気持ちの距離 「矢木さん、何か感じない?」 「えっ」 赤木の問いかけの意味が分からずに間抜けな声を出してしまった直後、突然部屋が揺れ出した。 天井から下がっている電灯のひもが左右に揺れる。地震なんて何ヶ月ぶりだろうか。 この自然現象だけは防ぎようがないので困る。もっと強い揺れが来たら、こんな古いアパートなんてひとたまりもない。 「おい赤木、玄関のドア開けてこい」 「ドア?」 「地震で歪んだら開かなくなるからだよ、早く!」 焦った俺とは正反対に、落ち着いた様子で立ち上がった赤木は玄関に向かっていく。 そんな時、棚の上に置いてあった大きな箱のようなものが揺れて、落ちかけていた。 今あれが落ちたら、赤木の頭に……。 とうとう箱が落下したのを見て、とっさに身体が動いた。 「赤木!」 振り向いた赤木に飛びついて抱き締めると、その勢いでふたり揃って畳の上に倒れこんだ。 俺の背中に箱が落ちてきて、感じた痛みで小さく声を上げた。中に何を入れていたかは忘れたが、思ったほどの強い衝撃はなかった。 しばらくそのままの状態でいると、やがて揺れはおさまった。 安心して赤木から離れようとした途端、背中に両腕をまわされる。 身体が密着して心臓が高鳴った。 「まさかあんたに守られるなんてね、驚いた」 「……別に深い意味なんてねえよ」 「あんた、俺のこと好きなんだろ」 「何だよ急に」 「前に言ってたからさ」 自分ばかりが気持ちを知られているのは恥ずかしい上に、どこか悔しい。 強制されたわけでもないのに言ってしまったのは失敗だった。 赤木は俺のことをどう思っているのだろう。訊ねたことはあったが、はぐらかされたままだ。 言葉も行動も常に一定のテンションなので、気持ちが読みにくい。 「お前は……どうなんだ」 「何が?」 「赤木は俺のこと、好きなのか?」 そう訊ねると赤木は何度か瞬きをした後、薄い笑みを浮かべた。 今日こそは逃がさないつもりだった。 たとえ気まぐれでも俺を誘ったり、ためらいなく受け入れたりするのは好意を持っているだからだと、どこか自惚れていた。 「嫌いではないよ、あんたと初めて会った時からね」 いつもと変わらない口調で出てきたその言葉に、俺は愕然とした。 こんなに毎日一緒に過ごしてきて、大きな声では言えないようなことも何度かやってきたのに、 6年前のあの夜と気持ちは全く変わっていないのか? 結局今まで、俺ひとりだけが盛り上がっていたってことか。馬鹿げている。 赤木の身体を強引に押しのけて離れると、背を向けて座った。なんとか冷静になろうとしたが無理だ。 「俺の答え、納得行かなかったみたいだね」 口を閉ざしたまま、赤木の問いには何も答えなかった。答える気にもなれない。 俺の勝手な思い込みや勘違いで赤木と気まずくなったことは、何度もあった。 それらは面と向かって話し合うことで誤解が解け、今日ここまで乗り越えてきたのだ。 しかし今回のは誤解でも何でもない、赤木の口からはっきりと出た言葉だった。 人を信用するな、と子供の頃の赤木に言われたのを今でも覚えている。 確かに覚えていたが、こういう色恋沙汰と麻雀の勝負は別じゃないのか。 結局、色恋沙汰だと思っていたのは俺だけだったが。 もしかすると、赤木の気持ちなんか知らないほうが幸せだったのかもしれない。 「あんたを傷つけるつもりじゃなかったんだけど」 「……じゃあ、どういうつもりだ!」 我を忘れて怒鳴りながら振り向くと、赤木は静かな表情でこちらを見ていた。 多分怒りをむき出しにしている俺から、少しも目を逸らさない。いつも通りに。 「俺の気持ちを知りたかったんだろ、だから答えた」 「そうか……」 「それとも何か、別の答えを期待してたの?」 「うるせえよ!!」 俺は赤木を畳に押し倒すと、その上に覆い被さった。 どうしてこいつは俺の心を読んだかのような、そしてそれを簡単に突き崩すような言い方ができるんだ。 これからもずっと、赤木のことを大切にしたいと思っていたのに。 赤木はこんなにそばに居るのに、何故か遠く感じる。ひとりで熱くなっていた俺と、いつでも冷めている赤木の気持ちは距離が開きすぎていて埋めようがない。 「この後、どうするつもり?」 「え……」 「腹いせに犯したいとか殺したいとか、その両方でも。あんたの好きにすればいい」 「赤木、お前……自分が言ってること、分かってんのか?」 「あんたと再会して、家に寄るようになってからすぐの頃かな。矢木さんに首を絞められたことがあってさ。覚えてる?」 近いようで遠いような記憶をたどってみる。赤木との簡単な賭けに負けた俺は、こいつに押し倒された。 6年ぶりに再会したばかりだったその頃は赤木に触れられることすら恐ろしくて、そんな気持ちに耐えられずに首を絞めたのだ。 赤木を殺したところで、惨めな過去が消えるわけではない。そう思って、途中で手を離した。 首を絞められても赤木は少しも抵抗しなかった。それだけが不思議だった。 初めて対面した夜、俺の脅しにも揺るがなかった赤木は死ぬことすら恐れていないのか。 「俺は恨まれているだろうし、あんたの近くに居ればああいうことが起こってもおかしくない。 それでも、離れる気にはならなかった……どうしてだろうね」 「……どうして、って訊かれてもな」 「俺自身、うまく考えがまとまらなかった。今でもそうだ。あんたになら、どんなことをされても構わないと思ってる」 どこか流れがおかしくなってきている。赤木を押し倒した体勢のまま、何もできずにいた。 「だからきっと俺にとってのあんたは、特別なのかもね。もし再会してなかったら、こんな気持ちにはならなかっただろうけど」 「赤木……」 期待していたようなストレートな答えではなかったが、赤木からここまでの言葉を聞けたことでようやく安心できた。 それまでの怒りが嘘のように静まり、身体中の力が抜けていった。赤木の胸に顔を埋める。 「矢木さん、重い」 「えっ、ああ……悪いな」 「あと少しだけなら、このままでもいいよ」 身を起こしかけた俺に、赤木は目を細めて静かに呟いた。 そんな赤木の言葉に甘えるように、再び身体を寄せて衣服越しにその温もりを確かめた。 |