落下地点 アパートの階段を上がりきると、ドアの前で赤木が膝を抱えて座っていた。 矢木はため息をつくと身を屈めて、赤木と目線の高さを近づけた。 「おい、何やってんだお前」 「鍵が開いてなかったから、あんたが帰ってくるの待ってた」 制服らしき白いシャツは砂だか土だかで薄汚れ、腕や顔には小さな擦り傷がある。 あれほど度胸の良い赤木がいじめられている様子は想像しにくいので、喧嘩か何かでついた汚れだろうと思った。 「ったく、他に行くとこねえのかよ。俺にくっついてきても面白くも何とも……」 文句を呟きながら鍵を開けて中に入ると、赤木も当然のような顔をしてついてきた。 ひとり暮らしの男の家に中学生が出入りしているなんて、近所の住人から見れば不審に思われそうだ。 それでも傷だらけの姿を見ると無理に追い返すことはできない。 しかも相手は子供だ。いきなり素手で襲いかかってきても余裕でかわせる。あと5、6年も経てば立場が逆転しそうで恐ろしいが。 もし払えなかった金の代わりに指を要求してきた場合、こちらから仕掛けた取り決めなので従わなければならない。 赤木がそれをいつ、どんな気まぐれで言い出すか分からない。とりあえず覚悟はしておいたほうが良さそうだ。 傷の手当てをした後、卓袱台を挟んで赤木の向かい側に腰を下ろす。 シャツについた汚れは玄関で払い落とさせ、元通り真っ白とまではいかなくとも多少はましになった。 「そういえば、この前のことだけど」 「この前って?」 「あんたが教えてくれた、自分の身体を慰める方法」 何でもないことのように赤木がそう言うと、矢木は返事に詰まった。 あの時の自分はどうかしていた。以前は仕事の都合で敵対し、ある日突然家に転がりこんできた子供にあんなことを教えるなんて。 教えるだけではなく、欲情までしてしまった。 麻雀で素人相手に負けた出来事に続いて、矢木にとっては第2の黒歴史になりそうだ。 「あれからひとりでやってみたけど、あまりいいものじゃないね。出した後は疲れるし」 「まあ、そうだろうな。たまってたものが全部出たら、そりゃあ気も抜けるだろ」 「矢木さんに触ってもらった時は、あんなに気持ち良かったのに」 「……言っておくが、もうやらねえからな」 話が妙な方向へ流れていく気配がして、拒絶の言葉でそれを断ち切ろうとする。 赤木と普通に会話するだけならともかく、思春期の性教育までするつもりはない。 まるで菩薩のように温かく懐の深い人間なら優しく教えてやれるだろうが。 「ねえ、俺のこと恨んでる?」 「何だよ急に」 「俺に対して刺々しいのは、そういう理由だと思ってさ」 問いかけてくるその表情は怒りや悲しみではなく、興味深々といった様子だった。 それを見てどこか苛立ちを覚える中、赤木は更に追いうちをかけてくる。 「この前のお返しに、今度は俺が矢木さんを気持ち良くしてやろうか」 「いらねえよ、ガキのくせに変な気起こしやがって」 「そのガキにキスしたのは、どこの誰だよ」 ああ俺だよ、と矢木は苦々しく胸の内で呟いた。 あの時は赤木が意外な一面を見せたから、うっかり気を許してしまったのだ。 態度が刺々しくなるのは普段の赤木の言動が生意気で、ただ単純に憎たらしいからだ。 過ぎたことを引きずって子供に八つ当たりしても、失った信頼や自信は戻ってこない。 窓の外を見ると、空はいつの間にか夕焼けから薄闇に染まっていた。 「もう遅いから、そろそろ帰っ……」 その言葉は身を乗り出してきた赤木の唇にふさがれ、最後まで続かなかった。 急なことだったので目を閉じる暇も与えられず、子供にしては整った顔立ちや色白の肌、そして重なった体温を意識せずにはいられない。 突き放そうとして赤木の細い肩に触れた手が何故か離れず、くちづけを受け入れたような格好になってしまった。 ようやく唇が離れると、赤木は薄く笑みを浮かべた。 「そういえばさっき、何か言いかけてなかった?」 頭がぼんやりして、ただ黙って赤木のほうを見ることしかできない。 