第98代シャルル皇帝には数え切れないほどの妃がおり、当然皇子皇女たちも数多い。が、その中でも宮を与えられているのは十人にも満たない皇妃とその子どもたちのみだ。他の妃は、実家もしくは後ろ盾となる貴族が用意した屋敷に住まう。しかし意外にも皇子たちの兄弟意識が強いのは、皇宮内に彼らが集まる場所があるからだ。
皇帝の第3の居間。第1の居間は誰も入ることが許されず、第2の居間は特に許された妃や側近のみ。しかし皇帝の寝室から離れ、広く作られた第3の居間は皇帝が使用することはほとんどなく皇族たちに解放されている。皇子皇女となれば他にも個室や妃ごとに部屋を与えられてはいるが、自然にこの部屋に顔を出すものが多く、皇族たちの社交場のようになっている。
アリエス宮から出てくることの少ない、第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアも例外ではない。しかしそれは、ひとえにアリエスでの生活を乱されないためだ。皇宮に来ているのに顔を出さないなどと聞きつければ、ただでさえ頻繁に出入りしている第3皇子・皇女をはじめ、他の皇族たちが静かなアリエス宮に押しかけてくるのは目に見えている。
今日は第1皇妃誕生日祝賀のレセプションで、パーティ嫌いのルルーシュも顔を出さないわけにはいかなかった。第5皇妃だった母はすでになく、皇帝の寵だの権力だのを競う立場にはないが、義理や立場というものがある。まして同母妹であるナナリーの身体が弱く、表に出ることがかなわないなら尚のことだ。ルルーシュにはアリエス宮の主としての責任もあった。
くせのない黒髪と鮮やかな紫の瞳。父母の血をバランスよく受け継いだ第11皇子は、美男美女の多いブリタニア皇族の中でひときわ目立つ。
さして目立つ服装をしているわけでもないのに衆目を集める皇子を真っ先に出迎えたのは、ルルーシュと双璧と言われる白きカリスマ、第2皇子のシュナイゼルだった。
「やあ、ルルーシュ、久しぶりだね」
やさしい眼差しと深い声。数多い皇子皇女の中でも有力者として知られる第2皇子に歓迎されて心を溶かさないのは、おそらくこの第11皇子だけだろう。
「三日前にもお会いしたばかりですが、兄上」
素っ気なく答えたルルーシュに、美丈夫で知られる兄は悲しげなため息を落とした。
「三日も会ってないのにつれないねえ」
いかにも悲しそうに視線を落とし、憂いを含んだ顔で深い息を、こそっと落とす。着飾った女性たちが見れば、「殿下、お可哀相…」と溜め息を誘う顔だが、もちろんルルーシュは騙されない。この人は、白きカリスマもやさしい兄も演じることを愉しんでいるだけなのだ。
形のいい眉間に皺を寄せ、ルルーシュは長身の兄を見上げた。
自分もけして背が低い方ではなく、むしろ同年代の平均身長を考えれば長身に分類される方だと思うが、美丈夫と名高い兄相手では頭ひとつ分、分が悪い。
そんなルルーシュが次に口を開く前に、シュナイゼルが頭上から、これまた小さな落胆の息をついた。
「また、私の贈った服を着てくれなかったのかい」
君に似合うと思ったのに、と薄紫の瞳に憂いを浮かべる。
「白に薄紫のグラデーションは、さぞ君の瞳に映えただろうに」
「――兄上」
ルルーシュは低い声で、国民どころか世界の表人気ナンバーワン皇子を見据えた。
血筋だけではない。容姿も立ち居振る舞いも資質も、すべてにおいて完ぺきとされる第2皇子と対等に渡り合うことができるのも、年下ではやはりこの第11皇子だけだろう。勇猛果敢と名高い第2皇女ですら、シュナイゼルの前では時折女性の顔をする。
「なんだい、ルルーシュ」
好感度ナンバーワンの微笑みを向け、深くやさしい声で愛しげにルルーシュの名を呼ぶ。ルルーシュは顔に笑顔を張り付かせ、できる限り平静を装ってシュナイゼルに向かった。
「あのドレスは、ナナリーにはまだ大きすぎると思いますが?」
「ナナリーには別のものを贈っただろう? あれは君に贈ったものだよ」
「俺――私は男です、兄上」
座った目と声をルルーシュから向けられたシュナイゼルは、両手を広げ、何故か安心させるように笑いかけた。
「もちろんだよ、ルルーシュ。かわいい弟の性別を私が間違えるわけないだろう?」
「だったら!」
今度こそルルーシュは声を荒げた。
「どうして毎回毎回ドレスを贈ってくるんです!」
「毎回毎回君が着てくれないからに決まっているだろう? 末の弟の好みがうるさいことは誰もが知っているからねえ」
今回も気に入らなかったようだねと肩を落とす兄に、ルルーシュは上目遣いの引き攣った顔で文句を言った。
