愛の言葉 今夜、飲みに行こうと誘ってくれたのは安田だった。 ちょうど暇だったし、今まで知らなかった平井の話を聞けるかもしれないという考えもあり、 こうして居酒屋で一緒に飲んでいるというわけだ。 平井の仲間達の中でも、安田は特に気さくな感じで森田に話しかけてくる。まるで年の離れた兄のように。 「森田お前、銀さんのこと好きなんだろ?」 唐突な安田の言葉に、森田は飲んでいたビールをコップの中に吹き出しそうになった。 何がどうなって、こういう話題へ辿り着いたのか。 「ええ、好きですよ。何でもできて、何でも知っていて……すごい人ですよね」 「バカ、そういう意味じゃねえよ」 やはり見抜かれているのだ。森田が抱き続けている、平井への特別な感情を。 先日行われた蔵前との勝負以降、それは一層強くなった。本人にはもちろん、その周囲にも知られてはいけない。 このまま墓まで持っていくしかないと思っていた。それなのに。 警視庁に勤めていた、頭の切れるこの男に下手な隠し事などしても無駄だということか。 「……すきです」 周りの雑音に紛れてしまいそうなほど控えめな声でそう言うと、安田は得意気に口の片端を上げた。 弱みを握られたような気がして、落ち着かない。 「だったら俺が前に教えた、必殺の口説き文句の出番だな」 「安田さんじゃあるまいし、I LOVE YOUなんて言えませんよ」 「俺が言ったのはI NEED YOUだよ。お前、直球すぎ」 どちらにしろ安田は、キザな外国男のような口説き文句で女を繋ぎとめてきたのだろうか。 それにしても男2人が居酒屋のカウンター席でアイラブユーだのアイニードゥーだの、怪しい言葉を交わす様子は異常ではないか。 しかし周囲の客は皆酔っているし、注文に追われて忙しそうな店員がわざわざ客の雑談に耳を傾けている暇は無いはずだ。 「やっぱり俺にはI LOVE YOUは無理だ……」 「いや、だからI NEED YOUだって」 お前大丈夫か、と呆れながら問いかけてくる安田に構わず、森田はコップの中のビールを全て飲み干した。 これで何杯目かはもう数えていない。飲みすぎだろうか。 目線を合わせた安田の姿が、不自然に歪んだ。 「おい、森田!?」 倒れこむようにテーブルに伏してからの記憶は薄く、それ以降のことはよく覚えていない。 ……ここはどこだ。 安田と居酒屋で飲んでいたはずが、目を覚ました時には何故かベッドの上だった。 カーテンの隙間から差し込んでくる眩しい光を見て、今は朝だと気付く。 掛け布団の中で身を起こすと、激しい頭痛に襲われた。とんでもなく最悪な目覚めに、気分は重くなるばかりだ。 シャツのボタンは3つほど外されていて、しかも上着とネクタイが見当たらない。どこかへ脱ぎ捨ててしまったのか。 薄い記憶を懸命に辿っていると、部屋のドアが開いた。 「起きたか、森田」 「えっ、ぎ……銀さん!?」 驚いて叫んだ途端、また頭痛がした。頭を抱える森田のそばへ来た平井が、ベッドの端に腰掛ける。 「昨日の夜に安田がタクシー使って、お前をここまで運んできた。森田が飲み屋で潰れたから、面倒見てやってくれって言われてな」 「……すみません、迷惑かけてしまって」 「何かあったのか」 「えっ?」 「潰れるまで飲みたくなるようなことが、だよ。何かで悩んでいるとか、忘れたいとか」 平井は不思議な魔力の持ち主だ。気を抜くと、うっかり話してしまいそうになる。 「好きな人が、居るんです」 雰囲気に流されて、そんな言葉が出てしまった。 懐から煙草の箱を出そうとしていたらしい平井の手が、止まった。 「俺にとって、その人は本当に特別な存在で。出逢えたことで人生が大きく変わって、世界が広がったような気がしました。 多くの信頼も度胸も才能もあって、俺なんかとは比べ物にならない……そんな人です」 「そいつのことで悩んでるのか?」 話に出した「好きな人」とは、紛れも無く平井のことだ。 正直な気持ちを一気に口に出して、森田は深く息をついた。言ってみれば何となく、遠まわしな告白のようだった。 こんなやり方で、平井に気持ちが伝わるとは思っていない。名前をぼかすことで、逃げ道を作っている自分は卑怯かもしれない。 拒否されて傷付くのを心のどこかで恐れているのだ。 言葉を閉ざした森田に平井は苦笑して、煙草に火をつけた。 「まったく……妬けるな」 「……銀さん?」 「お前にそこまで想われて、突き放せる奴なんて居ないさ」 なあ森田、と優しく囁かれて心臓が高鳴った。 本当にそう思っているのだろうか。この場限りの気まぐれではないかと、つい疑ってしまう。 平井の言動が、不安定な森田に期待を持たせる。それも甘く残酷に。 いつか「金」と呼ばれる人間になり、「銀」を超えることを望んでいる。 しかし愛の言葉ひとつ伝えられない自分が、それを叶えるのは当分先になりそうだ。 |