はじめまして



「あんたが平井の秘蔵っ子か……なるほど、いい面構えをしている」

肩を掴まれたかと思うとそのまま抱き寄せられ、森田は慌てた。
平井と同じ色の髪と派手なシャツが印象的な男だ。裏の麻雀界では有名らしく、確かに数々の修羅場をくぐってきたような匂いを感じる。 平井とは違う種類の天才、その男は赤木しげると名乗った。
友人を紹介する、と平井に言われて夜に連れてこられたのは、政治家や企業のトップ御用達の老舗料亭だった。
部屋のテーブルには赤木の好物だというふぐ刺しを始めとする、数々の料理が並んでいる。

「歳は?」
「……21、です」
「へえ、若いな」

赤木との距離がやけに近いような気がする。かすかな吐息が耳に触れ、身も心も落ち着かない。

「赤木、酒はまだ残ってるぜ?」

そんな空気を変えたのは平井の一言だった。赤木の向かいの席で酒の入った徳利を傾けて見せながら、不敵に笑みを作る。 目だけは赤木を射抜くような強さを感じさせた。
赤木は低く笑うと肩を竦めた。とりあえず解放された森田は足がもつれて転びそうになりながら平井の元へ戻り、隣に座る。 何となく、平井と目を合わせることができなかった。

「ところで森田君は、麻雀は打てるのか?」
「ええ、まあ一応は……」

一応というか、大金や自身の運命すらも賭けた麻雀勝負をしたことがある。打てなければ話にならなかった。

「それなら、平井も交えて俺と打ってみるか。ひと勝負だ」
「ええっ!?」

驚いた森田は思わず声を上げる。腕に絶対の自信があるというわけではない。 森田の麻雀は技術よりも奇跡とも言える強運のほうが圧倒的に大きい。 駆け引きも含めて、勝つための全てを兼ね備えているはずの赤木と打って、素人の森田が勝てるわけがない。
半荘1回が終了した時点で残っている点棒の多さで勝敗を決めるというが……。

「ただの勝負じゃ面白くねえからな、森田君が勝ったらここの3人分の払いは俺が持つ。だが俺が勝った場合は……」
「森田の腕や指はやらねえよ」

話をさえぎるように平井が冷静にそう言うと、赤木は声を上げて笑い出した。

「そんな無茶な要求をする気分じゃねえから安心しな。俺が言いたいのはもっと別のこと」

森田に視線を移した赤木は、意味深に目を細めて口の端を上げた。

「俺が勝ったら、一晩付き合ってもらおうか」

それを聞いた途端、森田は緊張をほぐすために口をつけた酒を吹き出しそうになり、平井は無言で眉をひそめた。

「どうだ、森田君」
「いや、あのっ、勝手に話が進んでるようですけど俺は……!」
「久しぶりに会ったかと思えば、面白い冗談だな。赤木」
「俺は本気だぜ。なあに……大切な森田君が俺にむしられないように、お前が援護してやればいいだけの話さ」

赤木と平井の間に、静かで鋭い緊張の糸が張り詰めた。森田は吹き出てくるかのような手汗を抑えられない。 やがて平井は煙草の吸殻を灰皿に押し付けると、真顔で森田のほうへ向き直る。

「森田、こいつの相手になってやれ」
「ぎっ、銀さん!?」
「負けなきゃいいのさ……どんな手を使ってでも」

要するに何でもありということだろうか。 仕事に関してはやり手の平井も麻雀のプロではないのだから、純粋な勝負で赤木に勝つのは相当難しいはずだ。
蔵前との勝負で平井が使った悪魔じみたイカサマを思い出す。 果たしてそれが赤木にも通じるのかどうかは分からないが、どうやらそれしか方法は無いようだ。

「決まったな。森田君、後ろの襖を開けてくれ」

よく分からないが赤木の言うとおりに立ち上がって襖を開けた途端、手が固まった。
襖の奥の部屋には、すっかり卓の準備が整っていたからだ。
足りない面子の代わりか、すでにひとりの黒服が卓についていた。 座布団の上に正座をして、無表情でこちらを見ている。

「何もかも赤木の計画通りってわけか、大した奴だ」

小さく呟きながら、平井が森田の横を通って奥の部屋に入っていく。一瞬だけ見えた横顔には、確かに薄い笑みが浮かんでいた。 それを見た森田は何故か胸騒ぎを覚えた。
人数合わせの黒服も含めた4人がそれぞれ卓についた。森田の下家に平井、そして対面には赤木。
長く、熱い夜になる予感がした。


