出撃前夜



グリンヒル奪還へ向け、市内へ攻め込むメンバーの人選は全て、軍主であるツバサに一任されていた。 先程告げられたその中には、ニナの名前もあった。
戦力として期待されたわけではなくても、グリンヒルがニナの故郷だということを覚えていてくれたのだと思い嬉しくなった。
明日に備えて早めに寝ようと思ったが、どうにも興奮して眠れそうもない。 屋上へ足を運んでみると、そこには幸運にもフリックが居た。そういえば前にも同じ状況があったことを思い出し、ニナの頭には またしても「運命」の文字が浮かんだ。嬉々として声をかけると、フリックは普段と変わらず素っ気ない返事をしてくる。 何を考えているのかと訊ねても、やはり軽くあしらわれてしまう。しかしオデッサの名前を出した途端、フリックはあからさまに 動揺し始めた。フリックの昔の恋人であるオデッサのことは、前にビクトールから聞いて知ったのだ。 強くて賢くていい女だったぜ、と酒場でしみじみ語る彼の様子から、その辺りに居るような普通の女性ではないことを感じた。
人を見る目に長けているビクトールに絶賛され、フリックと肩を並べられるような存在。
少しだけ嫉妬してしまった。そんな気持ちが、目の前で実際にフリックの口からオデッサへの想いが語られると更に膨らみ、 ニナの心は徐々に歪んでいった。

「もう、会えなくても?」
「……」
「会ってお話することも、手を握ることもできないんですよ?」
「いい加減にしろよ、お前には関係……」
「どうして? 関係あるわよ」

関係ない関係ないと、そんなもので何度もごまかそうとするフリックに対して、ニナはどこか憤りを覚えた。
オデッサのことが忘れられないのは分かった。彼女はフリックにとってただの 恋人というだけではなく、その生き方や考え方まで全てに大きな影響を与えた、特別な存在なのだ。それは動かせない事実だった。
何故フリックはここまで自分を拒むのだろう。単純にニナが子供だから相手にしてもしょうがないと思われて いるのか。しかし、ナナミやアイリやメグなど、ニナと同年代の少女達からは話しかけられても嫌な顔ひとつせずに普通に接している。 子供だからと言って露骨に見下げた態度も取らず、もちろん顔を合わせた途端に逃げたりもしない。 それをずっと疑問に思っていたが、たった今、ようやく分かった。自分が犯した間違いは、故郷での出会いの直後からすでに 始まっていたのだ。それが分かったところで、今更遅すぎる。
そして今夜3度目の「関係ない」が出てきた直後、限界に達した。
ニナは自分でも呆れるほど押し付けがましい言葉の数々をフリックに投げつけた挙句、とうとう言ってはならないことまで 口にしてしまった。

「いつまでも死んだ人のことなんか想っていても仕方ないでしょ!」

きっと、頭に血が上っていたのだ。理性が吹き飛び、何をどうやっても相手にされないことが悔しくて悲しかった。 フリックに対する話し口調は敬語から一転して凄まじく乱暴なものになり、明らかにいつもの自分ではなかった。
どうせ何もかも取り返しが付かないのなら、堕ちるところまで堕ちてしまえ。
そんな暴力的な考えも、一瞬にして怒りに染まったフリックの表情を見て打ち砕かれた。 今まで聞いたことすらなかったフリックの鋭い怒声が飛び、ニナの身体が恐怖で竦んだ。 月明かりに照らされた夜の屋上で、重い沈黙が2人に落ちてくる。
やがてフリックが再び口を開くまでの時間が、ニナにとってはまるで永遠のように感じた。一体自分は、何度間違いを繰り返せば 気が済むのか。無駄だと分かっていながらも、ニナは先程の言葉を胸の内でひたすら悔やんだ。
いくら避けられても、怒られても、どうしてもフリックのことを諦められない。
フリックは怒鳴ったことをニナに詫びた後、階段を下りて行く。
夢中になって追い回し続けたその背中が、今はやけに遠いものに思える。
しばらくしてニナも階段を下りると、そこで予想外の人物に遭遇した。

「ツバサ君……もしかして、ずっとここに居たの?」
「えっ、いや、僕は何も見てないよ」

そう言いながらも気まずそうに目線を逸らす様子に、ニナはツバサが嘘を付いているとすぐに見破った。 こんな分かりやすい性格のくせに敵軍との和平交渉に赴いたりする危なっかしい軍主だが、 彼にはあの有能な軍師がついているので余計な心配は不要かもしれない。
ツバサとのやり取りで、涙を流す機会を失ってしまった。 フリックの前で泣くわけにはいかなかったので、人通りのないこの辺りで泣いてから部屋に戻るつもりだった。
明日の戦いで、自分は命を落とすかもしれない。それでも死に場所がグリンヒルならいいと思った。 テレーズや、大勢の市民と共に守ろうとした大切な故郷と命運を共にできるのなら。
もう後戻りはできない。グリンヒルのことも、そしてフリックへの想いも。




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