とめられない想い 「なあ板倉、そんなに胸元を開けるなよ」 放課後、学校まで零を迎えにきた板倉の車に乗って数分後のことだった。 運転席でハンドルを握る板倉を見て、シャツの胸元が大きく開いていることに気付いてしまった。 下着まで見えているわけではないが、豊かな胸の谷間が丸見えで目のやり場に困る。 「まさか事務所でもその格好だったのか?」 「ああ、ボタンを上まで閉じていると窮屈だからな。別にいいだろ」 「良くない!」 思わず大声を上げてしまい、我に返って恥ずかしくなる。信号を前にして車を停めた板倉が、こちらを驚いた顔で見ていた。 板倉が仕事で出入りしているのは普通の会社ではなく、ヤクザの事務所だ。しかも板倉自身もその組に身を置いている。 組の中で、板倉に手を出そうとする命知らずなんざ居ねえよ、という末崎の言葉を思い出す。 板倉は女だがそれなりに腕が立つ上に有能で、組長からは娘のように可愛がられているらしい。そんな板倉に軽い気持ちで手を出そう ものなら、上のほうから恐ろしい制裁が待っているという。 その話を聞いても、零はどうしても安心できなかった。組の人間ではなくても、板倉をいかがわしい目で見る人間が居ないとは限らないからだ。 「どうした急に、お前とふたりの時にはいくら開けていても何も言わねえくせに」 「それはっ、その……!」 「もしかして、お前以外の奴に胸元を見せているのが面白くないか?」 薄く笑っている板倉に図星を突かれて零は黙り込んでしまう。自分でもそんな感情の存在は、前から薄々と気付いていた。これは独占欲なのだと。 大人の板倉から見ればこちらは子供で、まともに相手をしてくれているかどうかも分からず、不安になっていた。 恋人でもない自分が、誰にでも胸元を見せるなだの何だの言っても笑われるだけで聞いてくれないかもしれないが。 「どうしてこんな、10歳近くも歳の離れた女にこだわるんだ? お前と付き合いたい若くて可愛い女なら、山ほど居るだろうに」 「あんた以外に、興味ないから」 「……変わった奴だな」 視線は前方に向けたまま、板倉は呆れたような口調で呟く。車の中でふたりきり、板倉が漂わせるかすかな甘い香りに気持ちが抑えきれなくなってしまう。 窓の外を見慣れた景色が流れていく。よく立ち寄るコンビニや本屋、建設中の一軒家。自宅が近付き、板倉との別れの時も迫っていた。 板倉が昼間に暇ができるのは稀なことで、いつもならこんな時間には滅多に会えない。最近は板倉の兄貴分である末崎との仲まで疑ってしまうという嫉妬ぶりで、 このまま零と別れた後は違う男の元へ行くのではないかという考えが膨らんで止まらなかった。 「もうすぐお前の家に着くぞ」 「板倉、頼みがあるんだ」 「何だ?」 「もう少しだけ、あんたと一緒に居たい」 わずかな澱みも戸惑いもなく零がそう言うと、板倉は何も答えず無言になった。 零の頼みに、首を縦にも横にも振らない。そんな状態のまま零の自宅前に車を停める。やはり気持ちは通じなかったのだと思い、胸が痛んだ。 運転席の板倉を見ると、ハンドルを握ったまま黙って俯いていた。零のほうを見ようともせず、深刻な表情で悩んでいるように見える。 「気分悪いのか? それとも俺が変なこと言ったから……」 「いや、お前は悪くない。気にするな」 先ほどまでとは明らかに違う、余裕が感じられない声を聞いてしまってはどうしても気になってしまう。家は目の前で、このまま車のドアを開けば帰れるが、 今の板倉を置いて行くことなどできない。男として。 板倉はようやく顔を上げて零のほうを向くと、真剣な表情で唇を開いた。 「零、さっき言ってたことは本当か? 一緒に居たいって」 「本気だったけど……いや、もういいんだ、困らせるだけなら」 「それなら、今から家に来ないか」 「えっ、それって板倉の家に」 「ああ、お前さえ良ければ」 信じられない展開に、返事も忘れて固まってしまう。板倉と一緒に居られるなら車の中でも、どこかの喫茶店でも構わなかった。 しかし板倉の家でふたりきりになる光景を想像して、思わず息を飲んだ。確かひとり暮らしだと聞いているので、他の誰も入ってこない空間で気になる相手と過ごして どこまで冷静でいられるか自信がない。それでも、板倉が家に招いてくれるのは嬉しかった。 「行くよ、あんたの家に……行きたい」 「じゃあ決まりだな」 板倉は再び車を動かし、今度は逆方向へと走らせた。 初めて板倉の家に足を踏み入れる緊張と、言葉では表せない期待の間で心が揺れている。もう自分でも、これからどうなるのか分からなかった。 着くまでの十数分間、何故かお互いに口数が少なくなっていた。 