理由 図書館の裏で地面に腰を下ろしながら、ニナはため息をついた。 手には短冊状の2枚の紙がある。 ここ数日間ずっと大切に持っていたが、たった数分前に無意味な紙切れとなった。 持っていても仕方がない。このまま破棄してしまおう。 そう思って2枚まとめて破こうとした時、急に足元が暗くなる。顔を上げると、すっかりお馴染みの存在となっている クライブがこちらを見下ろしていた。 「何だ、それは」 「ラダトにある、芝居小屋の入場券よ。フリックさんを誘いたかったんだけど」 「逃げられたか」 「……まあ、そういうこと」 どうせこうなるかもという予感はあったが、わずかな希望に賭けてみたかった。 芝居の内容はロマンチックな恋愛物だと聞いているので、ここは無理矢理にでもフリックと一緒に……という ヨコシマな願望があったのだ。 この入場券は今日限りしか使えない。もうフリックを捕まえられる望みは限りなく薄いので、もう諦めるしかなかった。 「それはもう、お前にとっては必要ないんだな?」 「そうよ。あんた、誰かと行きたいならあげてもいいわよ」 クライブが手を出してきたので、入場券を2枚とも渡した。 誘いたい人間でも居るのだろうか。それでも芝居の内容を知ったら、嫌な顔をするに違いない。 ああいうのは苦手そうなイメージがあるからだ。 しかしクライブは受け取った入場券のうち、1枚をニナに差し出してきた。 「何?」 「こっちはお前にやる」 「私はいらないって言ってるでしょ」 「俺とお前で行けば無駄にならないだろう」 「な、なんで私があんたと」 「行くぞ」 「えっ……ちょっと待ってよ!」 勝手に話を進められ、ニナは訳が分からないままクライブの後を追った。 ラダトに着くと、芝居小屋の前には何人かの客が集まっていた。 一見普通の女子学生と、怪しげな黒づくめの男という奇妙な組み合わせは目立つらしく、 ニナとクライブは行き交う人間の目を引いていた。 受付で入場券を手渡し、半券を貰って小屋に入る。開演間近だというのに、客の数はまばらだった。 真ん中あたりの席を選んで腰を下ろした途端、椅子が音を立てて軋んだ。何となく気まずい。 体重のせいではなく、椅子が古いせいだと自分に言い聞かせてみる。 すると隣に座ったクライブの椅子は全く軋まなかった。腹いせに睨みつけたが、いつも通りの涼しい顔をして流された。 やがて場内が薄暗くなり、舞台の幕が上がった。 芝居が終わり、客が次々と小屋を出て行く。 宣伝文句の通り、芝居は確かにロマンチックな恋愛物だった。 しかしそれは中盤までの話で、主人公の女が悪役の攻撃を受けて命を落とし、その恋人である男も後を追うという 衝撃的な結末を迎えた。もし一緒に観に行ったのがフリックだとしたら、これほど彼の心を抉るような辛い展開はない。 芝居を見て甘い雰囲気になるどころか、ニナは誘った自分を激しく責めていただろう。 「もし、あんたの恋人が誰かに殺されたらどうする?」 「それはない」 「ない、って。ずいぶん自信があるみたいね」 「他の誰かの手にかかるくらいなら……」 クライブは足を止め、銃を抱え直してから再び言葉を紡いだ。 「俺が殺す」 空の向こう側に見える夕日が、やけに毒々しい色に思えた。 同盟軍に参加して、ニナは戦闘で初めて人を殺した。火の紋章の力で、王国兵を何人も焼き殺した。 普通の学生だった頃は全く縁のなかった、生々しく恐ろしい感覚。 それはいずれ何も感じなくなるくらい麻痺して、人を殺すことが当たり前になっていくのかもしれない。 軍に身を置くなら、戦いに大人も子供も関係ない。 同じ年頃のメグやシーナやテンガアールは、ずっと昔からその手を血で染めてきた。 レストランで共に笑い合っていた少年少女達も、戦場に出ればそれぞれの武器を持って戦う。大切な何かを、誰かを守るために。 ニナの故郷は今、王国軍に占領されている。厳しい支配下に、家族や友人達が居る。 市長代行のテレーズが、自らを犠牲にしてまで守ろうとしたグリンヒルを取り戻したい。そのために戦う。 硝煙の匂いを纏ったクライブが、1歩先を歩いていく。 黒いローブが風に煽られて広がり、視界を遮る。 その背中を見ながら、ニナは胸の中で問いかけた。 ……ねえ、あんたは何のために戦うの? |