ふたりきりの夜 買ってきた煙草を平井に手渡し、自分の部屋のドアを開けた森田は呆然と立ち尽くした。 部屋にはいつの間にか不自然な空間ができている。そこにはベッドがあったはずだった。 無くなったのは平井に頼まれて煙草を買いに行って戻ってくるまでの数十分だ。それまでは確かにあのベッドに寝転がっていたのだから。 もしかすると平井は森田との生活に耐えられなくなって、密かに嫌がらせをしたのだろうか。 いや、あの人がそんな姑息なことをするはずがない。出て行ってほしいなら、はっきりと口に出してそう言ってくる気がするのだ。 しかし今度、帰ってきた時に他の家具まで処分されてしまっていたら……? 混乱したまま向かったリビングでは、平井は森田が買ってきた煙草を吸いながら新聞を読んでいた。ソファに腰掛けて足を組む体勢は 相変わらずいつもと変わらない。平井は森田の存在に気付くと、新聞を閉じてテーブルの上に置いた。 「どうした森田、暗い顔して」 「銀さん……俺、何か間違いをしてしまいましたか」 「はあ?」 「もし俺に言いたいことがあるなら、隠さないでください」 森田は固い口調で言いながら、平井の隣に腰掛けた。それから無言で正面の男を見据えて言葉を待つ。 確かに森田は仕事の後でここに帰ってきてから、食事をして風呂に入った後は平井とのんびり過ごして寝るだけの繰り返しだ。 一緒に住んでいるのに、食事の支度も掃除も洗濯も平井がやっている。何かしなければ、と思うものの平井のほうが全て要領良くこなす ので、森田の出番が無くなってしまう。 ひとりで暮らしていた頃の食事を、面倒だからと言ってカップラーメンやコンビニの弁当で 済ませていたのも悪かったかもしれない。まともな料理などした覚えは無い。 こんな状況なら、いつ愛想を尽かされてもおかしくなかった。 「ああ、そうだ。お前が使っていたベッド、買い換えようと思って処分したぜ」 「えっ」 「前に言ったじゃねえか、お前のために新しいベッドを用意するって」 森田の部屋にあったベッドは、数年前までは平井が使っていたものらしい。古いものでも特に不満は無かったが、そろそろ買い換えて やると言われたような覚えがあった。いつになるかは分からないままだったので、忘れていたのだ。 「新しいものが届くのは、週明けになるそうだ」 「すみません、俺のために……届くまでは適当に床で寝ますから」 「床で寝なくても、俺のベッドで一緒に寝ればいいだろ」 「そうですか、って……ええっ!?」 「おい、そこまで大げさに驚くようなことか?」 慌てる森田を、平井は呆れたような表情で見ている。男と同じベッドで寝る、しかも相手は平井だ。意識せずにはいられない。 特に最近は、平井に抱かれる夢を何度も見てしまっている。それが心の奥底に隠された淫らな願望なのかと思うと、顔から火が出そうだ。 「とにかく今夜から、寝る時は俺の部屋に来いよ」 平井にとっては何でもないようなその言葉が、とてつもなく意味深な響きに思えた。 「待ってたぞ、森田」 ベッドの上で本を読んでいた平井が、部屋に入る森田を迎えた。 部屋を照らしているのはベッドのそばにある電気スタンドの明かりだけで、平井の周り以外は薄暗い。 森田の格好は色褪せたスウェットの上下で、寝る時はいつもこんな感じだ。平井が着ている、上質そうな白い生地のものとは違う。 平井のベッドは男ふたりが入っても平気なほど大きい。狭いからと言って断わることは明らかに無理だ。 そこに立ってないで入ってこいよ、と言われて森田は遠慮がちにベッドに入った。 体格の良い森田のために平井が場所を空けてくれたので、シーツからかすかな温もりを感じる。 緊張のあまり平井に背を向け、無意識に身体を竦ませた。 「せ、狭くないですか、銀さん……」 まさか一緒に寝ることになるとは思っていなかった。寝返りをうった途端、平井の顔がすぐ近くにあったら……と思うと、心臓がどうにかなりそうだ。 平井の手のひらが森田の長めの髪に触れたかと思うと、頭を優しく撫でられた。まるで親が子供をなだめているかのように。 「そんなに固くなるなよ、いつまで経っても眠れねえぞ」 その声があまりにも穏やかで、森田は背を向けているのが申し訳ない気持ちになった。変に意識しているのは自分だけだったのだ。 思い切って、背後へ顔を向けた。笑みを浮かべる平井を照らす、スタンドの明かりが眩しく感じる。 「やっとこっちを向いたな」 「……ちょっと、緊張してしまって」 「おかしな奴だな、男同士なのに」 「男同士というか、相手が銀さんだから緊張してたんです」 そう言うと、平井は少し驚いたような顔をした。もうごまかせないと思って本心を告げてしまったのだが、そんなにおかしなことを 言っただろうか。平井以外の男と同じベッドに入っても多分、緊張して動けなくなったりはしない。 「お前には時々、驚かされるよ」 身を起こしたままだった平井が、ベッドに潜り込んだ。目線も顔も近くなり、落ち着きかけていた心臓が再びざわめいてしまう。 布団の下で、平井と森田の指先が触れ合った。 「今はお前との距離を縮める、いい機会かもしれねえな」 「俺のこと、もっと知りたいと思いますか?」 「そうだな……教えてくれるのか?」 「銀さんになら……って俺、何言ってるんだろ……!」 妙に恥ずかしいことまで口にしてしまい、最後のほうは消えそうな声になった。 平井はそんな森田を抱き寄せると、低く笑った。 |