また逢う日まで



窓の外で立ち止まったひとりの男と目が合ったと同時に、矢木は食べていたラーメンを噴出しそうになった。
むしれるだけむしり取ろうとする狡猾な表情は、6年前に見たものと変わっていなかった。


***


なるべく安いやつにしろよ、という囁くような矢木の要求を聞いているのかいないのか。
赤木はラーメンの名前が並んだ壁のメニューにひと通り視線を走らせると、

「チャーシューメン大盛り」
「お……お前、俺の話聞いてねえだろ! 何が大盛りだ!」
「ケチケチすんなよキャタピラ野郎、今度こそ腕もぎ取るぞ」

メニューへ目を向けたまま赤木は、淡々とした口調で物騒なことを言う。
矢木の身体から血の気が一気に引いた。

「あんた、俺と勝負する前に言ってたよな。イカサマしたら腕1本取るって。なのにその本人が取り決め破ってどうすんだよ。 あっちの世界に居た人間なら、しっかり腹括れって」
「まさか、気付いてたのか?」
「やった瞬間には気付かなかったが、まあ後で色々とね」

色々って何だと思ったが、とにかくこの赤木ならその気になれば腕の1本や2本くらい、ためらわずに落とすだろう。 どう考えても、やりかねない。あの勝負で赤木の恐ろしさを充分に味わった身としては、選ぶべき道はすでに決まっている。

「分かったよ、好きにしろ」
「そうこなくちゃ」

赤木の注文を店主へ告げると、矢木は冷めかけている自分のラーメンに再び箸を付けた。

「矢木さん、仕事は? まだ代打ち続けてんの?」
「いや、代打ちはもう」
「ああそうか、クビになったんだ。そうだよな、やっぱり」
「一体誰のせいだと……」
「何寝ぼけたこと言ってんだよ。あんた自身の運がなかったせいだろ」

ストレートに正論を突きつけられ、矢木は返す言葉が見つからない。
赤木との勝負に敗れた矢木は当然ながら代打ちの名を奪われ、その世界では生きていけなくなった。 素人で、しかもたった13歳の子供に負けた。受けた屈辱はあまりにも大きい。
赤木を子供だと思って甘く見ていたのも 敗因のひとつだが、何より運が悪かったとしか言いようがなかった。完全に自信を失い、あれから牌にすら触れていない。
それでもこうして五体満足でいられるのは、これ以上ない奇跡とも言えた。負けた後は腕や指の1本くらいは覚悟していたが、 川田組は巨額のかかった大勝負のために新しい代打ちを立てるのに大騒ぎで、矢木の始末どころではなかったようだった。
長い間、薄暗い裏社会に身を置いていた矢木がまともな職場で働けるはずもなく、今は日雇いの仕事などを転々としながら 不安定な生活を送っていた。経済的にも余裕はない。だからこうして外で食事をするのはかなりの贅沢なのだ。 そこで食べるのが安いラーメン1杯だとしても。
やがてカウンター越しに、注文したラーメンが赤木の前に置かれた。どう見ても店主の親指がスープの中へ半分浸かっていたが、 赤木は気にする様子も見せずに箸を割り、出来立ての熱いラーメンを平然とした表情ですする。
そんな様子を眺めているうちに、最近噂になっている辻斬りの男の存在を思い出した。 こちらの人数が5人以下なら、目を合わさないほうが無難だとも言われているほど恐ろしい強さを誇るという。 それが赤木だという証拠はどこにもない。ただ、何となく思い出しただけだ。

「お前は今、何やってんだ」
「ラーメン食ってる」
「そんなの見りゃ分かる、どうやって金稼いでるんだってことだよ」
「沼田玩具って知ってるかい?」
「聞いたことねえな」
「ガキ向けのオモチャ作ってる工場だ。そこで働いてる」
「似合わねえ……」

正直に思ったことが口から出てしまった矢木に、赤木は喉の奥で笑った。

「たまにはそういう地道な生活もいいだろ」


***


「あー、面白かった」

腹を満たし、店を出た後の第一声にしてはどこかずれている。薄い財布を上着の奥へしまいながら、矢木は赤木を訝しげに見た。

「さっきのラーメン、店のメニューの中で1番高かっただろ?」
「ああ、おかげで大赤字だ」
「会計で、財布から金を出した時のあんたのしぶーい顔が傑作だったよ。別にあのラーメンが食べたかったわけじゃない、 矢木さんのああいう顔が見たかっただけの嫌がらせだ」
「はあ!?」
「今更あんたの腕貰ってもしょうがねえから、今日のところはこれくらいで勘弁してやるよ」

許しがたい発言に矢木が切れそうになった頃にはもう、赤木はひらひらと手を振りながら歩いていた。
6年振りに夜の街で再会してから、立て続けにおかしなことばかり起こる。もう会わない。今度こそ、絶対に会うことはない。 居場所がバレているわけではないので無駄に出歩かないでいれば、これ以上の厄介事に巻き込まれることはないはずだ。 そう念じていると、ふいに赤木がこちらを振り返った。

「うちの寮と同じくらいのボロさだよな、矢木さんが住んでるアパートって」

その時、矢木に電流が走った。




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2005/11/2