板倉がひとりで暮らしているマンションは予想以上に広く、そういう性格なのか余計なものは一切置かれていないという感じがした。 薄く大きいテレビのある部屋に通されて、ソファに腰掛ける。板倉が飲み物を取りに行っている間、何も言わずに自分の足元だけを見続けた。 やがて戻ってきた板倉に、コーラが入ったグラスを手渡される。外が暑かったせいか、氷まで入れてくれていた。 板倉は零より少しだけ背が高く、体格は女子バレーの選手に近いかもしれない。ふわふわした柔らかい雰囲気ではなく、シンプルなシャツやジーンズが似合う、鍛えられた 身体の持ち主だった。裸を見たわけではないが、腕や足を見ていれば分かる。 零がコーラに口を付け始めると、板倉は向かい側のソファに座った。飲んでいるところを見つめられて、緊張してしまう。 「お前の仲間を拉致した連中の仲間でも、一緒に居たいと思ったのか?」 「あんたが俺の仲間を傷つけるように命じたわけじゃないだろ」 「確かにそうだ、でもそう簡単に割り切れるものなのか……」 「それでも好きになっちまったんだから、仕方がない」 うっかり、とんでもないことを口走ってしまい焦った。しかしこれを言わないと板倉が納得するとは思えず、決して嘘ではないので今更取り消すことはできない。 後悔している点といえば、せめてもっと告白にふさわしい雰囲気を作ってから言えば良かった、ということだけだ。 これではただの勢いか、軽い気持ちで言ったのかと勘違いされてしまいそうで怖い。 まだ中身が半分以上残っているグラスをテーブルの上に置き、ソファから立ち上がる。そして向かいの板倉の隣に腰を下ろすと視線を合わせた。 「もし板倉が俺を受け入れてくれるなら、ずっとそばに居てあんたを支えていくよ」 視線を外さないまま、板倉の手に触れてそっと握る。しっとりしていて、なめらかな手だった。爪も手入れを欠かしていないのか、ツヤがありきれいな形をしている。 握った手を撫でると、板倉が息を詰めるのが分かった。 「ごめん板倉、急にこんな……でも止められなかったんだ」 「零、お前……本当に」 「本気なんだ、信じてほしい」 震える声でそう告げて、板倉に顔を近づけた。まさに唇が触れ合う距離まで寄せた時、動きを止めてしまう。ここまでしておきながら、更に好き放題するのは 良くないと思った。 相手はそれなりの経験を積んでいそうな大人でも、気持ちが通じ合っていないと更に進むことはできない。 気まずくなって顔を離すと、板倉は冷めた口調で零の名前を呼ぶ。 「どうした、もうお終いか?」 「あんたの気持ちがまだ分からないから」 「同じ気持ちだって言ったら、どうする」 「え……?」 呆然としていると今度は板倉のほうから零に唇を寄せてきて、軽く重ねる。離れていくまでの時間は短いものだったが、板倉の唇は柔らかく心地よかった。 「こっちも我慢してたんだ、お前に気付かれないようにな」 「板倉、それってまさか」 「なのに今日のお前のせいで、全部台無しだ」 板倉はそれ以上を噛み砕いて説明しないまま、再び零にくちづけた。今度は重ねるだけではなく、温かく濡れた舌を使って零の口内に踏み込んでくる。 誰とも付き合った経験のない零にとっては、未知の感覚だった。零の気持ちを慎重に確かめていくかのように一歩引いて接していた板倉が、今では別人のように 積極的になって零を翻弄している。 極道の人間と高校生という立場の違いかそれとも年齢差のせいか、板倉が零に対して距離を置いているのを以前から何となく感じていた。 板倉の舌の動きに身を任せているだけで身体の奥から痺れるような快感が生まれ、じわじわと広がっていく。 股間が制服のズボンの布地を押し上げていることに気付き、それを板倉に見られないようにさりげなく足の角度を変えて隠した。 「……隠すなよ、もうばれてるぞ」 唇が離れた後にそう囁かれて、恥ずかしくて消えてしまいたくなった。視線を逸らした先には、板倉の乱れたシャツから胸の谷間があって逃げ場を失ってしまう。 「それ、何とかしてやろうか」 「何とかって……」 「手がいいか、それとも口のほうか?」 少し遅れてどういう意味なのか分かった零は、それらの行為を想像して頬を赤らめた。実際にそんなことをされたら、最後まで求めてしまいそうで怖かった。 女のような顔だとからかわれていても、やはり性的なことへの興味を避けられない愚かな年頃だからだ。 「お前は本当に可愛いな、困らせてやりたくなる」 笑う板倉に抱き寄せられて、薄いシャツ越しに甘い香りと体温を感じた。 板倉の背中に両腕をまわして零もその身体を抱き締めると、板倉もその想いに同じ強さで応えてくれた。 |