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すれちがい 「あんた、この家にひとりで住んでるの?」 箸と茶碗を手に、卓袱台の向こうに居る赤木がそう問いかけてきた。 こうして赤木に夕飯まで出してやる羽目になるとは思わなかった。誰かのために食事を作ったのは本当にひさしぶりだ。 「ああ、ずっとひとりで住んでる」 「俺も似たようなものかな」 「お前、家族居ねえのかよ。ちゃんと飯作ってもらってるんだろ」 「さあね」 赤木は必要以上に自分のことを語らない。わずかな情報も与える気はないようだ。 結婚すらしていなくて正解だった。赤木に負けてから仕事も何もかも失い、しばらくは放心状態となった。 とても自分以外の人間の生活まで支える余裕は残されていない。 「矢木さん、今夜泊めてくれない?」 「えっ」 「よく分からないけど、帰りたくない気分なんだ」 赤木はそう言うと、使い終わった食器を台所まで持っていく。妙なところで礼儀正しい奴だ。 小さな後ろ姿を眺めながらも動揺を隠せなかった。 よく分からないという気まぐれな理由で、こんなに心を乱されてしまってはたまらない。 「飯食った上に泊めろなんて図々しいぞ、布団も1組しかねえし」 「じゃあ一緒に寝れば問題ないよね」 「お前って奴は、本当に……」 矢木は深いため息をついた。そもそも惨めに負けた自分が、ここまで懐かれる理由がいくら考えても思い当たらない。 懐かれているというより、家に帰りたくないので無料の宿として利用しようとしているだけかもしれないが。 赤木と再会してから起こった様々な出来事が、ものすごい速さで頭によみがえってきた。 自慰を教えたり性器を舐めさせたり、ろくなことがない。まさかこの次に待っているのは……と想像しただけで嫌な電流が走った。 まるで友達の家に泊まるかのような気軽なノリで言ってくるのが、とても憎たらしい。 布団が入っている押入れを勝手に開ける赤木を、もはや止められなかった。 同じ布団の中、赤木に背を向けて目を閉じる。 想像していた通り、かなり窮屈だった。狭い布団から身体がはみ出て肌寒さを感じた。 赤木が何かしてくるのではと思い不安だったが、何事も起こらないまま時間が過ぎていく。 ようやく眠りについた頃、どこからか物音がして目が覚めてしまった。 隣で寝ているはずの赤木の姿がない。便所の明かりがついているので、どうやら用を足しているようだ。 そう思っていると、かすかに声が聞こえてきた。抑えたような、小さな声が。 もしかして腹が痛くて苦しんでいるのかもしれない。世話が焼けると思いながら便所のドアに近づいた途端、聞こえてくる声が 何かおかしいことに気付いた。腹の痛みなんかで、こんなに甘い声が出てくるはずがない。 開いたドアの隙間から中を覗くと、下着を足首まで脱いだ赤木が自らの性器を扱いていた。 壁に背を預けて床に座り込み、俯いたままひたすら手を動かす。声や息遣いがひどく生々しかった。 切れかけた電気の灯りが、濡れた赤木の性器や手を淡く照らしていた。狭い空間なので、そんな様子がはっきりと見える。 赤木が身を捩るたびに、足首に引っかかった下着が引きずられるように動く。 顔を上げた赤木と目が合いそうになり、矢木は慌ててその場を離れた。そして頭まで布団を引き上げながら、中を覗いてしまったことを ひどく後悔した。それとは別に、淫らで薄暗い感情まで生まれてきて辛かった。 やがて戻ってきた赤木が、再び布団に入ってくる。相変わらず背を向けているので、細かい様子までは見えない。 「さっきの見てたんだろ、矢木さん?」 「……」 「まあ、別に見られてもいいけどね」 からかうような小さな笑い声。普通なら他人には見られたくないはずの行為、赤木とは考え方が何もかも合わないようだ。 「こうして一緒に寝てたら、おかしな気分になってきてさ。でも結局、満たされたのは身体だけだった」 「……身体が満たされたなら、もうそれでいいだろ」 「ひとりじゃ生み出せない熱さが欲しい」 赤木はわけの分からないことを言いながら布団を剥がすと、矢木の腰の辺りに馬乗りになってきた。 一体これはどういうことだ。この先の展開は、あまり考えたくなかった。 「あんたはかなり鈍いみたいだから率直に言うけど、今ここで俺を抱いてほしい」 率直すぎるその言葉が、何かの聞き間違いであることを願った。 こんなに幼いうちから、他人と身体を重ねる必要はない。ほんの数日前までの赤木は、自慰の仕方すら知らなかったのだ。 赤木の本心もはっきりしないまま深い関係になってしまえば、きっと後悔する。振り切るなら今のうちだ。 「ガキの気まぐれに付き合うのはもうたくさんだ、早く離れろ」 「嫌だ」 「お前は……自分の欲望さえ満たせれば相手の気持ちはどうでもいいんだろ。人のことなんて全然考えてねえんだよ!」 あの夜だって、と言ってそこで止めた。 矢木の意思を無視して勝負を続行しようとした赤木。もし刑事が割って入ってこなかったら、こちらの傷は更に深くなっていたに違いない。 「あんたを傷付けるつもりはなかったんだけど」 「じゃあどういうつもりだ!」 「ただ、もっと続けたかっただけ。互いの全てを削り合うような勝負を」 赤木はこの歳にして賭博で勝って手に入る大金よりも、そこまでの経過を純粋に楽しむことを覚えた。 元からそういう素質はあったのかもしれないが、雀荘での戦いで目覚めたというわけか。 「よく聞け赤木、代打ちやってた頃の俺は相手が完全に立てなくなるまで追い詰めることはしなかったし、 いつも勝負の熱に飢えているわけじゃなかった。とにかく俺は、お前の考えに共感はできない違う種類の人間なんだ」 「……何が言いたいわけ?」 「だから、ひとつにはなれねえんだよ。俺と一緒に居てもお前は満たされないし、得るものなんて何も」 「俺と全く同じ種類の人間なんて居ないよ」 矢木の言葉を遮ってそう告げた赤木は、ひどく静かな表情だった。まっすぐにこちらを見下ろしている。 「理解を求めたことなんてない。違う種類の人間が一緒になれないなんて誰が決めたの?」 いくら突き放しても効き目がない。1度めちゃくちゃにされないと分からないのだろうか、という酷い考えまで浮かんだ。 赤木の痴態や誘いの言葉が、ここ数日ずっと頭から離れずにいた。 子供で、しかも憎いはずの相手に本気になるなんて馬鹿げているのに。 間違いを起こしてしまわないうちに、赤木とは少し距離を置いたほうがいいのかもしれない。 小さな身体の重みを感じながら、矢木は密かにそう決意した。 |