For My Dear... 投げ捨てるようにして畳の上へ置かれたものを見て、煙草を持つ指が一瞬止まった。 そこには分厚い札束が2つ。全部で200万だ。 驚いて言葉も出ない矢木に対し、向かいに座っている赤木は不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。 おそらくギャンブルの類で手に入れたものだろう。とんでもない賭博の才能を持つ、この男ならやりかねない。 代打ちの頃はこれと同等か、それ以上の金額を一晩で軽々と稼いでいた。今となっては遠い昔の思い出でしかないが。 「それ、あんたに全部やるよ」 「何だこの金は」 「最近ずっと飯作ってもらったり、寝泊りさせてもらってるから。その礼だよ」 矢木は目眩を覚えた。赤木が押しかけてくるのは食事時が多いためもう1人分をついでに作っているだけだし、 帰れと言っても全然聞かないので朝まで放っておいているだけだ。 赤木のために、自分は今まで何をしてきたか。温かい言葉は一切かけず、家に来た時は優しく出迎えてやっているわけでもない。 なのに納得できる理由もなく、突然目の前に出された大金を喜んで受け取るような、底の浅い人間だと思われているのだろうか。 心外だった。 「ふざけんなクソガキ!」 札束を投げ付け、怒り任せに叫ぶ。 赤木にとっては何でもないことでも、矢木にとっては屈辱でしかない。 「その金持って、さっさと帰れ!」 「どうしたんだよ矢木さん、いきなり怒鳴ったりして」 「いくら説明しても、お前には分からねえよ!」 「少し落ち着けって、聞いてもいないのに分かるわけないだろ」 冷静に諭すような赤木の言葉を振り切るかのように、口を閉ざして背中を向けた。 わがままな子供以外の何者でもなく、思わず笑ってしまいそうになる。これでは赤木に見下されても当然だ。 いい歳をした大人が取る態度ではない。 「つまり、金以外のものならいいってことか」 囁きと共に、後ろから微かな重みを感じた。赤木が身体を寄せてきたのだと分かると、張り詰めていた何かがあっけなく切れた。 不意をついて赤木を押し倒す。下からの射抜くような強い視線が、矢木をとらえて離さない。 さすが、と言うべきか。こんな状況でも赤木は怯む様子を全く見せず、それどころか逆にこちらが圧倒されそうになる。 「お前の望み通りにしてやるよ、赤木」 見返りを期待したことは1度もなかった。気まぐれな言動に振り回されながらも最後まで付き合ってしまうのは、 心のどこかではそんな状況を楽しんでいたからだと思う。そうでなければ多分、力づくで追い返しているはずだ。 今まで過ごしてきた日々は、決して金に換えられるものではない。しかしそう思っていたのは自分だけだったと痛感する。 できることなら永遠に知りたくなかった。 赤木は猫のように目を細めると、矢木の背中に両腕をまわしてきた。 手馴れたその仕草に驚き、急に怒りの支配が解けて我に返る。 この手の脅しが通じるとは最初から思っていなかったが、やはり逆効果だったらしい。 進むことも戻ることもできないという、最悪の事態になってしまった。 後は動揺しているのがばれないように、ただひたすら虚勢を張り続けるしかない。 「あんたの口から、そんな言葉が出るなんてね」 「……俺を甘く見るな」 「なるほど、面白い。それじゃ何をしてもらおうかな」 「えっ」 「俺の望み通りに……してくれるんだろ?」 後先考えない愚かな行動が、またしても裏目に出たのだ。 誘いに乗っても乗らなくても、結局は赤木のたくらみ通りに事が運んでしまう。 赤木にベルトの金具を外されかけた途端、矢木は弾かれたように身を離した。 畳に押し倒されたままの赤木がそれを見て低く笑う。 「いつになったら覚悟決めてくれるんだか……」 「どういう覚悟だ!」 「言わせるなよ、分かってるくせに」 乱れたシャツを整え、赤木は立ち上がると玄関のほうへ歩いていく。 その様子を黙って見ていたが、再び目が合って無意識に身構えてしまった。 「ひとつ、矢木さんに訊きたいんだけど」 「何だ」 「あんたは俺のこと、どう思ってるんだ?」 唐突な質問だった。 嫌いならこうして家に上げたりはしないし、逆に好きだと言うのもどこか微妙なところだ。 赤木は過去を掘り返す酷いことを言ったかと思えば、親しい友人のように接してきたりとかなり極端だ。 自分を破滅に導いた因縁の相手だという事実も忘れ、気が付くと顔を合わせるたびに軽口を叩き合っている。 一体どういう関係を望んでいるのか、赤木の考えが分からない。 「腹が立つくらい生意気な、クソガキだよ」 「他には?」 「それだけだ」 「……そっか」 ゆっくりと息をついた後、赤木は肩を揺らして笑った。 それが途切れると少しだけ沈黙が流れる。 「相変わらず、目の曇ったキャタピラ野郎」 「はっ?」 「俺にとってのあんたが、まさにそんな感じ」 「それはお前が、いつも言ってることだろ」 「今、改めてそう思ったんだよ」 ろくな挨拶も残さずに出て行く赤木を見送ると、急速に全身から力が抜け落ちた矢木は畳の上に寝転がった。 熱っぽく囁かれた声や、身体が重なった時に感じた赤木の体温が胸によみがえる。 求められて出した答えは、あれで良かったのかと今更ながら思った。 |