『alternative』


 目の前のその人は、戦火の中の再会と同じくヘルメットで顔がよく見えなかった。
 距離はけして近くない。それでも手を伸ばせば届くように感じるのは、そばに行くことが可能だからだ。
 意思さえあれば。
 キラは必死で涙を堪えた。
 ラクスと名乗る少女を救助したのは偶然からだ。救命ポッドの中から飛び出して来た彼女の身元は、キラにとってさほど重要なことではなかったが、人質とされた少女がアスランの婚約者ということがキラに心を決めさせた。
<――彼女は取り返す。必ずな!>
 そう言った彼の声がいまも耳に残っている。
 彼女をアスランのもとに返さなければいけない。
 そう思った。
 あのやさしい幼なじみが大切にしているであろう少女を、こんな形で拘束していいはずがない。これ以上、彼を裏切ることはできない。
 だから連れ出した。
 彼女を。アスランのもとに返すために。
「――話して」
 キラはラクスに言った。
 え?とラクスが聞き返す。
「顔が見えないでしょ? ほんとに、あなただってことわからせないと」
 キラが説明すると、少女は、そういうことですのと納得して、こんにちはとこの場にそぐわない挨拶をした。
「お久しぶりですわ」
 まるでお茶会にでも招待した人のように、明るい声が響く。
<――確認した>
 ほっとしたようなアスランの声。ヘルメット越しに、彼の緊張が解けたのもわかる。
 それに少しだけ胸が痛んだ。
 アスランはこの少女を、ほんとうに大切に思っているのだ。
 誰とでもすぐにうち解ける自分とは違って、人見知りの激しい彼の友だちは少ない。けれども、いやだからこそ、彼が一旦心を開いた相手に、どのように接するかキラは知っている。
 月ではキラだけだった。
 何でもできて、人気のあったアスランの、頑なまでの不器用さを知っていたのも、それを向けられていたのも。
『キラだけでいい……』
 キラがいればいい。
 そう言って、頑なに俯いた幼なじみを、いまもキラは覚えている。
 けれど、いまはそうじゃない。
「……なら、彼女を連れて行け」
 キラの言葉に、アスランがハッチに出て、彼女を迎えようとする。それを確認して、キラはラクスの背中を押した。
 泳ぐようにして、まっすぐアスランのもとへ向かう彼女に、キラは自分の想いを託す。自分の涙を受け止めてくれた、この不思議な少女なら、キラの想いの欠片も一緒に連れて行ってくれるような気がした。
 無事、アスランのもとに辿り着いたラクスに、ほっとして、キラは表情を弛める。それに、ふたりの顔が向けられた。
<いろいろありがとう、キラ様>
 明るいラクスの声を追うように、アスランの張りのある声が響いた。
<キラ、お前も一緒に来い!>
 キラは、ハッとして顔を上げる。
 一対の人形のように、プラントの次代の象徴とも言うべきふたりの手を取り合った姿がそこにあった。
<お前が地球軍にいる理由がどこにある!? 来い、キラ!>
 ヘルメット越しにも伝わる、アスランの真摯な目。本気で彼がそう言ってくれているのが、痛いほどよくわかる。
 もし――
 キラはほろ苦く笑った。
 もし、ここにいるのがアスランひとりだったら。アスランには、いまも自分しかいないのだと思うことができたなら、MSのパイロットが自分ひとりでなければ、キラはその手を取っていただろう。
 いまもまだ、自分だけがアスランのたったひとりであるのなら。
 けれど、いまアスランにはラクスがいる。
 キラは唇を噛み締めた。
「……僕だって君となんて戦いたくない……」
 絞り出すような声。
「でも、あの艦には守りたい人たちが――友だちがいるんだ……!」
 自分自身に言い聞かせるように、キラはその言葉を口にした。
 言葉にした拒絶に、アスランの顔が強張る。
 わかっていた。
 キラがアスランを思うように、アスランにとってもキラがいまも大切な友だちであることに変わりはない。
 その彼に、自分以外の友を選ぶと告げることが、どれほど彼の心を傷付けるか。
 傷を付けたかった。
 仲のいい幼なじみとして、いい友人としてラクスの次に置かれるより、小さくても忘れられない傷を彼に付けたかった。
『アスラン・ザラは、わたくしがいずれ結婚する方ですわ』
 ラクスから告げられた言葉が頭に響く。
 驚きと同時に訪れた淋しさが、いまもキラの心を占めて離れない。
<ならば仕方ない……>
 苦渋に満ちた、アスランの声が震えてキラに届く。
 彼は意を決したように、叫んだ。
<次に戦うときは俺がお前を討つ!>
「僕もだ……!」
 キラもまた、震える声で返した。
 彼がそう言うのなら、自分もまた同じ想いを返そう。刃を交えている間は、彼は自分だけのものなのだから。
 自分からストライクのハッチを閉め、キラは彼らから離れた。
 涙が零れそうになる。
 守りたいものと、大切なものが必ずしも一致しないことを、キラははじめて知った。
 心の中に幾つもの感情があることも。

 ジクーが近付いていた。 


2004.2.1

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