし、それを責めるのは気の毒だ。

「いいわ、目が慣れるまでね」
「ありがとうございます……それでは、手を」

言われた通り差し出したニナの右手に、カミューは指を絡ませて握った。
まるで恋人同士のような繋ぎ方に戸惑いを覚えたが、どうせ彼の目が慣れるまでの事なので何も言わないでおいた。
進んでいくうちに遠くから妙な光が現れては消えたり、急に草が擦れる音などがしてニナはかなり動揺したが、 隣を歩く男にそれを知られたくなかったので、悲鳴を堪えるのに必死だった。
それでもニナが身を竦ませる度に、カミューのかすかな笑い声が聞こえてくる。手を繋いでいるため感覚が伝わるらしい。 弱みを見せてしまった気がして、悔しかった。

「貴方の噂は、私の耳にも届いています」
「噂って……どうせフリックさんの腰巾着だとかストーカーだとか、そんな感じでしょ」
「違いますよ。まあ例えば、自ら王国軍に降ろうとしたテレーズ殿を説得して、思い止まらせたとか」
「何、そんな事が噂になってるの?」
「ニナ殿がグリンヒルを救ったと言っても差し支え無いでしょう。まだお若いのに、なかなかの手腕だ」

褒められて、悪い気はしない。
それでもここまで絶賛されてしまうと、妙な気分になる。
テレーズを思い止まらせたのは、主にグリンヒル市民達の力だ。
もし説得したのがニナ1人だったら、テレーズの心を動かす事は出来なかったかもしれない。

「カミューさんは、私を知らなすぎるわ。だからそんな事が言えるのよ」
「……それはどういう意味でしょうか?」
「私は褒められるほど立派な人間じゃないの。この軍に入ったのも、何よりもフリックさん目当てだったし。 勢い任せだったのよ」

ここまで言えば考えを改めるかと思いきや、カミューは穏やかな表情を崩さない。

「軍に参加したきっかけなんて、何でもいいではありませんか」
「どうして?」
「初めの目的はフリック殿だったとしても、今の貴方は軍の一員として頑張っている。 今でも本当に浮付いた気持ちでいるのなら、図書館で軍略の本を何冊も借りたりはしないでしょう」
「何で知ってるの」
「偶然、本を借りているところをお見かけしまして。ニナ殿のほうは、私の存在に気付いていなかったようですが」

軍師付参謀の中では、知識も経験も乏しい自分。今は雑用ばかりだが、少しずつでも皆に追い付きたかった。
そんな様子を、今まで関わりの薄かった者にまで見抜かれてしまうなんて。
もうこの男に何を言っても無駄だと思いながら歩いているうちに、ある予感が胸に生まれて次第に大きくなっていく。

「ねえ、カミューさん。ひとつ聞いてもいいかしら」
「どうぞ、遠慮無く」
「暗闇で目が慣れるのに時間がかかるって……あれ、嘘よね?」
「何を理由に、そう思われたのですか」
「手なんて繋がなくても、最初から普通に歩いてたじゃない」
「それは、元から気付いていたという事でしょうか」
「初めは気付かなかったわよ。でもよく考えてみれば、地面の木の根っことか私よりも上手く避けてたし」
「……さすがニナ殿、勘が鋭い」

カミューの歩みが止まる。
さりげなく手を離そうとしたが、同じタイミングで強く掴まれた。まるで考えを読まれていたかのように。

「もう、いいじゃない。離して」

月明かりが、ニナの正面に居る男を淡く照らした。
愉快そうに目を細め、口元には微笑を浮かべている。
いくら鈍い者でも、その表情には何か含みがあると分かるはずだ。

「離したくない、と言ったら……どうします?」

普段よりも低く、静かな声。
言葉を失ったニナが小さく息を飲んだ音は、風の流れに溶けて消えた。




森を抜けた先では、すでにゴールに辿り着いた仲間達が2人を迎えた。
ニナの周りに友人達が集まってくると、カミューは軽く会釈をして去っていった。

「ニナってば、カミューさんとペアになってたんだ!?」
「いいなー! あの人なら、どんなに怖い目に遭っても護ってくれそうだもんね!」

頬を染めて興奮する周囲を前にしては、とても言えそうになかった。
作り物の怪奇現象よりも何よりも、1番怖かったのはカミューだったという事を。

『貴方があまりにも突っぱねるので、少し意地悪をしてみたくなったのですよ』

森の中でやっと手を離してくれた後、彼はいつもの調子でそう言った。
優しい笑顔や丁寧な言葉が、何かを覆い隠している。
それが何であるかは上手く説明できない。
ただ、繋いだ手に突然込められた有無を言わさぬ力だけが、漠然としたニナの不安を確かなものにしていた。




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