遺言 ここで自分は死ぬかもしれない、と矢木は思った。 「知ってるんだろ、あいつの居場所!」 「お前とあいつが一緒のところ、見たって奴が居るんだよ!」 すでに数十分は殴られ、蹴られ続けている。 もう何をされても抵抗する気力はない。痛みの感覚さえ麻痺してきそうだった。 夜の街をひとりで歩いていた時に突然、見知らぬ男達に囲まれた。そして連れて来られたのは、人通りの少ない裏路地。 男達はいずれも20歳前後で、大体5人くらい。 途中で増えたり減ったりしているようだが、それをいちいち確認する余裕はなかった。 辻斬りの男がどうのこうのと聞こえたので、赤木に喧嘩を売って返り討ちに遭った連中か。 どう考えてもこれは、ものを尋ねる態度ではない。 仕事で長年関わってきたヤクザ達のほうが、人に対する礼儀を知っていると思ったくらいだ。 上に立つ者の器次第で、組織の色はいくらでも変わる。その規模が大きくても小さくても。 殴られたはずみで壁に額を打った。そこから血が流れてくるのを感じながら地面に倒れた後、肩を蹴り上げられて仰向けにさせられる。 「本当に強情だな、さっさと吐いちまえよ!」 「これ以上痛い目に遭いたくねえだろ?」 連中の下品な笑い声が裏路地に響く。 赤木と関わった時点で、何らかの厄介ごとに巻き込まれるだろうという予感はあった。 しかしそれを選んだのは自分自身だ。今でも後悔はしていない。 「……お前らに教えるくらいなら、死んだほうがマシだ」 息も絶え絶えの状態でそう言うと、踵で腹を踏みつけられた。 正直、弱った身体にはかなりきつい。我慢できずに苦しげな声を上げてしまう。 「随分盛り上がってるじゃない」 耳に馴染んだ、静かで落ち着いた印象の声が聞こえた。 それはこんなところに現れるわけがない、あの男のものだ。 ここに居る連中とは根本からして違う。死すら恐れない、相手を圧倒する狂気の持ち主。 「赤木……!」 少し離れたところに立っている赤木に、矢木は信じられない気持ちで呼びかけた。 存在するだけで場の空気が変わる。例えて言うなら、鋭く張り詰めたものに。 殺気立った連中の意識が、全て赤木へ向けられる。 「てめえ、この前はよくも!」 「これで探す手間が省けたぜ、今日こそ潰してやる」 赤木は動かぬまま、安い脅し文句と共に近づいてくる連中を黙って見ている。 沈みかける意識を、矢木は必死で引き戻していた。今ここで気を失っている場合ではない。 「悪いけど、その人に手を出していいのは俺だけなんだよね」 所有権をにじませるような意味深な台詞を、赤木はためらいもなく言う。 何を言っているんだこいつは、というような疑問符を浮かべる連中を見て口元に笑いを乗せる。 それでも目だけは、獲物の様子を窺う獣のようだった。わずかな隙もない。 「お前らには分からない……一生、分かるはずもないか」 呪縛が解けたかのように赤木へ襲いかかった連中のひとりが、顔面に蹴りを食らった。 折れた歯や鼻血をまき散らしながら、矢木のそばへ倒れこんでくる。失神したのか、はっきりと白目をむいているのが見えた。 そして数分も経たないうちに、連中は全て赤木によって片付けられた。 あれだけ派手に立ち回っておきながらも、かすり傷ひとつ負っていない。 「立てるかい、矢木さん」 未だに地面から起き上がれないままの矢木に、歩み寄ってきた赤木の手が伸びた。 赤木に肩を預けながら、表通りを歩く。 こんな街中でかっこ悪いとは思うが、散々痛めつけられたこの身体は言うことを聞かず、結局は赤木に頼るしかなかった。 「あの様子じゃ、やられっぱなしだったみたいだね」 「……ああ」 「俺が来なかったら、殺されてたんじゃないの」 ただ反撃するのは簡単なことだ。 まともに話し合いができるような相手ではないと分かっていた。しかし暴力が生み出すものは暴力しかない。 手を出せば同じことの繰り返しになり、そうなると収集がつかなくなる。 矢木が守りたかったのは自分自身ではなく、赤木だった。 連中は、赤木の居場所を教えろと要求してきた。穏やかではない様子が、赤木に相当な恨みを持っていることを感じさせた。 それなら尚更、教えるわけにはいかない。例え自分がどうなっても口を割らなければ済む話なのだから。 代打ちの頃からヤクザの組員と間違われていた容姿のせいで、理不尽に絡まれるのは慣れている。 あまり自慢できることではないが。 「赤木……今のうちに言っておく」 「ん?」 「もし俺が死んだら、あの部屋はお前の好きなようにしてくれ。他に行くところがないならそのまま使ってもいい。 狭くて古いが、雨風くらいはしのげる」 「何それ、遺言ってやつ?」 「例えばの話だよ」 赤木は黙ったまま、前方にある信号が青に変わるのを待つ。 やがて信号の色が変わり、一斉に動き始めた人波に紛れて歩き出す。 目線を前に向けながら、赤木は再び口を開いた。 「俺があの部屋で暮らそうと思ったのは、あんたが居るからだ」 「え……?」 「矢木さんが居なくなったら、あそこで暮らす意味はない。雨風をしのぐだけなら、どこだって同じだろ」 何やらとんでもない告白を聞いたような気がする。 6年前、確かに自分はこの男に心を壊された。その時は、誰かに支えられないと立ち上がることすらできなくなった。 なのに今は、その本人の力を借りながら歩いている。 再会してしばらくはもう関わりたくない、恐ろしいという気持ちしかなかったはずが、 こうして傷ついた身体を支えてくれる赤木の存在を、頼もしいと思うようになった。 身も心も奇跡のように強い男。守るつもりが、逆に守られてしまった。 震えて熱くなる目頭を、矢木は気付かれないようにそっと指で押さえた。 |