ある夜の涙 「俺とこういうことするの、あまり気が進まないんじゃない?」 深夜、部屋の中で俺の性器に指を絡めながら赤木がこちらを見上げてくる。 微妙に強弱をつけて扱いたり触れたりしてくるので、あっという間に昂ぶって更に心地よい刺激を欲しがる。 「……なんでそう思うんだ」 「矢木さんから求めてくることって、滅多に無いからさ」 そう言って俺の股間に顔を伏せた赤木は、色濃く浮き上がった血管の辺りを舌先でくすぐる。 できればその温かく濡れた口の中で吸い上げてほしい、という俺の欲求に気付いているのかいないのか、なかなかそれ以上の刺激を与えようとはしない。 散々じらされている最中、顔を動かすたびに揺れる根元まで真っ白な髪を何度か撫でた。 「お前の倍も歳が離れてるんだぜ、そんなに毎日無茶できねえよ」 「毎日じゃなくても、たまには……いいだろ」 不意打ちで先端を吸われて、一瞬だけ身体が震えた。 俺から赤木を求めないのは、歳だけのせいじゃない。まるで赤木の前に屈したように思われるのが悔しいというか。 そんなくだらないプライドなんて捨ててしまえれば、もっと楽しめるのかもしれない。 深い因縁があるはずの赤木を拒まなくなって、こうして同じ屋根の下で暮らすことになるなんて、6年前は夢にも思わなかった。 もし未だに打ち明けられていない赤木の気持ちを知ることができれば、もっと俺は……。 「どうしたんだ、その腕」 次の日、夜に帰宅した赤木の腕には何かに擦ったような傷がついていた。 赤木が傷を作ってくるなんて珍しい。だからこそ見逃せなかった。 「別に」 「転んだのか」 「そういうわけじゃない」 壁に背を預けて座った赤木は、煙草を1本取り出して火をつける。 「ここに来る前に雀荘で打ってきたんだけど、対面に座ってた男がしつこくてさ。俺に負けたのが相当気に食わないみたいで、すごい形相で外まで追いかけてきた」 「災難だったな」 「むしった金を返せば気が済むのかと思ったら、今度はやらせろって言ってきた」 「やらせろ、って……まさか」 「そのまさかだよ。ああいう変わった奴も居るんだな」 変わった奴どころの話じゃない。赤木と身体の関係を持ってる俺が言うのもどうかと思うが、結局そいつは最初から赤木をそういう目で見ていたのかもしれない。 金なんかじゃ気分は治まらない、負けた腹いせに身も心も屈服させてやりたいとか……そこまで考えてみて、寒気がした。 しかし赤木がそんな奴の相手をまともにするわけがない、俺はそう思っていた。 「適当にあしらってたらそいつの仲間まで来てさ。あれこれ難癖つけられているうちに、なんだか面倒になってきて」 赤木がゆったりと煙草の煙を揺らすのを見ながら、俺はとてつもなく嫌な予感がした。話の雲行きが怪しい。 「まあ、とりあえず全員まとめて相手すればいいかと思って。さっさと終わらせてきた」 「なっ……!?」 俺は絶句して、赤木と目を合わせた。その顔には平然とした笑みが浮かんでいる。 「昔からああいう連中の扱いには慣れてるし、今更どうってことないさ」 赤木が路地裏かどこかに連れ込まれて、わけの分からない連中に好きなようにされている光景が頭に浮かぶ。 そうしているだけで俺は苦しいのに、痛めつけられたはずの赤木はどうしてこんなに冷静でいられるのか。 せめて辛そうな顔でもしてくれれば、俺なりに慰めてやれたかもしれない。それなのに、こいつは。 「今日は疲れたから、もう寝るよ。布団敷いてくる」 そう言って立ち上がった赤木の手首を、俺は怒り任せに強く掴んだ。 「ちょっと待て、赤木!」 「……何?」 「どうかしてるよお前、どうでもいいことみてえに平気な顔しやがって!」 「どうかしてるも何も、もう済んだことだしさ」 本当に眠いんだよね、と冷めた調子で言うと俺の手を振り解こうとする。 「お前に絡んできた連中、どこのどいつだ……言えよ」 「そんなこと聞いてどうするわけ、興味無いから名前も知らないし」 それを聞いた直後、俺に突き飛ばされた赤木が畳に転がった。 完治していない肩の傷のことを思い出したが、俺にとってはどこか裏切られた怒りのほうが強かった。 結局こいつは誰にどんなふうに抱かれてもどうでもいいと思っているのだろうか。俺とのことも、そんなふうに思っているとしたら。 「お前のことなんかもう知らねえよ、馬鹿野郎!」 赤木を部屋に残したまま、俺はアパートを飛び出した。階段を駆け降りて、全てを振り切るかのようにひたすら走り続ける。 繁華街まで来たところで立ち止まると、上着を忘れてきたことに気付いた。秋に入ったばかりとはいえ、さすがに夜は肌寒い。 財布も持っていないので、冷えた身体を温めるための熱い飲み物を買うこともできない。 何もかも、泣きたくなるほどひどく疲れてしまった。 今回の件が赤木を抱く前だったら、ここまでショックを受けることは無かった。 きっと赤木は永遠に誰のものにもならない。いつか俺に飽きたら、さっさとどこかへ消えてしまうだろう。 向かいのほうから、数人の若い男が歩いてきた。皆それぞれ目の周りに青アザができていたり鼻血を出していたりして痛々しい。 まともに歩けていない男は仲間の肩を借りて歩いていた。 「あの白髪の薄気味悪いガキ……この人数相手に散々暴れやがって」 「なんであんなに強いんだよ、化け物じゃねえの」 すれ違った時に聞こえてきたその会話に、俺は足を止めた。白髪の薄気味悪いガキ、という部分が引っかかったのだ。 「雀荘で金取られた時点で、関わるのやめとけば良かったんだよ」 「今更遅えよ、くそっ……野郎相手に変な気起こすんじゃなかったぜ」 聞けば聞くほど、赤木の話にしか思えない。まさかこの連中が……? 全員まとめて相手をした、という赤木の言葉を思い出した。怪我をした男達の背中が遠ざかっていくのを、立ち尽くしたまま呆然と眺める。 やがて見えなくなっても、そこからしばらく動けなかった。 全て俺が勝手に勘違いしただけだと気付いた途端、急に恥ずかしくなった。 赤木は、裏切ってなんかいなかった。 アパートに戻ると、部屋の電気は消されていた。 赤木が寝ている布団の隣には、俺の分まで敷いてある。 なるべく音を立てないようにドアを閉めると、一気に身体の力が抜けて玄関に座り込む。 そして赤木のかすかな寝息を聞きながら、声を殺して泣いた。 |