枢木スザクは抱き上げた主の顔を覗き込んで、訊ねた。
「大丈夫? ルルーシュ。疲れてない?」
日本人にしてはめずらしい色の目を見返し、ルルーシュは目を細めた。
「ああ。大丈夫だ、スザク」
「君の大丈夫はあまり信用できないけど」
仕方ないねといった微苦笑を浮かべる騎士に、ルルーシュは、ふんと鼻を鳴らした。
「騎士が主を信用しなくてどうする」
「君のことをよく知っているだけだよ」
「ふん……」
ルルーシュは再び鼻を鳴らし、アヴァロンの下に視線を移す。
「おしゃべりはここまでだ、スザク」
スザクに向けたものとは明らかに違う笑みで、ルルーシュはアヴァロンを出迎える人の群れを冷ややかに見遣った。
軍服の中に鮮やかな色が混じっているのは、アフタヌーンドレスに身を包んだ貴婦人だろう。軍港に似つかわしくない服装だが、皇族を迎えるのだから正装でということらしい。
皇族。
ルルーシュは笑い出したい衝動にかられた。
この国を追われるように送り出されたときは、見送るものなどほとんどいなかった。力がほしいと願い、叶いはしたが、その力で変わったのは自分だけではなかったらしい。
――力を得たのだね、ルルーシュ。
兄の言葉がよみがえる。
――だが、覚えておきなさい。力というものは、時に自分だけでなく、周りをも変えてしまうものだ。
私を含めてね。
そう言って苦笑した兄をルルーシュは思い出す。
変わらなかったのは――
ぎゅっとルルーシュは、スザクの腕を掴む指に力を込めた。スザクの目が不思議そうにルルーシュを見下ろす。
人質として送られた日本で、ルルーシュはスザクに出会った。出会いは最悪で、第一印象は最低だったが、いまはそのどれもが懐かしい。
懐かしむさまが顔に出ていたのか。スザクが気遣って聞いてくる。
「どうしたの? ルルーシュ」
「いや」
名前を変え、身分を捨て、そのままひっそりとエリア11と呼ばれる日本で暮らして行くつもりだった。子どもの頃の約束を忘れていなかったスザクが、自分の前に現れるまでは。
「さあ、殿下、こちらへ」
そう言われ、ルルーシュはようやく意識を貴族たちに向けた。
これ見よがしに自分に駆け寄り、心にもない労わりを口にする貴族の言葉をルルーシュは聞いていない。頭の中身と同じように薄っぺらで儀礼的な言葉など、ルルーシュの耳を滑っていくだけだ。
何の話かと思う。
この場の責任者たるバトレーの言葉なら従いもするが、きらびやかな正装を身に纏った貴族に言われる筋合いなどない。しかもだ。その貴族の指し示した先には車椅子があった。
「それはなんです? グレンヴァル卿」
名前を呼ばれ、男爵位を持つ男は驚いたようだった。まさか10年ぶりに戻った皇子が、自分の名を知っているとは思ってもいなかったのだろう。男は、おおと意味不明な言葉を発し、恭しく礼を取った。
「覚えていてくださったとは、光栄の至りに存じます」
覚えていたわけではなく、単に調査の結果にすぎない。貴族年鑑といくつかのデータを突き合わせていけば、協力者などいなくとも、だいたいの派閥はおのずと知れてくる。ルルーシュが動くと判断した人物の中に、この男がいただけだ。
わずらわしいだけの男の言葉に形のいい眉を顰め、ルルーシュはスザクに歩くように目で示した。
「イエス、ユア・ハイネス」
言葉にせずともいつも正しくスザクはルルーシュの意志を理解する。小さく応え、公用車に向かおうとしたスザクを、男が止めた。
「ああ、君はもう下がっていい。殿下は我々がお運びする」
「何をしているの、あなた。気が利かないわね。さあ、殿下」
男爵とその夫人が甲斐甲斐しくルルーシュの世話を買って出る。肩へと伸びた夫人の手が触れる前に、ルルーシュはにこやかな笑みを二人に向けた。
「それには及びません、男爵夫人」
「いーえ、そうはまいりませんわ。皇子殿下をナンバーズに任せるなど」
ナンバーズ。
名誉ブリタニア人という制度が気に入らないルルーシュは、あえて男爵夫人の言葉を無視した。
「枢木スザクは私の騎士ですから」
「ええ、ええ、存じてますわ。おいたわしい。ですが、本国に戻られたからにはナンバーズなどに頼らなくとも、ご身分に相応しい騎士を改めてお選びになられて」
爵位を金で買った成り上がりものが。
ルルーシュの笑みが硬質なものに変わったことに男爵夫人は気付かない。
「何を突っ立っているの、あなた。さあ、早く殿下をこちらへ」
ルルーシュに触れるのは憚られたのか。夫人がぞんざいスザクに触れようとする。その手がスザクに届く前に、静かにルルーシュが口を開いた。
「グレンヴァル男爵夫人」
ルルーシュに名を呼ばれ、反射的に夫人が愛想笑いを浮かべる。それに冷ややかな目を向け、ルルーシュが言った。
「私の騎士に命令するのはやめていただこう」
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