勾○シリーズ『白鳥異伝』から菅流×小倶那です。
ヒロイン完全無視の腐な女性向きなので、
遠子好きな方、原作ファンの方、思いいれのある方は回避してください。
小倶那(オグナ)はひとり幕屋の中にいた。 戦となれば野営も常だが、まほろばの大王の日継の皇子(ひつぎのみこ)が将ともなれば、それなりの準備はされる。行く先々で歓待を受けたために野営は久しぶりだったが、小倶那は幕を張っただけの質素な仕切りも、地面に布を敷いただけの硬い床も気にしなかった。 鏡を前に、小倶那は下げ角髪に結った髪をとく。身につけているのは鮮やかな絹の裳(も)で、といた髪を長く垂らした彼は、自嘲に似た笑みを朱唇に浮かべた。 女装をするのはこれで二度目だ。 一度目は日牟加(ヒムカ)でクマソタケルを討ったときだった。油断させようと思ったわけでも奇襲をかけるつもりだったわけでもなく、ただ話し合いの場を持ちたかっただけだった。強硬な姿勢を崩さない敵将に近付くために、小倶那(オグナ)はまほろばの姫君に化けたのだ。 クマソタケルと呼ばれた河上彦は、女に弱いと評判だった。今度の相手もまた同じ噂を聞く。問題は相手が河上彦のような豪族ではなく、このあたりいったいを根城とする山賊たちということだった。 「――入るぞ」 幕の外から声を掛けると同時に、若い男が入ってくる。赤い髪をした長身の男に、小倶那は緊張を解いた。 「菅流」 日継の皇子であり、将である小倶那の幕屋に気安く入ってくる人間は限られている。いや、いまはたったひとりしかいない。小倶那の恩人でもある彼は兵士にすっかり溶け込み、小倶那の幕屋だけでなく、隊ですら勝手に行き来する自由人でもあった。 「ニ、三日姿が見えないと思っていたが」 小倶那が言うと、菅流(スガル)は、ああ、と返事した。 「あちこちちょっとな。様子を見て来たかったところもあ……」 勾玉の力を持つ菅流は、人とは違う空間を走ることができる。一夜にして豊葦原(とよあしはら)を縦断することも可能な彼は、突然姿を消しては、ふらりと現れることがよくあった。 「伊津母(いづも)か?」 伊津母は菅流の生まれ故郷だ。残して来た人もいる。それとも日牟加だろうか。菅流が何を探しているかは知っているが、小倶那は極力それに触れないようにしていた。 「あ、いや、伊津母じゃない……」 菅流にはめずらしく、返事は上擦り、ぽかんとして上の空に見えた。陽気で人好きのする彼は軽くもあったが、こんなふうに呆気に取られたまま、茫然と突っ立っているところを見たのははじめてだった。 「菅流?」 不審に思って首を傾げた小倶那は、菅流がまじまじと自分の顔を見ていることに、ようやく気付いた。 ああ、と気付いて苦笑する。そう言えば自分は女の格好をしていたのだ。菅流が驚くのは当然で、気が触れたと思われても仕方がないところだった。現に菅流の目は奇異なものを見たように真ん丸く開かれ、食い入るように小倶那から目を離さない。 小さく肩を竦めて、小倶那は菅流に説明した。 「この先に山賊がいるだろう? 聞けば女たちを浚っては自分のものにしているらしい。都から来た高貴な女がいると聞けば、まんまと浚いに来ると思ったのだ」 小倶那の説明に菅流は何の反応も示さなかった。言葉は左耳から右耳へ通り抜けてしまったようだ。ぴくりとも動かず、息すら忘れてしまったように、いまだ小倶那から目を外さない。 小倶那は急に不安になった。 「クマソでもしたのだ。その――宿禰の案で。そのときはうまく行ったから……」 まるで言い訳しているようだと小倶那は思う。すっかり不安になってしまった小倶那は、こそっと窺がうように菅流を見た。 「やはりおかしいだろうか。相手は山賊とは言え、地の利がある。かなりの勢力だとも聞く。兵士を失うよりは、ぼくが囮になった方がいい」 声はだんだん小さくなった。 「あの頃よりはまた背も伸びたし、騙せるとも思っていないんだ。ただ、浚われないまでもおびき寄せることができればと、そう思ったんだけど……」 叱られた子どものように、小倶那の頭はしょんぼりと項垂れて行く。 おかしいならおかしいと、菅流には笑い飛ばしてほしかった。そうすれば笑い話ですむ。いつも陽気な菅流だけに、この沈黙は苦しかった。 「おれの望みは――」 ようやく菅流が乾いた口を開いた。やっと話してくれたことがうれしくて、ぱっと小倶那は顔を上げる。 「豊葦原一の嫁をとることだ」 「そうだったな」 言葉に小倶那は目を細めた。 女好きを公言してはばからない彼は、小倶那の東征に同行する理由を、東の美女を見るためだと言っていた。豊葦原にはまだ見ぬ美女がいるというのに、それを見ずして帰れるかというのが彼の言い分だった。 女性どころか自分にすら執着を持たない小倶那が彼に惹かれるのは、菅流のこうした生命力ゆえだ。剣の主である小倶那は強い力を持ちながら、自分が形代にしかすぎないことを知っている。 菅流の言葉に思い当たって、小倶那は顔を向けた。 「山賊たちは多くの女性を浚っては妻にしているそうだ。もしかしたらその中に、おぬしが求めている女性がいるかもしれぬな」 山賊と心を通わせている女性ならともかく、浚われ、力づくで奪われた女性たちは助けを求めてもいるだろう。 そうだ、と小倶那は思った。 「山賊退治におぬしも来るか? おぬしなら玉の力ですぐに駆けつけることができるだろう。剣の力は使わないつもりでいるが、万一ということもある。もしものときは浚われた女たちをおぬしが守ってくれれば安心できる」 「まあ、それはそうだろうな」 「そうか。それなら」 「でも、その中におれの求める嫁はいないと思うぜ」 きょとんと小倶那は首を傾げた。 「女性の過去が気になるのか?」 意外だった。相手の意思さえ自分にあれば、菅流が人妻だろうが年上だろうが気にしているのを見たことがなかったからだ。いまだ女性に関心を持たない小倶那からすれば、世の男たちがこだわる何かも、いまひとつよくわかっていなかった。 「気にならないわけじゃねえけど――に比べれば小さいことだな」 天井を仰ぎ、うーんと面倒臭そうにぽりぽりと鼻の頭を掻いた菅流は、ひとりごとのように言った。 「豊葦原一の嫁が、まさか男なんて、さすがのおれも思ってなかったぜ」 |
2013.2.10