修羅場 外出先から帰ってきてドアを開けると、狭い部屋の奥に人の気配があった。 そこには壁に背を預けた赤木が座っていて、煙草を吸っている。 その姿を見た瞬間は、幻覚かと思った。しかし部屋中を満たす濃い煙の向こうで赤木は確かに存在していて、 どこへ行くにも不自由なところに建っている、安いアパートの一室へ帰宅した矢木を迎えた。 まるでここが自分の家であるかのような態度で。 許しもなく上がりこんできたくせに、家主が帰ってきても気まずそうな顔ひとつ見せない。 相変わらず、ふてぶてしい態度だ。気に入らない。 どうしてお前がここに居る、それに部屋の鍵はどこで手に入れたんだ。 抱いて当然の疑問をいくつか赤木にぶつけてみても、何ひとつ答えは返ってこない。 赤木は短くなった煙草の先を灰皿に押し付け、ゆっくりと立ち上がった。 「矢木さん、俺とやらない?」 「何を」 「野暮なこと聞くなって、セックスだよ」 「はああっ!?」 赤木の口から出たのは、険しい顔で聞き返したくなるくらいあまりにも信じられない言葉だった。 いくら何でも、たちの悪い冗談に決まっている。 「バカか……お前、男だろうが」 「男でも女でも関係ないさ。とにかく楽しめればいい」 古びた畳の上に、不意をつかれて押し倒される。汚れた窓から入ってくる夕焼け色の光が、 仰向けになった矢木の目を眩しく射抜いた。その光はすぐに覆い被さってきた赤木の身体に遮られ、届かなくなる。 とうとう赤木は頭がおかしくなったらしい。並以上の体格の良さと、代打ちの身でありながらも川田組の構成員とよく 間違われたほどの人相の悪さをあわせ持つ男に、どこをどうすれば欲情するのか。 押し倒された矢木自身、いくら考えても全然分からない。 「おい赤木、ふざけるのもいい加減にしろ!」 「これでも、ふざけているように見えるかい?」 脅すような怒声にも怯まず、赤木は矢木の手を取ると身体の中心へと導いた。 赤木のそこは厚手の布地越しでも分かるくらいに大きく、硬くなっている。 こいつは本気だ。そう感じた矢木は背筋が凍りつくような感覚を味わった。体格も力もこちらが勝っているはずだが、 肝心の気迫は赤木のほうが遥かに上回っている。状況は明らかに不利だった。 「そのまま手を動かせ」 耳に吹き込まれた熱っぽい囁きが、矢木の恐怖心を更に煽る。柄にもなくたどたどしい矢木の手の動きに、赤木はゆるく息をついた。 視線は少しもはずさないままで。 「もう少し上手くやれって、面倒くせえな」 「ガキを抱く趣味はない……」 「勘違いするなよ。俺が、あんたを抱くんだ」 その言葉に、新たな衝撃を受けた。 赤木は矢木の代打ちとしてのプライドだけではなく、男としてのプライドまで壊して奪うつもりなのか。 それだけは耐えられない。 正直言って矢木は、男相手に抱くのも抱かれるのも勘弁だった。いっそのこと、腕や指を1本取られたほうがずっとマシだ。 「お前みてえなガキに、好きなようにされてたまるか!」 「好きなようにされるんだよ……これから、すぐに」 あの勝負で卓の向こうに座っていた細い身体の子供が、今ではこんなにも近い距離で矢木の動きを封じている。 赤木は人の心を食らうのを楽しんでいるかのようにも見えた。 赤木が持つ熱さや鋭さを纏った刃が、すでに怯みきった矢木の心ごと貫こうとしている。 逃れる術がないのなら、このまま覚悟を決めるしかないのだろうか。 きっとこれは、矢木が6年前の麻雀勝負の場で犯した不正への罰に違いない。 そうでなければ、どうして自分がこんな目に遭うのか。 そんな時、覆い被さっていた赤木の身体が離れる。そして仰向けに倒されたままの矢木の傍らに腰を下ろすと、 こちらへ手を差し伸べてきた。 「矢木さん、大丈夫?」 なだめるような、柔らかい口調だった。先程の赤木と同一人物とは思えない。 とりあえず恐ろしい状況からは解放されたものの、唐突な展開についていけない。 伸ばされた赤木の手には頼らず、矢木は自力で身を起こした。口から深く吐き出した息は、かすかに震えている。 興味深そうに顔を覗き込んでくる赤木から、露骨に目を逸らす。 「どういうつもりだ……赤木」 「ん?」 「6年前の勝負で俺はお前に負けて、全てを失った。もう決着はついただろう。 お前がこれ以上、俺と関わる理由は何もない」 あれ以来、川田組が新たに用意した代打ちをも破ったらしい赤木にとって、 矢木は箸にも棒にも引っかからないような小さな存在でしかないはずだ。 「決着? 何を言ってるんだか」 「え……」 「また勘違いしているみたいだな、矢木さん。俺はあの時の勝ち負けなんて、今更どうでもいいんだよ。 もちろん、あんたの腕や指がほしいわけでもない」 「じゃあ一体、お前は」 矢木の問いを遮るかのように、赤木は再びこちらへ手を伸ばした。 胸元に指先が触れるか触れないかのところで動きを止める。矢木はそこから目が離せない。 そして赤木は、伸ばした手を急に握り締めた。それはまるで、容赦なく何かを握り潰すかのような感じにも見えた。 拳の向こうで、赤木は薄く笑いを浮かべている。 一連の動作に込められた意図が掴めず、矢木は混乱した。その後、赤木が昔言っていたことを思い出す。 ―――『勝負の後は骨も残さない』 その信念を今でも持ち続けているとすれば赤木は、長い時間をかけてようやく癒えてきた矢木の心の隅々まで食らい尽くすつもりだ。 まともに打てば結果は見えている麻雀ではなく、今度は他の……例えば先程のような、ひどく理不尽なやり方で。 どちらにしろもう2度と、矢木は牌に触れることすらできない。そんなトラウマを刻み付けた本人である赤木も、 それは知っているだろう。 卓を離れても、まだ勝負は終わっていないらしい。 6年を経た今、大金を賭けたサシ勝負の相手だった赤木が現れ、 矢木は再び追い詰められる羽目になった。 おそらくどこへ行っても逃げられない予感がして、矢木の心臓が冷える。 夕焼けの光に照らされた、狭く埃っぽい部屋。ありふれた光景だが、そこに赤木の姿があるだけで、空気が濃く重く張り詰めた。 |