残された時間/4 不衛生な作業場、プライバシーの欠片も無い集団部屋、粗末な食事。 それを地獄と言わずに何と言うのだろう。金を返さないのは罪、しかし返せないほど膨れ上がってしまったものはどうすることもできない。 強制的に送られた地獄で15年、労働で少しずつ返済していくしか道は残されていなかったのだ。 胸を侵す粉塵に苦しめられ、とうとう病棟送りとなった。 しかしそこは、普通の病院のように誰もが丁寧な治療を受けられるわけではない。 とにかくぺリカが無いと薬すらもらえないため、咳き込みながら苦しみ続けることになる。 日を追うごとに、命が削り取られていくようだ。薄汚れた布団や枕に染み付いた匂いも、絶望的な気分に拍車をかけていく。 死ねば楽になれるだろう、あと15年こうして苦しみ続けるよりは……。 目蓋をゆっくり開けると、誰かがこちらを見下ろしていた。至近距離まで迫ってきたその顔には、見覚えがあった。 整った顔に浮かんだ嘲笑。 「負け犬にはお似合いのザマだな、カイジ」 急に意識が正常なものになっていった。 慣れているはずの電灯の光が眩しい。今の自分が居るのはもちろん地下の労働施設ではなく、狭いアパートの部屋だ。 小さなテーブルに頬杖をついている一条が、あきれたようにこちらを見ていた。 「昼夜関係無く、よく眠れるものだ。仕事はどうした」 「今日は休みで……」 「ふん、お前は呑気でいいな」 夢で見たのはこいつの顔だ、とカイジは思った。外出券を使って地上に出てきた一条と再会して、どのくらいの時間が経ったのか。 その間に色々なことがあったが、どうやらひと段落ついたようだ。 「俺はお前と違って、暇じゃないんでね」 「……どこ行くんだ」 テーブルに両手をついて立ち上がった一条が玄関へ向かうのを見て声をかけると、一条は口の片端を上げてみせた。 「そろそろ時間切れだ」 腕時計に示された残り時間は、すでに30分を切っていた。 「ついてくるな、と言っただろう」 夜道の中をどこかへ向かって歩いていく一条は、咎めるような口調でそう言った。それでもカイジはひたすら一条の後についていく。 この男の元に、もうすぐ黒服達が来る。そして再び地下へ戻されるのだ。 「このままだとお前はまた、帝愛の奴らと顔を合わせることになるぞ」 地獄の使者にも等しい、帝愛の黒服連中。血も涙も無いと思っていたが、全員がそうではないことをカイジは知っている。 地下の仲間達が解放された後、手持ちが無くて会いに行けなかったカイジに手渡されたあたたかい3万円が、今でも忘れられない。 一条は急に歩みを止めたかと思うと、こちらを振り返った。 「別れる前に言っておく。お前のように些細な誘惑にも弱い奴は、遅かれ早かれ再び堕落する。今は良くても前のように借金を作ったり仕事が嫌になったり、そうなる日が必ず来る」 容赦無い言葉に、真っ向から否定できないのが辛い。ただ無言で、カイジは唇を噛んだ。 こちらより少し年上にも見えるこの男は、一体どのような人生を送ってきたのか想像すらつかない。 借金を返済するために生死の境をさまよったカイジよりも波乱に満ちていたのか、それとも意外に平凡だったのか。 「だが、今の俺と同じところまでは落ちてくるな」 「……え?」 「お前を沈めるのは俺だ。また地上へ戻ってくる時までは生き延びていろ」 電灯の光に照らされた一条の背後に、いくつかの黒い影が現れた。一条を連れていくために帝愛が送り込んだ、地獄の使者達だ。 体格はそれぞれまばらだが、皆同じサングラスをしているため顔の区別はつきにくい。 この中に、あの優しい黒服が居るかもしれないと思って探してみたが、周りが暗いためうまくいかなかった。 「俺が言ったこと、忘れるなよ……カイジ」 何の抵抗もせず、カイジとの別れを惜しむことも無く、一条は影のほうへ向き直る。 今にも遠ざかろうとするその背中に、どんな言葉をかければいいのか分からない。 そんな時に浮かんだのは、カジノで黒服に連行されていく一条へ向けた精一杯の叫びだった。 ……戻ってこい、必ず。 |