放課後の教室で





放課後の教室はやけに静かで、窓の外から生徒達の声が時折聞こえてくるだけだ。
窓際の席に座り、鉛筆を器用に指で回している赤木を見て思わずため息をつく。

「今日こそは、書けるまで帰さねえからな」

机に広げている作文用紙を覗きこむと、『僕と家族』という題名と自分の名前を書いた先からは全く進んでいなかった。
どうやら長期戦になりそうだ。立っているのも疲れるので、近くの椅子を引っ張ってくるとそれを赤木の正面に置いて腰を下ろす。
他の生徒はとっくに提出済みだが、赤木は未だにその気配がない。それどころか、配った作文用紙すら失くしてしまったという。 よほどやる気がないらしく、呆れて物も言えない。

「失くしたんじゃなくて、汚したから使えなくなった」
「何の汚れだよ、飲み物でもこぼしたのか」
「……精液」
「はっ?」

赤木が小さく呟いた言葉に、俺は間抜けな声が出てしまった。こいつ今、何て言った?
そんな俺を見て、赤木は小さく吹き出した。からかわれたのだと知って、恥ずかしさで顔が熱くなった。
数ヶ月前までは小学生だった、13歳の赤木。こいつのクラスを担当する教師という立場でありながら、いつも振り回されている。 何を言っても言葉巧みに揚げ足を取ってくるので、とても扱いにくい。授業中でも、こうしてふたりで居る時でも。
夜は遅くまでどこかをうろついて、あまり家には帰っていないらしい。たまにかすり傷を負って学校に来る。 独特の近寄り難い雰囲気のせいか、学校に親しい友達は居ないようだ。
俺も担任として気になる存在ではあるが、悩みや不満があるなら相談しろと言っても「別に」の一言で切り捨てられてしまうのだ。

「参ったな……何も書くことがないよ」
「いくらだってあるだろ、お前の家族のことなんだから」
「どうしても、書かなきゃだめなの?」
「書けよ」

強い口調で俺がそれだけ言うと、赤木は鉛筆を持ち直して作文用紙に向かった。
その間、なるべく用紙を見ないように窓の外へ視線を動かす。夕焼けの光は、まるでこちらを鋭く射るような眩しさだった。

「出来たよ」

突然上がった赤木の声に、驚いてそちらに向き直った。書き始めてからまだ何分も経っていないはずなのに。
差し出された作文用紙を受け取った直後、冗談抜きで目眩を起こしそうになった。あれから書き足されたのは、赤木の両親ふたりの 名前と年齢のみ。本当にそれだけで、後は何もない。どういう性格の人間で、どんなふうに赤木に接しているのかすらも。
少しずつ湧き上がってきた怒りで肩が震えてくる。 いや、とりあえず落ち着かなくては。教師らしく、とにかく毅然とした態度を……。

「家族のことを書けって言われたから、そうしたんだけど」
「赤木……俺をバカにしてんのか?」
「そういうつもりはないよ、家族に対して感じたことを正直に書いただけ」

淡々とした赤木の言葉を聞いて、俺は何となく思った。今の赤木は反抗期で、家族とうまくいってないのかもしれない。 そうでもなければ、こんなに冷めた書き方なんてしないはずだ。
俺も昔は親に逆らって色々やらかした時期があったので、気持ちは分からなくもない。
真実はどうであれ、無理にでもそう思わないと納得できない状況だった。

「親のことは、好きでも嫌いでもないんだよね。ずっと昔から」
「ああ、分かったよ。もういいから今日は帰れ」
「もし俺が間違っているなら、正しく導いてよ……先生」

赤木は甘い声でそう言って、用紙を持ったままの俺の手に触れてくる。静かに、真っ直ぐに向けられる視線。 こんな目をする子供は、学校中を探しても他に居ないだろう。
我に返った俺は慌てて赤木の手を振り払うと、弾かれたように身を離す。あやうく椅子から落ちそうになった。

「先生となら、遊んでもいいよ」
「なっ、何で俺がお前と遊ばなきゃいけねえんだよ!」
「ふたりきりの時は、矢木さんって呼んでもいい?」
「だめに決まってんだろ、自分の立場考えろって!」
「まあ、最中に先生って呼ぶのも面白いかもね……」

最中って何の話だよ。そう突っ込みたかったが、嫌な予感がするのでやめておいた。




back




2007/4/18