続・解放の瞬間 「どいつもこいつも、ふざけるな!」 激しい怒りに支配された矢木は、声を荒げながら安岡の襟を両手で掴む。 通りすがりの入院患者や看護婦が、驚いたようにこちらへ視線を向けてきた。 しかし今はそんなことを気にしている場合ではなかった。 「あいつを金儲けの道具なんかにしやがって!」 安岡は怒ったり慌てたりはせず、黙ってこちらを真っ直ぐに見据えている。 ことの始まりは数十分前。 赤木と別れ、病室を出て廊下を歩いていた時に鉢合わせしたのが安岡だった。 6年前、竜崎に呼び出された雀荘で南郷と共に赤木側についていた刑事。 違法賭博を取り締まるどころか、次の勝負の仕切りまでするというとんでもない悪徳ぶりには、さすがに呆然とした覚えがある。 ヤクザとも繋がりのある胡散臭いこの男は、本当に刑事なのかと。 2度も赤木に潰された後、思い通りに動かない身体を黒服に支えられながら矢木はそう思っていた。 世間を騒がせている怪死事件。その犯人との麻雀勝負に赤木を導いた張本人を目の前にして、冷静でいられるわけがない。 安岡は知り合いのヤクザと組んで、莫大な金を手に入れるために赤木を利用しようとしているのだ。 賭博で得る金自体への執着は一切ない赤木が、そんな儲け話に進んで乗ったとは考え難い。 赤木が挑むのは、まともな神経では決して勝てない高レート・特殊ルールの麻雀勝負だという。 負けた者の行く末は全て、病室で読んだあの新聞記事が物語っている。 矢木は苛立っていた。赤木をそそのかした安岡にも、そして結局は赤木を引き止められなかった自分にも。 1度決めたことは絶対に曲げない男だと知っている。例え土下座して泣いて頼んだとしても、赤木の心は揺れない。 固めた意思を貫く強さ。それこそがあの夜、プロの代打ちであった矢木をプライドごと卓へと捻じ伏せた赤木の持つ武器だ。 生きることも死ぬこともきっと、自らの意思だけで選び取っていくのだろう。 「赤木は……あいつは、殺されにいくようなものじゃねえのか!?」 「まだ殺されると決まったわけじゃない」 安岡は落ち着いた動作で矢木の手を払うと、壁際にある長椅子に腰掛けた。 「このままだと、犠牲は更に増えるばかりだ」 「お前刑事だろう、そっちで何とかできねえのかよ!」 「それができない今、頼れるのは赤木しか居ない」 病室で赤木が言っていた通り、事件の犯人は全てを金の力で握り潰している。 政治家も警察も当てにはならない。これから先、何度この破滅が繰り返されようとも。 避けられるとは限らない赤木の死すら、何事もなかったようにされてしまう。 不意に込み上げてきた引きつったような笑いを、矢木は止められない。安岡が訝しげな視線を送ってきても。 「何が犠牲だ、笑わせるな……金が欲しいだけのくせに」 「殺された若者の中には、俺の相棒も居る」 暗い陰りが安岡の顔に落ちた。目を伏せ、組んだ両手に力が入ったのが分かる。 「いくら罵っても構わんさ。でも、これだけは言っておく」 「安岡……?」 「今回の件にあいつを巻き込んだのは俺だ。赤木は死なせない、絶対に」 そう言うと安岡は立ち上がり、こちらに背を向けて歩いていく。 赤木に会いに来たんじゃないのか、と言おうとしたが。曲がり角を過ぎた安岡の姿はもう見えなくなっていた。 急に身体中の力が抜けた。上着の奥を探ると、入っているはずの煙草がない。 病室で吸った時に、そのまま置いてきてしまったようだ。 ため息をつきながら踵を返した途端、驚いて思わず声が出そうになった。 壁に背を預けるようにしてそこに立っていたのは、赤木だった。 「な……っ、お前いつからそこに!」 「矢木さんの忘れ物を届けに来たんだよ。まだ遠くへは行ってないと思ってね」 「そんな身体で無闇に動き回るな、傷が開くぞ」 「全てが終わったら1番に、あんたのところへ押しかけてやるから。待ってなよ」 赤木は煙草の箱を矢木に手渡すと、口元に笑みを乗せる。 それは今まで見たことのない、穏やかな表情だった。 |