『露台にて』


 ──台輔はどうだったんですか?
 六太より、まだ少し幼い黒麒麟は、小首を傾げてそんなふうに聞いた。
「延王に会われたとき、どんな天啓だったのですか? ぼくは少し怖い感じがしたんですけど、麒麟によってちがうものなんでしょうか」
 六太はぶらぶらさせていた足を止め、泰麒を見た。
「ヘンなこと聞くのな、おまえ」
「ヘンでしょうか」
 泰麒は俯く。
 それにひとつ息をつき、六太は宙を見つめた。
「……別に怖かあなかったな」
 延期が答えてくれたのが余程うれしかったらしく、泰麒は人なつっこい子犬のような笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「景台輔は、この人だと思ったんだそうです。どうしても逆らえない何かがあって、選んだって。ぼくはただ驍宗さまと離れたくなくて、それで、そのときは天啓ってよくわからなくて、いっぱい悩んだり迷ったりしたんですけど、台輔はそういうことはなかったですか」
 泰麒があえて延麒に問うたのは、彼が同じ胎果だからだろう。麒麟としての自覚はないまま、それでも生来の性質故か、自分の運命を懸命に受け入れようとしている小さな同族に、延麒は一抹の不安と憐憫を感じずにはいられない。
 麒麟なんて哀れな生き物だ。
「──あいつが王だっていうのは、すぐにわかった。一目見た途端に、ああ、こいつだって、くやしいくらいはっきりとわかっちまった。でもな」
 でも迷った。悩みもした。それは、景麒とはまた違った意味ではあったのだろう。それでも。
 もう五百年も昔のことだ。
「台輔?」
 小さな黒麒が、黙り込んだ延麒を案じて下から覗き込んでくる。
 六太は安心させるように笑いかけた。この小さな子どもは彼が昔失くした友とどこか似ている。
「なんつーかさ、天啓だ、なんだっつっても、不安はあるわけよ。とくに尚隆はあんなヤツだし。五百年たって、やっと少しは王らしくなったかと思えば、そうでもない」
「でも延王はりっぱな方だとお聞きしてます」
「りっぱねえ」
 何がりっぱなんだか。
 呆れたように溜め息をつく延麒の横顔を、泰麒は少し不思議な目で見ている。
 あんなに仲がよさそうに見えたのに、何か問題があるのかしら?といった顔だ。
 五百年の治世といえば、かなりな善政だとい聞いた。雁は豊かな国だと彼の王も言っていたから。
 真似をしようとは思わない。だが、学ぶべきところは多くあると。
「ま、おまえの王は大丈夫だろ。戴が落ち着いてくれないことには雁も困るし。いろいろ大変だとは思うけど、がんばんな」
「はい!」
 泰麒につられて延麒も笑う。延麒はふと話を変えた。
「それより景麒の仏頂面はどうした?」
「景台輔のことですか」
「そーそ。いっつもしかめつらしい顔して、肩凝らないのかね」
 イーッとばかりに、景麒の几帳面に過ぎる無愛想な顔を指で作り、六太は聞いた。
「景台輔でしたらお戻りになりました。景王のお加減がよろしくないとかで」
「大方、癇癪でも出たんだろうが。大変だよなあ、あいつも」
 溜め息をひとつつく。
 新王がたって一年。いまだに慶は落ち着くどころか、新しい災いの噂を伝え聞く。
「台輔?」
「いや」
 選びたくて選んだ王ではない。それでも麒麟が王を選ぶのだ。
 天啓だと女仙は言う。そこに麒麟の意思は存在しない。ならば何故、天は麒麟に感情を与えたのか。いっそ人形でいられたらよかったのに。
「あの、台輔」
「あ?」
「ぼく、しゃべりすぎたでしょうか。お疲れですか?」
「そんなことねえよ」
 自分より小さな麒麟に、六太は顔を向ける。
「ちょっと、まあ、なんつーのかな。いろいろ思い出したわけ」
 五百年。
 気が遠くなるほど長くて、短かった。
『信じろとはいわん。言わんが、少しだけ時間をくれ』
 大きな手のひらが六太の顔を覆い、六太はその温もりに安心して泣いた。
 気が遠くなるほど長くて短いその間に、尚隆がくれたたくさんの安心と、叶えられた多くの約束。孤独という飢餓は尚隆によって癒された。
 腹が立つことも多いけどな。
 六太は苦笑する。
 少なくともこの五百年、退屈だけはしなかった。
「──何をですか」
 何を思い出したのかと無邪気に泰麒が聞いてくる。
 延麒は笑った。
「さあな」
 風が吹く。怪訝な顔を向ける泰麒をよそに、延麒は金の鬣を揺らして、遠くを見つめた。

1997.7
友人の本にゲストしたものなんですが
本が見当たらない……というより、何だか。
あはは・は(泣笑)

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