親には内緒





ここでいいよ、と言いながら赤木は繋いでいた手をゆっくり離した。
立ち止まったのは曲がり角の手前で、赤木の自宅らしいものは見えない。知られたくない理由でもあるのだろうか。
名残惜しさを悟られないように冷静な振りをしながら、矢木は離れていく手を目で追う。

「たまには顔を見せに帰らないとね」
「週に何度か帰ればいいって、どれだけ放任主義な親だよ」
「まあ、色々事情があるということで」

赤木は深い部分まで説明せず、ただ低く笑った。
どこか幼さを残した外見からは想像できない計り知れなさに、たまらなく惹かれる。以前はそれがひたすら恐ろしかったのに。
両手を伸ばしてきた赤木に誘われるように、身を屈めて細い身体を抱き締める。辺りは暗く人の気配も感じられないので、遠慮もなくやりたい放題だ。

「俺が居なくて寂しいだろうけど、一晩だけ我慢しなよ」
「誰が寂しいって?」
「あんただよ、矢木さん」

背伸びをした赤木に不意打ちで唇を奪われた。温かく柔らかい感触に胸が熱くなる。 唇が離れた後、今度はこちらからもくちづけた。家の中なら舌まで使っていたが、今は唇を軽く重ね合うだけで満たされてしまう。
これ以上甘い雰囲気になると無理にでもアパートに連れて帰りたくなるので、魔が差さないうちに退散することにした。
小さく手を振る赤木に背を向けて数歩前に進んだ後、そっと振り向いてみるとすでに赤木の姿はなかった。
思わず深いため息をついてしまった理由は、あえて考えないことにする。


***


翌日の夕方、アパートの玄関に姿を現した赤木を見た矢木は驚いて言葉が出なかった。
砂埃まみれの白いシャツ、手や腕についたかすり傷、そして荒くなっている呼吸。赤木にしては珍しく、だいぶ疲労しているようだ。

「どうしたんだ、その格好」
「ちょっとね」

何事もなかったかのように赤木は、シャツについた砂埃を払い落としてから部屋に入ってくる。 同級生と喧嘩でもしたのだろうかと思って眺めていると、何となく違和感を覚えた。

「ごまかすな、話せねえ理由でもあるのか」
「ただの揉め事だよ、もう済んだ話さ」
「そうか」

矢木は畳から起き上がると赤木に近づき、真正面に立った。少しの間無言で見下ろしていると、赤木のほうも負けずにこちらへ強い視線を返してくる。

「ただの揉め事でベルトの金具が外されたり、シャツのボタン千切られたりするかよ!」

部屋の隅々にまで響くような怒鳴り声を上げて、赤木の両肩を掴んだ。 我ながら細かいところまでよく見ていると思う。しかし気付いてしまったものは仕方がなかった。ならば気付かなければ幸せだったのかというと、決してそうではない。
赤木は何があっても矢木に泣きついてきたりはしない。自分のことはあまり話さないので、疑問を感じたらこちらから聞き出さないと知らないまま終わってしまう。

「知らないおっさんが声かけてきて、空き地に連れて行かれた」
「……そいつに、やられたのか」
「いや、脱がされる前に逃げてきたけど。男が好きなら一発やらせてくれってさ」
「知らねえ野郎が何で、初めて顔合わせたお前の好き嫌いの話まで分かるんだ」

そう問うと、赤木は目を伏せて口を閉ざした。どうしても気になったので肩を揺すって少し強引に答えを求める。

「昨日の夜、俺があんたと抱き合ったりしてるのを見てたって」

赤木の静かな調子での一言に、身体中の血の気が引いていくのを感じた。誰も見ていないと思って油断していたのが悪かったのか、全て見られていたようだ。
気を抜いていたせいで、赤木をこんな目に遭わせた。もし最後までやられていたらと思うと頭がおかしくなりそうだった。

「警察行けよ、赤木。不安なら俺もついて行ってやるから」
「女ならともかく俺は男だし、警察もそれほど動かないんじゃない」
「そんなことねえよ」
「それに、これが親に知られると厄介だ。俺が忘れるのが一番いい」

いくら他人に見放されても最後まで味方になってくれるはずの存在を、全く頼りにしていない。まだ子供なら周りの大人に甘えても許されるのに。 赤木はどこにでもあるような普通の家庭だと言っていたが、実は複雑な関係なのかもしれない。
更に赤木は、警察であの刑事が出てきたら面倒なことになるだの何だのと呟いた。

「これは俺の家庭の事情だから、分かってよ」

そう言われても全然分からない。被害者の赤木よりも、話を聞いただけの矢木のほうが何倍も動揺していた。
明らかに子供に手を出している矢木を脅迫するのではなく、力ずくで押さえ込めば優位に立てる中学生の赤木を狙うという汚さが許せない。

「俺から誘ったとは思わないの?」
「……それを信じたくない俺の身にもなれよ」

いつまでも立たせておくわけにはいかないので、傷の手当てをするために赤木を卓袱台のそばに座らせると棚の上を探って薬箱を出した。


***


数日後、新聞の隅に気になる記事を見つけた。
小中学生の男子生徒ばかりを狙って、いかがわしい行為をした男が逮捕されたというものだった。 実名と共に載っていた顔写真は普通の会社員風の男で、犯罪に手を染めるような雰囲気は感じられない。

「そいつ、この前俺を襲った奴だ」

矢木の背後から新聞を覗き込んできた赤木が、写真の男を指差した。
もし自分が赤木だけではなく、今回の犯人と同じように見境なく男子生徒に興味を持つような趣味だとしたら、きっと同じ運命をたどるのだろうと思った。




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2007/11/14