緊急事態



赤木が自分の煙草を口に咥えるのを見て、俺はそれを取り上げた。
正面から向けられる、あからさまに冷たい眼差しに気付かない振りをする。

「こんな時に何やってんだよ」
「別に……いつも通りに振る舞ってるだけ」
「こういう場合って慌てたり焦ったりするもんだろ、普通は」
「慌てたり焦ったりしても、解決することじゃないと思うけど」

取り乱しているのは俺だけか。いつもそうだ、どんな時でもこいつは憎らしいくらい冷静だ。
赤木から奪った煙草を持つ指が震える。
まさかこんな馬鹿げたことが現実に起こるとは。それともこれは夢なのか?

「それ吸って、少し落ち着きなよ。矢木さん」

幼さを残した顔立ちの中、大きめの目が俺を見上げてきた。
初めて逢った夜もそんな目をしていたな、と思う。6年も前の遠い記憶がよみがえってくる。
長い指がマッチを擦るその動作を、煙草を咥えたまま何も言わずに眺めた。
ここに居るのは、13歳の赤木そのものだった。
朝、こいつを起こそうとして布団をめくると、いつもより小さな身体がそこにあった。
着ている半袖のシャツがやけに大きく見えた。髪も短い。どこか幼い寝顔。
何故こうなってしまったのかは分からない。横で寝ていた俺も気付かなかった。
自分の姿を鏡で確認した赤木は一瞬だけ驚いたような顔をした後、苦笑して肩をすくめた。
どうしてだろうね、と静かに呟く赤木。当の本人よりも俺のほうが何倍も動揺しているという始末だ。
昨日までの記憶はあるようなので、身体だけが6年前に戻ってしまった。

「お前だってそのままじゃ、困るだろ」
「さあ……今のところはまだ、そういう状況にはなってないし」

この部屋を出たら、赤木に絡んでくるおかしな連中に出くわす可能性だってある。
いつもなら無傷で片付けられるはずだが、子供の身体ではどうなることか。
いや、でも今はこの姿だから向こうも気付かないかもしれない。
あれこれ考えながら灰皿に煙草を押しつけると、俺の背中に赤木が身体を寄せてきた。
肩にその手が触れ、耳に唇とかすかな息遣いを感じる。

「もし、俺が不安だって言ったら……どうするの?」

どこか甘い声で囁かれる。声の調子まで子供の頃に戻っているようだ。
俺にとって13歳の赤木は、あまり良い思い出が無い。まさしく人生を狂わされたからだ。
薄皮1枚剥いだその奥には、魔物が宿っているとすら本気で思った。確かあれは勝負の最中だったか。

「今はこんな姿だけど中身は、あんたが好きだって言ってくれたいつもの俺だからさ」
「何が言いたいんだ……」
「あんたはきっと、その気になるよ。俺を抱きたくなる」

その言葉に心臓が高鳴ったが、何とか落ち着こうとした。
さすがに子供の身体をどうにかする気にはなれなかった。罪悪感ばかり募って、気持ち良くなるどころじゃない。
それでも心が揺れそうになったが、昔ひどい目に遭った時のことを思い出して乗り切ることにする。
白痴だとか言われて馬鹿にされ、稚拙な策略に引っかかって恥をかかされた。
だから13歳の赤木に欲情するなんて有り得ない。19歳に関してはもう何も言えないが。

「あんたが初めてだったよ」
「え……?」
「あの時まで、誰も受け入れたことは無かった」

赤木を初めて抱いた時のことは、今でも覚えている。
怖がったりためらったりしているようには見えなかったので、他の男とも経験があると思っていた。
嘘か本当かはともかく、今になってそんなことを言い出す赤木の狙いは何だ。

「めったに無い機会だと割り切って、楽しんでもいいんじゃないの」
「こんな朝早くから、そんな気になれねえよ……」
「朝だからできないなんて、調子のいい言い訳だぜ」

それ、前にも誰かに言ってなかったか?
記憶が曖昧なのは、こいつに惨敗して呆然としていたからだと思う。
前にまわりこんできた赤木と俺の唇が触れ合った。

「……もう1回、しよう」

そう囁いた赤木に、今度は深くくちづけられた。そんなつもりは無かったはずが、時間が経つにつれておかしくなっていく。
どんなに頑張っても、結局は赤木の思い通りになってしまう。悔しい。
赤木の髪を撫でると、こちらへ抱き寄せる。

「こんな時にまで……いやらしい奴だな、赤木」
「やっとその気になった?」

小さく笑う赤木にもう1度くちづけると、その身体を敷いたままの布団に押し倒した。




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2006/11/17