Alive



コインの表と裏を当てるだけの、簡単な勝負だった。
当たる確率はそれぞれ2分の1。予想が外れたほうは、当てたほうの要求を何でもきく。
その結果、どこまでも可哀想な矢木圭次は6年振りの勝負でも赤木に負けてしまい、古びたアパートの畳の上に押し倒される羽目に なった。


***


どうやら少し、遊びが過ぎたらしい。

「調子に乗るのもいい加減にしろ、このクソガキ!」

いつしか2人の位置は逆転し、覆い被さってきた矢木が赤木の首に手をかけた。
殺すぞ、という言葉と共に容赦なく手に力が込められ、呼吸をせき止められる。
以前、同じことを赤木に言いながらも結局は口先だけで終わった人間が居た。わずかな価値もない、ニセの怒り。 逆に今、矢木がこちらに向けているのは本物の怒りだ。赤木の首を絞めている手からもそれが痛いほど伝わってくる。
何のよどみもなく真っ直ぐにぶつけてくるその怒りが、むしろ心地よかった。 損得抜きで純粋な感情をぶつけてくる人間が、今まで何人居た?
これから殺されるかもしれない状況でも、頭の中は妙に静かだった。6年前の赤木に心を折られ、全てを失った 矢木のそばに居る限り、こうなるのはまさに必然だ。別に驚くことではない。今までそんな気配すらなかったのが不思議なくらいで、 自分は果たして運が良かったのか悪かったのか。
歓迎されているはずもないのに、どうしてそばに居ようと思ったのだろう。からかうと反応が面白いというのも確かにあるが、 本当にそれだけなのか。
そういう複雑な感情の名前を、赤木は知らない。考えたこともなかった。
殺したいなら殺せ。 ずっと抱いてきたはずの6年分の恨みを全て吐き出して、楽になればいい。 そう思って目を閉じた。死が間近に迫っていると知りながら。更に力が加わればすぐに息絶えるが、 いつまで待ってもその瞬間は訪れなかった。赤木の首を絞めていた矢木の手から力が抜けて、離れたのだ。
呼吸のリズムを取り戻した赤木は何度か咳き込みながら、自由になった身体を起こす。
一方の矢木は、上着の奥を探って煙草の箱を取り出したが、中身が空だと知ると舌打ちしてそれを握り潰した。

「殺したいほど憎いはずだろう、あんたの人生をめちゃくちゃにした俺が」
「確かにあの時はそう思っていたが、時間が経ちすぎた。今更お前を殺しても、俺はもう代打ちには戻れない」

ヤクザに囲われていたとはいえ、麻雀勝負の時にだけ呼ばれる代打ちであった矢木は、刀や銃を持って暴れていたわけではない。 やはり人を殺すことには抵抗があったようだ。
赤木との勝負で、もし矢木がイカサマをせずに戦っていたらどうなったか。 麻雀の腕は後に対戦した市川と比べれば格段に落ちるが、その腕で金を稼ぐ裏プロだけあって全くの無能ではなかった。 どちらが勝つにしても、赤木は少しだけ興味があった。
俯き加減だった顔を上げると矢木は、真剣な表情で赤木の目を見据える。

「俺みたいな、つまらない奴の手にかかって死ぬことはない。お前は生きろよ、赤木」

先程まで殺意を露わにしていた人間の言うこととは思えないが、再会してからは怯えるか怒るかのどちらかだった矢木の口から出た、 おそらく初めての力強い言葉だった。


***


田舎の小さな賭場で、赤木はまさに生死の境を彷徨っていた。
サイコロが示したのは3と5の丁だったが、倉田組の壷振りはそれを4と5の半だと言い切った。事実を強引に捻じ曲げたのだ。 無力な一般客は脅しによって言いくるめられ、出た目が丁だと主張するのは赤木ひとりとなった。もうこの場に味方は誰も居ない。
倉田組は、元からフェアな勝負をする気はなかったようだ。薄汚い企みは目に見えぬ泥となり、この賭場を支配していた。
重要なのは得た金や命ではなく、意志を貫くこと。保身のためにそれを曲げることは赤木にとって大きな屈辱だった。
曲げるわけにはいかないものを守るために、血を流すことを選ぶ。
傍目から見ればバカバカしいと思うかもしれない。それでも決して譲れないものがある。
もしここで、目の前に立ちふさがる力に屈してしまえば命は助かるだろう。
しかし自分の心は確実に腐って死ぬ。そうなるくらいならいっそ、意志を貫いたまま果てたほうがいい。
そんな時、懐かしい刑事と見知らぬ男の乱入により、場の流れは騒がしく変わっていった。
飛び交う怒声、それらは赤木の耳を無意味にかすめていくだけだ。
もう何も見えない、聞こえない。
意識が完全に沈む直前、あの声と言葉が赤木の頭によみがえる。

―――『お前は生きろよ、赤木』

自分を偽って生きることに一体、何の意味がある?




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2005/11/18