「兄上は男の俺にドレスを贈ることが、そもそも間違っているとは思わないんですか」
おや、とシュナイゼルが片眉を上げる。
「カノンは男でもドレスを着ているよ?」
「あなたの側近の趣味と俺を同じにしないでください」
「ルルーシュ」
諭すようにシュナイゼルが名を呼んだ。
「適材適所という言葉を知っているだろう? 私はそれを実戦しているに過ぎないのだよ」
「兄上」
ルルーシュもまた、説くようにシュナイゼルを呼んだ。
「マルティーニ伯爵の才能は認めますが、適材適所というお言葉の意味をお間違えでは?」
シュナイゼルはルルーシュに向けるやさしい眼差しを慈愛に細めた。
「私はドレスのことを言っているんだがね? あのドレスは誰よりもルルーシュに似合うと思ったから贈ったまでだ。ドレスにせよジュエリーにせよ、高貴なものは、それを身につけるに相応しいもののところになくては輝きも半減してしまうものだからね」
それでもやはり適材適所という言葉を間違えているとは思ったが、それを指摘したところで優位に立てるとは思えない。おそらく知った上で言っているのだ。
負けず嫌いのルルーシュが、それでもジリジリと無駄な抵抗を試みようとしたとき、扉のあたりからルルーシュを呼ぶ声があった。
「ルルーシュ!」
派手な外見に似合わず、どこか尻尾を振る犬のような印象を受けるのは、彼の皇族とは思えないわかりやすい性格のせいかもしれない。さすがは世界でいちばん好きな顔がルルーシュだと公言して憚らないだけはあるというべきか。第三皇子クロヴィスは、まっしぐらにルルーシュの元にくると、その手を取って握り締めた。
「来てたんだね」
「クロヴィス兄上……」
「クロヴィスでいいと言っているだろう?」
会えてうれしいよと溶けそうな笑みを向ける第3皇子を、ルルーシュは溜め息で迎えた。
「兄上とは昨日もお会いしたと記憶してますが」
「24時間も会ってないじゃないか!」
「兄上」
キッとルルーシュは7歳年長の兄を睨み付けた。
「この際ですからクロヴィス兄上にも申し上げておきます。毎日バラを贈ってくるのはやめていただきたい」
きつい眼差しを向けられ、怒った顔も素敵だねとめげないもうひとりの兄は、ああ、そうだねと第2皇子とは違うわかりのよさで頷いた。
「今度はユリにするよ、ルルーシュ」
ちがう……。
「カサブランカは私も好きだが」
第2皇子が口を挟んだ。
「しかしユリは香りがきつすぎないかい、クロヴィス」
ナナリーもいることだし。
目の見えないナナリーは、人より他の五感が発達している。言われてクロヴィスは、そうですねとこれまた素直に頷いた。
「ほんとうは他に似合いそうな花があるのですが、花束に向かない花ばかりで」
「ルルーシュに似合う花……興味があるね」
「日本に行ったのですが、髪の色のせいか、あの国の花はどれもルルーシュに似合いそうで、特に木蓮や白木蓮は――」
「言われてみれば、あの国の民族衣装もルルーシュに映えそうだねえ」
「千年生きた桜の下にルルーシュを立たせてみたくなりましたよ。夏から秋にかけて咲く花も調べてみたら、これもルルーシュにすばらしく似合いそうで」
「ほう?」
「テッセンにリンドウ、都忘れ。都忘れは春に咲く花ですが、小さくて可憐で淋しげな佇まいがルルーシュを思わせて、私もその花の名のようにペンドラゴンに想いを馳せてしまいました」
「それで予定より早く帰ってきたのかい?」
はっはっはと笑う第2皇子に、第3皇子が照れたように肩を竦めた。
「シュナイゼルの兄上は、すべてお見通しということですか」
シュナイゼルはクロヴィスからルルーシュに視線を移し、その細い肩に手を置いた。
「どうだね、ルルーシュ。アリエス宮に日本庭園を造らせるというのは」
「兄上……」
「ああ、それよりいっそ、皆で日本に旅行するというのはどうだろう」
「ほんとうですか、兄上」
「季節は春がいいだろうね」
「いや、しかし秋や冬もルルーシュに映えそうでは」
「雪景色も似合うだろうねえ、ルルーシュなら」
ルルーシュを無視して、第2皇子と第3皇子が盛り上がる。
「――兄上方」
頭痛が痛いといった顔でふたりの兄の言葉を聞き流そうと努力していた末弟は、白い眉間に指をあて、引き攣った顔を隠そうともせずに宣言した。
「俺は絶対に日本になんか行きません」
「ほう?」
愉しげに目を細めた第2皇子の提案を阻止できるものなど当然いるはずがなかった。
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