「野暮なこと言わないで、まだここに居させてよ」 「お前……どういうつもりだ」 「卓袱台越しだと遠いから、もう少しそばに行ってもいいよね」 赤木は矢木の正面まで来ると、首に両腕をまわしてきた。逃げられない。 この前のような展開を避けるために距離を置いていたのに、全て無駄になってしまった。 矢木に好意を持っているのか、それとも暇潰しにからかっているだけなのか。 間違いなく後者だろうと思い理性を保とうとしたが、甘えるように身を寄せてくるせいで心を乱された。 呼吸を乱す赤木の口から滑り落ちた矢木の性器は、唾液に包まれて更に硬さを増していた。こぼれた滴が、着たままの服に染みを作る。 何を思ったのか手を使わずに、唇の動きと舌だけで勃たせようとしているらしい。 拙い動きのせいで、敏感な部分をなかなか刺激されない。わざとじらされている気分だ。 「あんたこそ最近抜いてるの?」 「どこかの誰かがしつこく押しかけてくるから、そんな暇ねえよ」 「あっそう、じゃあ今から全部出しちゃえば」 手伝うからさ、と言って赤木は喉の奥あたりまで深く咥え込み、そのまま濡れた音を立てて扱く。 股間に顔を伏せた赤木の白い髪が揺れる度に、絶頂が近づいた。 「歯が当たってるぞ、痛えよ」 「初めてなんだから仕方ないだろ……こんなにでかくしといて、素直じゃないね」 赤木に舐められ、吸われているうちに性器は痛々しいほど膨れ上がっていた。いつ射精してもおかしくないほどに。 「やっぱり初めてだったのか……」 「誰彼構わず咥え込んでるとでも思ったの?」 「もしそうなら、もっとうまくできるだろ」 「まあ、確かにそうかもね」 性器に手が添えられていないせいで、赤木の唇や舌が生々しく動いていくのがよく見える。 こんな子供に振り回されている自分が情けない。 可愛げのない言葉、稚拙な愛撫、そして少し前まで自慰も知らなかった子供にここまで追い詰められるほうがおかしい。 性器の根元にある柔らかい部分まで指先で撫でられ、思わず息が震えた。 「我慢しなくていいよ、矢木さん」 やがて赤木の顔に熱い精液が飛び散るのを、どこか空虚な気持ちで眺めた。 これで落ちるところまで落ちてしまったのだと思いながら。 淡い月明かりと街灯を頼りに、夜道を赤木とふたりで並んで歩く。 手を繋ぐことまで要求されてしまい最初は渋ったが、先ほどの出来事で負い目を感じて結局言うとおりにした。 握った手は温かく柔らかい。そこは13歳の子供らしいと思った。 「さて、明日は久しぶりに学校でも行くかな」 「まだ中坊なんだから、ちゃんと行っとけよ」 「ふーん……たまにはまともなこと言うんだね、あんた」 絶対これ馬鹿にしてるよな、と矢木は密かに嫌な顔をした。 赤木に見下されているのは、薄々と感付いていた。自分は敗者なのだから仕方がないと諦めるべきなのだろうか。 「昔のあんたは学校行ってたの?」 「俺の頃は戦争で国中が慌しかったし、徴兵もされたからな」 「戦地に行って、怖くなかったのかい」 「そのことはもう思い出させるなよ……頼むから」 そう言うと、赤木の小さな手を握る力を無意識に強めた。赤木は何も言わず、前を見て歩き続けている。 戦争で家族や友人を失い、終戦の頃にはひとりだけ生き残ってしまった。今考えると運が良かったのか悪かったのか分からない。 「この辺でいいや」 そんな言葉と共に、矢木の手から温もりが離れた。 「ここからはひとりで帰るよ」 「大丈夫か?」 「多分ね」 街灯の下で笑みを残し、赤木は曲がり角の陰に消えて行った。 部屋でいかがわしいことをしたのが信じられないほど、別れ際はあっさりとしていた。 もう赤木の誘いに乗ったりはしない。あれ以上は本当に冗談では済まなくなる。 ……その夜に矢木が見たのは、布団の上で全裸の赤木を組み敷いている夢だった。 痩せた子供の身体にくちづけて、意地も理性も何もかも捨てて激しく求め合う。 夢の中の矢木は、歳の離れた赤木のことを本気で好きになっていた。 それは近い未来に起こることのような気がして、次に赤木と会う日が怖かった。 |