***


「一晩付き合えって、こういうことだったんですか……」

居酒屋のカウンター席で、隣に座っている赤木がコップの中のビールを一気に飲み干すのを眺めながら、森田は脱力した調子で呟いた。
どこからか聞こえてくる流行りの曲、酔った客が騒ぐ声、来店した客を迎える店員の声。いつ来てもここは活気に満ちている。
結局、赤木との麻雀は大差をつけられて負けた。
散々むしられて危機に陥った森田を救おうとした平井が牌をすりかえる直前、それを見破ったかのように赤木は卓を拳で叩いた。 脅しや警告にも似た無言の動作に、周囲の空気が凍りついた。最後の手段も封じられた後は、すっかり赤木の独壇場となってしまったのだ。
料亭に平井を置いて、赤木はタクシーを使い森田を夜の街へ連れ出した。 どこへ行くのかと思い冷や冷やしているうちに、たどり着いたのは今居る小さな居酒屋だった。
酒も料理も美味い。さきほどまで麻雀勝負をしていた料亭とは逆に、森田にも馴染みの深い庶民の味だ。正直言うと、こちらのほうが落ち着く。

「嘘は言ってないぜ、それとも別なことでも想像してたのか?」
「い、いえ、そんな……」

必死でごまかしながらも、いかがわしい想像をしてしまった自分を恥じた。
初対面でいきなり肩を抱かれたり囁かれたり、あれで疑うなと言うほうがおかしい。
赤木は平井とは違う魅力がある。それは人格や才能など様々な面でも言えることだが、彼は平井と友人として対等に付き合える器を持っている。 平井と並んで歩いても見劣りはしないだろう。1度は見てみたい光景だ。
平井が赤木に向ける目は、森田に対するそれとは全く違う。 料亭で赤木が森田に接近していた時、まるで平井は挑みかかるような視線を赤木に送っていた。 森田相手には決して見せない表情に、胸の奥が熱くざわついた。

「森田君を気に入ったのは事実だが、あいつを怒らせると後々面倒なんでな」

そう言って笑う赤木。確かに平井を本気で怒らせれば、ただでは済まなそうだ。
平井はあれからどうしているのか気になった。3人分の金を払った後、先にマンションへ帰ってしまったかもしれない。 赤木とふたりで居るのが嫌というわけではないが、あの勝負で手も足も出せなかった末に見捨てられるのは寂しい。
1名様ご案内、という店員の大きな声が遠くから聞こえてきた。もうすぐ日付が変わるというのに、週末のせいか客足は絶えないようだ。
森田の隣の椅子を、誰かが後ろへ引いた。何気なくそちらを見た時、驚いて思わず声を上げてしまった。
白いスーツの男が、笑みを浮かべながら椅子に腰掛けた。彼とは知らない仲ではない。

「銀さん!?」
「すっかり話が弾んでるみたいだな」

どうしてここが分かったんですか、と訊きたかった。しかし言葉にならず、間抜けに口を開けたり閉めたりを繰り返すだけだ。
森田を連れた赤木が平井に連絡を取った様子もなく、こんなことは有り得ない。
ふたりが事前に打ち合わせでもしない限りは……。

「意外に早かったじゃねえか」
「ここまで1度も赤信号に引っかからなかった。森田が俺を呼び寄せたのかもな」
「言ってくれるぜ、ただの偶然だろ」

真ん中の森田を挟んで、意味深な会話をする平井と赤木。
この流れに妙な予感がした。これが的中していなければいいが。

「赤木との初対面の演出、なかなか凝っていただろ……森田?」

……多分、今のは聞き間違いだ。無理にでもそう思わないと目眩を起こしそうだった。
あの勝負から今まで、全て仕組まれていたのだ。赤木と平井の悪巧みによって。
考えてみれば、森田が負けた時も平井はやけに冷静だった。計画通りに事が進んでいるのだから、それも当然だ。

「お前があそこまで熱心に森田に手を出すのは予想外だったぜ」
「もう少し来るのが遅れていたら、今度は然るべき場所で一晩付き合わせていたかもな」
「そうか、それは残念だったな赤木」

そんな赤木と平井に挟まれて、森田は寿命が縮まるような気分だ。
神域と呼ばれる男との初対面の夜は熱く苦く、そして慌しく過ぎていった。




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2006/10/10
2006/12/31 加筆