カラオケボックス 「何か飲むか?」 「お茶」 「お茶、って……ウーロン茶しかねえぞ」 「じゃあ、それでいい」 曲目が載った分厚い本やリモコンには触れぬまま、赤木は目の前のテレビ画面の映像を眺めながら返答してくる。 画面では、ブレザーを着た青年ふたりが、どこか懐かしい感じの曲を歌いながら踊っていた。 いじめられっこの女子高生をクラスの人気者にする、という内容のドラマの主題歌だったらしいが、タイトルは忘れた。 部屋の壁に備え付けてある受話器を取ると矢木は、電話の向こうの店員に『ウーロン茶ふたつ』と注文を伝える。 「あんたも同じのにしたんだ」 「悪いかよ」 「別に」 赤木の向かいにあるソファに腰を下ろし、『今月の新譜』と書かれた薄い本を手に取って適当にめくっていく。 最近は新しい歌手やグループが次々に出てきて、40代を間近に控えた自分はついていけない。 しかも彼らの名前は英語やカタカナばかりだ。どうなっているんだ日本人のくせに。 昼間のカラオケボックスは空いていて、待たなくてもすぐに部屋へ通された。 矢木はカラオケが特別に好きというわけではなく、赤木が行ってみたいと言うので付き合っただけだ。 今時の若者で、カラオケに行ったことが無いのはかなり珍しいと思う。それに赤木がマイクを持って歌っている姿すら想像できない。 やっぱりその辺の若者とはどこかずれている。髪の色やリアクションの薄さとは違う、根本的な何かが。 とりあえず歌わないと、後で払う料金が無駄になる。まずは自分が手本を見せなければ。 曲の探し方や予約の仕方が分からないと話にならないからだ。 それらを簡単に説明しながら、本で探した曲の番号を機械へ打ち込んで転送する。 画面に曲のタイトルが表示され、前奏が流れ出す。何度か歌ったことのあるものなので、まず問題ない。 だが、いつも通り長い英語の部分はわざと歌わずに無言で流した。 それまでは普通に画面を見ていた赤木が、急にこちらに向けてきた視線が痛い。 間奏20秒という表示が画面に現れ、喉を潤すためにウーロン茶へ手を伸ばそうとした時。 「なあ矢木さん、ちょっと質問いい?」 「え?」 「さっきのところ、何で歌わなかったの」 「……」 「何で歌わなかったの」 「どうでもいいだろ、別にっ……!」 「分からないところがあったら質問しろって言ったの、あんただろ」 間奏が終わり、画面には再び歌詞が出てきた。 しかし赤木は全身から『逃がさない』オーラを漂わせていて、何事も無かったかのように歌う気分にはなれなかった。 テーブルに置いてあるリモコンを手繰り寄せて演奏停止のボタンを押し、矢木は赤木に向き直る。 「歌わなかったんじゃなくて、歌えねえだけだ!」 「へえ……もしかして、歌詞が英語だったから?」 「ああそうだよ、詰まったりついていけなかったりしたら恥ずかし……」 言うつもりの無かった本音が出てしまい、頬が熱くなった。 歌わなくても、演奏だけは消さなきゃ良かった。隣の部屋からかすかに聴こえる歌声が、空しさに拍車をかける。 「やっぱりね……案の定、ひねた歌い方」 そう言って赤木は低く笑い、更に続けた。 「ひたすら格好つけることばかり考えてきた人間の発想、やせた考え」 「お前っ、黙ってれば好き放題言いやがって!」 「さっきのやつ、もう1回な」 こちらの怒りをよそに、赤木は教えた手順通りにリモコンを操作して、数分前に矢木が歌っていた曲を入れた。 気分を落ち着けるために、深く息をつく。 ……またやってしまった。赤木の前では、余裕のある大人を演じることができなくなる。 最初から誰かの手本になれるような生き方はしていない。 赤木に教えることなど何も無いと思っていたところに今日、カラオケの話題が持ち上がった。 これなら少しだけ赤木より優位に立てるのではと期待していたが、それは見事に崩された。 仲間内なら暗黙の了解として見逃してくれるはずの部分を指摘され、どうすればいいのか分からなかったのだ。 歌っているうちに、またあの歌詞が近づいてきた。もう無言で流すことはできない。同じことの繰り返しになってしまう。 意を決して口を開いた時、もうひとつのマイクにスイッチが入った。 矢木を散々悩ませた英語の歌詞を、赤木が代わりに歌い始めた。 控えめな声量だが、曲のリズムに合っていて、しっかり形になっている。 「どこで覚えたんだ、この曲」 「あんたが持ってるCDを時々聴いてたから。それだけ」 いつの間に、と驚いた。矢木が仕事へ行っている間、部屋でひとりになった時に聴いていたのかもしれない。 日本語の歌詞になると、自然な流れで矢木の番になった。 もしかするとこれはデュエットってやつだろうか。 |