誰よりも甘いくちづけを 「何か飲むだろ?」 「えっと、それじゃ……コーヒーで」 「ああ、分かった」 平井はそう言って立ち上がると、台所へと向かった。 たまにはこちらも何か飲み物を用意しなければ、と思いながらも。 それより先に平井が絶妙なタイミングで飲みたいものを訊ねてくるので、森田の出番はなかなか来ない。 まるで喉が渇いた瞬間を見破られているかのようだ。 森田は再び新聞に目線を落とした。平井と関わるようになってから、新聞を特に注意深く読むようになった。 出逢った当時は仕事絡みで難しいことを言われても首を傾げるばかりだったが、いつまでもそんな調子ではいられない。 今の世の中の流れを知るのも仕事の内だ。 辞書も引かずに英字新聞を読む平井には追いつけないとしても。 そうしているうちに、マグカップを手にした平井が戻ってきた。 やわらかな湯気を立てるそれを受け取った時、何やらその香りに違和感があった。 そのまま少し口をつけると、それは明らかにコーヒーではなかった。苦味の無い、もっと濃厚で甘い飲み物だ。 「銀さん、これってココアですよね」 「コーヒーはちょうど切らしていた。甘いものは嫌いか?」 「……いえ、大丈夫です」 まさかココアがこの家にあるとは思わなかった。 甘い飲み物は平井のイメージでは無かったので、おそらく他の3人の誰かが甘党なのだろう。 半分ほど飲んだところで顔を上げると、ソファに腰を下ろした平井がもう片方の手に持っている缶を見て、森田は声を上げた。 「どうした、森田」 「確かコーヒーは切らしてるって……」 「まあな」 平井が飲み始めたのは、ブラック・無糖と書かれた黒いラベルの缶コーヒーだった。 同じものが冷蔵庫に入っていたのを、確か数日前に見た記憶がある。 「俺が淹れたココアじゃ不満か?」 森田の顔を覗き込んでくる平井に機嫌を損ねた様子は無く、いつも通り余裕の笑みを浮かべていた。 ココアは美味かった。しかも平井が淹れてくれたものだから尚更だ。 それは森田にとって、どこにでも売られている市販の缶コーヒーとは比べ物にならないほどの価値がある。 最初の希望と違ったからといって文句を言うつもりは無い。 やけに平井の顔が近いことに気付いて、胸が高鳴った。 照れ隠しに再びカップに口をつけようとすると、森田の耳に平井が唇を寄せてきた。 「お前に嘘をつくつもりは無かったんだぜ」 「いえ、俺は全然気にしてませんから……すごく美味いですよ、これ」 「森田がそう言うなら、淹れた甲斐があった」 熱くて甘いささやきだけで、どうしようもなく翻弄されてしまう。平井のことを意識し始めてから、こういう場面には本当に弱い。 「今夜は冷えるらしい」 「そうなんですか?」 「だからお前には、温かい飲み物のほうがいいと思ってな」 「銀さん……」 何がなんでもコーヒーが飲みたいというわけではなかった。 たとえお茶でもココアでも、冷えそうな夜に温かい飲み物を淹れてくれた、平井の心遣いが嬉しかった。 見つめ合った後、ごく自然に平井と森田はくちづけを交わした。 冷たいコーヒーを飲んだ平井の唇を温めるように、森田は角度を変えて自らの唇を何度かそこに押し当てた。 微笑む平井が、唐突に森田を抱き寄せる。 こんなにも簡単にとらわれて、流されてしまうなんて。 「何だ森田、誘っているのか?」 「えっ、さ、さそっ……」 「お前からしてくるなんて、滅多に無いからな」 そんなつもりでは、という森田の言い訳は平井の唇で全て封じられた。 巧みな舌の動きに応えていくうちに、じわじわとその気になってしまう。心の奥底に隠している本音すらも引き出されていく。 この身体の隅々まで、平井に暴かれたいという密かな想いが。 |