しげみと矢木さん・6 数日後の夕方過ぎ、俺のアパートにひとりの女子高生が訪ねてきた。 髪は明るい茶色で、気の強そうな雰囲気。赤木よりも少し年上といったところか。 彼女は、原田かつみという名前の子だった。 赤木から勝負の場所を貸してほしいとしつこく頼まれ、渋々ながら了解したらしい。 アパートから連れ出された俺が外で見たものは黒い高級車で、どんな金持ちかと思っていたら原田さんの父親はヤクザの組長だという。 どうやら俺と赤木は彼女の家……いや、屋敷で勝負をするようだ。 一緒に後部座席に乗ったものの、何を話せばいいのか。 動き出した車の中で、重い沈黙を破るかのように俺は口を開いた。 「ただ知り合いって言ってたけどさ、君って赤木の友達なんだろ?」 「誰が友達や、アホなこと言わんといて」 じゃあどういう関係、とは訊けなかった。彼女は赤木の話になると不機嫌になるからだ。 赤木は友達と言っていたが、原田さんはそう思っていない。これ以上は突っ込めないような、深い因縁の匂いがした。 後は話すことは無いという感じで彼女は口を閉ざした。再び車内が沈黙に包まれる。 しばらくすると、大きな屋敷が見えてきた。仕事柄こういうのは見慣れているはずだが、その大きさに圧倒される。 これから始まる、赤木との勝負のことを考えた。支援者がついているくらいなので、相当な腕を持っているはずだ。 代打ちとして金を稼いでいる俺のほうも、麻雀の腕には自信があった。 ……今日の夜までは。 「矢木さん、それ。ロン」 対面の赤木が、淡々とした宣言と共に手牌を倒す。 全く予想すらしていなかった、西単騎待ち。俺は小さく舌打ちしながら赤木に点棒を渡す。 「どうしたの、顔色悪いみたい」 「別に……気のせいだろ」 「ふーん、それならいいけど」 人数合わせで卓を囲んでいる黒服2人には目もくれず、赤木は俺から当たり牌を引き出していく。 半荘を終えた時点で、点棒の多いほうが勝ち。そういう取り決めの元、俺と赤木の戦いが始まった。 東二局までは赤木に大した動きは無かったが、それ以降はやり方を定めたらしい。 俺だけを狙ってくる赤木から、点棒をむしられていくという最悪の展開になった。 南三局を迎えた頃には、取り返しがつかないほど大きく差が開いてしまっていた。 俺の高い手に赤木が振り込んでくれれば逆転も可能だが、多分それは有り得ない。 赤木はここまで誰にも振り込むことなく、順調に勝ちを重ねている。 一方の俺は不要な牌ばかり掴まされ、どうしても上がりの形に持っていけない。 しかも捨てた牌で何度も赤木に振り込んでしまう。配牌も悪く、今日に限って何故か調子が良くなかった。 このまま行くと負けることは明らかだった。代打ちの俺が、よりによって女子高生相手に。 そしてもう1度でも赤木に振り込んだら終わり、というところまで追い詰められてしまった。 残り少ない点棒のこともあって、赤木が発したリーチの声にも怯える始末だ。 並んだ14牌全てが危険牌に見えてくる。しかしどれかを選んで切らなければならない。 きっと赤木は生涯、賭博に身を投じながら生きていくのだろう。誰にも止めることはできない。 卓についた赤木は容赦無かった。俺のことは対戦相手としか見ていないかのように。 赤木にとっての俺はどういう存在なのだろうか。今のところ、好きとも嫌いとも言われていない。 相手は選んでいるつもり、という言葉にわずかな期待をかけてしまう。愚かなことだと分かっていても。 肩の傷を見た時から、何かが崩れておかしくなった。出会った頃は憎たらしい奴としか思わなかったのに。 ……お前をこれ以上、危ない目に合わせたくないだけだ。そう思うのは間違いなのか? 祈るような気持ちでひとつの牌を切った直後、対面で赤木が手牌を倒す音が聞こえた。 その光景が現実なのか幻なのか、俺にはもう分からなくなっていた。 意識を取り戻した時、いつの間にか布団の中で寝ていた。 周りの雰囲気で、まだ屋敷に居ることに気付いた。一体、誰がここまで俺を運んだのか。 襖が開き、入ってきたのは赤木だった。何も言わずに俺の枕元に腰を下ろした。 ひさしぶりに2人きりになった気がする。喫茶店で会って以来、連絡すら途絶えていたのだ。 「やっと気がついたみたいね」 「俺、一体どうしたんだ」 「勝負がついた後、卓に突っ伏して動かなくなったの。ここまで運んだのは原田の黒服」 「……そうか」 最後に赤木に振り込んだ時点で点棒は底をつき、俺は負けた。 まさか負けたショックで失神するとは思わなかった。情けない。こんなことは初めてだ。 代打ちとしての勝負とは違い、ギャラリーも居なかったのが救いか。 いや、ひとりも居なかったわけじゃない。原田さんが一部始終を横で見ていた。 彼女は赤木が勝ち続けても嬉しそうな顔はせず、勝敗がつくと黙って部屋を出て行った。 まるで、こうなることが分かっていたかのようにも見えたのは気のせいか。 「あんた、自分が言ったこと覚えてる? 負けたらどうするか」 「腕でも足でも……好きなだけ持っていけばいいだろ」 「学校がある日は、車で毎日送り迎えして」 意外な言葉に、思わず呆然とした。約束通り、腕やら何やらを取られるかと思っていたのに。 「私が呼んだら、いつどこに居てもすぐに迎えにきて」 「赤木……?」 「今度からはその手足、私のために使ってよ」 要するに赤木のパシリになれってことか。この代償は高いのか安いのか。 これまでも振り回されっぱなしだったが、今度からは本格的に頭が上がらなくなりそうだ。 「あれ、車で来たと思ってたのに」 高校生達の訝しげな視線に耐えながら校門の前に立っていると、赤木が駆け寄ってきてこの一言。 「さっきまで飲んでたんだよ、運転なんかできるわけねえだろ」 「こんな時間からお酒なんて、あんた暇人?」 「うるせえよ」 赤木との勝負を終えて以来、俺はこいつに好き放題使われていた。 買い物の時の荷物持ちやら、登下校時の送り迎えやら、いつでもどこでも遠慮無しに呼びつけられる。 しかし負けた俺は文句のひとつも出せずに、赤木のわがままに従うだけだ。 結局、平山さんの忠告を無駄にした結果になった。赤木と戦ったことを話すと呆れたような顔をされてしまった。 赤木と勝負をしたこと自体への後悔は無かった。むしろ、やって良かったとすら思っている。 相手の待ちを読む直感の鋭さと、危険な牌を堂々と切ってくる度胸。誰にも真似できない打ち筋だ。 近い将来、赤木はとてつもない博徒になる予感がした。俺なんか足元にも及ばないほどの。 ギャンブルをやめさせることはできなかったが、これからも見守ることくらいはできるはず。 「今日の夕飯、ゆきこの家で食べていこうか」 「でも平山さんって彼氏と住んでるんだろ。気まずくね?」 「あんたも連れていくって言ってあるから大丈夫。そろそろ行くよ」 「何が大丈夫なんだ……って、こら待て!」 赤木は俺の手を握ると、そのまま早足で歩き始める。 繋いだ手の温かさ。それは初めての時よりも、ずっと強く感じた。 |