理由



図書館の裏で地面に腰を下ろしながら、ニナはため息をついた。
手には短冊状の2枚の紙がある。
ここ数日間ずっと大切に持っていたが、たった数分前に無意味な紙切れとなった。
持っていても仕方がない。このまま破棄してしまおう。
そう思って2枚まとめて破こうとした時、急に足元が暗くなる。顔を上げると、すっかりお馴染みの存在となっている クライブがこちらを見下ろしていた。

「何だ、それは」
「ラダトにある、芝居小屋の入場券よ。フリックさんを誘いたかったんだけど」
「逃げられたか」
「……まあ、そういうこと」

どうせこうなるかもという予感はあったが、わずかな希望に賭けてみたかった。
芝居の内容はロマンチックな恋愛物だと聞いているので、ここは無理矢理にでもフリックと一緒に……という ヨコシマな願望があったのだ。
この入場券は今日限りしか使えない。もうフリックを捕まえられる望みは限りなく薄いので、もう諦めるしかなかった。

「それはもう、お前にとっては必要ないんだな?」
「そうよ。あんた、誰かと行きたいならあげてもいいわよ」

クライブが手を出してきたので、入場券を2枚とも渡した。
誘いたい人間でも居るのだろうか。それでも芝居の内容を知ったら、嫌な顔をするに違いない。 ああいうのは苦手そうなイメージがあるからだ。
しかしクライブは受け取った入場券のうち、1枚をニナに差し出してきた。

「何?」
「こっちはお前にやる」
「私はいらないって言ってるでしょ」
「俺とお前で行けば無駄にならないだろう」
「な、なんで私があんたと」
「行くぞ」
「えっ……ちょっと待ってよ!」

勝手に話を進められ、ニナは訳が分からないままクライブの後を追った。


***


ラダトに着くと、芝居小屋の前には何人かの客が集まっていた。
一見普通の女子学生と、怪しげな黒づくめの男という奇妙な組み合わせは目立つらしく、 ニナとクライブは行き交う人間の目を引いていた。
受付で入場券を手渡し、半券を貰って小屋に入る。開演間近だというのに、客の数はまばらだった。 真ん中あたりの席を選んで腰を下ろした途端、椅子が音を立てて軋んだ。何となく気まずい。 体重のせいではなく、椅子が古いせいだと自分に言い聞かせてみる。 すると隣に座ったクライブの椅子は全く軋まなかった。腹いせに睨みつけたが、いつも通りの涼しい顔をして流された。
やがて場内が薄暗くなり、舞台の幕が上がった。


***


芝居が終わり、客が次々と小屋を出て行く。
宣伝文句の通り、芝居は確かにロマンチックな恋愛物だった。
しかしそれは中盤までの話で、主人公の女が悪役の攻撃を受けて命を落とし、その恋人である男も後を追うという 衝撃的な結末を迎えた。もし一緒に観に行ったのがフリックだとしたら、これほど彼の心を抉るような辛い展開はない。 芝居を見て甘い雰囲気になるどころか、ニナは誘った自分を激しく責めていただろう。

「もし、あんたの恋人が誰かに殺されたらどうする?」
「それはない」
「ない、って。ずいぶん自信があるみたいね」
「他の誰かの手にかかるくらいなら……」

クライブは足を止め、銃を抱え直してから再び言葉を紡いだ。

「俺が殺す」

空の向こう側に見える夕日が、やけに毒々しい色に思えた。
同盟軍に参加して、ニナは戦闘で初めて人を殺した。火の紋章の力で、王国兵を何人も焼き殺した。 普通の学生だった頃は全く縁のなかった、生々しく恐ろしい感覚。
それはいずれ何も感じなくなるくらい麻痺して、人を殺すことが当たり前になっていくのかもしれない。 軍に身を置くなら、戦いに大人も子供も関係ない。
同じ年頃のメグやシーナやテンガアールは、ずっと昔からその手を血で染めてきた。
レストランで共に笑い合っていた少年少女達も、戦場に出ればそれぞれの武器を持って戦う。大切な何かを、誰かを守るために。
ニナの故郷は今、王国軍に占領されている。厳しい支配下に、家族や友人達が居る。 市長代行のテレーズが、自らを犠牲にしてまで守ろうとしたグリンヒルを取り戻したい。そのために戦う。
硝煙の匂いを纏ったクライブが、1歩先を歩いていく。
黒いローブが風に煽られて広がり、視界を遮る。
その背中を見ながら、ニナは胸の中で問いかけた。

……ねえ、あんたは何のために戦うの?




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