『バラと花束』


 10月のはじめ頃から、アスランの元に一輪ずつ花が届くようになった。
 花はバラで、色は様々だ。そして必ずカードがつくが、差出人の名前はアルファベットが一文字と決まっている。と言っても、毎回同じアルファベットではないから、誰かのイニシャルというわけではないらしい。
 アスランは軍人だ。差出人不明の贈り物など本来受け取れないが、アスハご用達の花屋から毎日届けられ、留守中に管理人に預けられては受け取らないわけにもいかない。念のため毎回検査に出しているが、そちらも異常はないというから、おそらく誰かのサプライズなのだろうとアスランは思っている。
 日が重なるにつれ、一輪のバラは時に複数届くようになった。今日届いたのはSと書かれたカードのピンクのバラと、Hと書かれた赤いバラ、昨日はKに黄色のバラで、その前は……。
 バスタブに突っ込んだ色とりどりのバラを見ながらシャワーを浴び、タオルで濡れた髪を掻き混ぜながら、アスランは届いたカードをベッドに並べた。
 バスタブが埋まった数だけベッドもカードで埋まっている。
 暗号か謎かけかはわからないが、さすがに三十枚ものカード=三十文字ものアルファベットとなると、いくら優秀なコーディネイターといえど簡単には解けなかった。
「問題は……」
 考えるときの癖で、アスランは口許に指をやりながら、トランプのようにカードを並び換えた。
「誰からか、ということだな」
 こんなことをしがちなのはキラかラクスだが、あのふたりならもっとわかりやすい手を使うはずだ。ふたりとも一見そんなふうには見えないが、何というかこう。
「キラは俺が気付かないと拗ねるし、ラクスは」
 つまりませんわ、と言って溜め息をつくだろう。だからキラとラクスなら、もっとこう何と言うか、自己主張というか足跡というか、自分からのプレゼントだというヒントをどこかに残して行くと思うのだが、この花たちにはそれがない。というか、自己主張が散漫すぎる。
「最初に届いたのは赤いバラにSで、次がオレンジのバラでK、その次が……何だったっけか」
 文字の色とバラの色が同じだということには最初のうちに気付いている。
「……?」
 アスランは赤い文字の色が、カードによって微妙に違うことに気付いた。そう言えば赤いバラはいちばんたくさん届いているが、少しずつ色が違うように思う。
 大股でアスランはバスルームに向かった。
 バスルームの明かりの下、バスタブの半分を埋めたバラは、ほとんど花びらを散らすこともなく元気に咲いている。しかし悲しいかな、アスランには色以外でバラの区別などつかなかった。この騒ぎで調べるまで、バラに種類があるなんてことも知らなかったくらいだ。
「やっぱりバラの色も違う…か?」
 アスランが見る限り、赤いバラは三種類あるように思う。真紅と明るい赤とピンクがかった赤。偶然か、単に花屋の都合かとも思うが、文字の色も三種類あるから意図的なようでもある。
「どういうことだ?」
 赤だけ三種類。赤といえばアスランの愛機の色だが、おそらくそれは関係ないと思われた。
 では何か?
「なんだ?」
 考えてもわからないまま、日々バラは届き、バスタブは花で埋まる。
 紫に黄色、白にオレンジ、ピンク、そして三種類の赤。
 花屋に聞いても、管理人に聞いて貰っても、カガリにカマをかけても、手掛かりはつかめないまま日は過ぎる。途中でキラに連絡を取ってみようかとも思ったが、電話に登録した名前を選んだところで、アスランは電話を切った。例え犯人がキラだとしても、とぼけられるだけだろう。
 そして迎えた29日。
「おめでとう、アスラン!」
 最初に現れたのはキラだった。
「キラ……!」
「いちばん乗りだね」
 満足そうに笑ったキラが0時きっかりに現れたことよりも、アスランを驚かせたのはキラの手の中のものだった。
「キラ、その花束……」
 紫のバラの花束を抱えたキラが、花束ごとアスランに抱きつく。
「その顔! やっぱり気付いてなかった?」
 得意げなキラの笑顔と大きなバラの花束。
 品種改良で棘のないバラは押し付けられても痛くはないが、障害物であることに変わりはない。散らばる花びらを気にしながら、アスランは抱きついてきたキラを見下ろした。
「あの花はお前の仕業だったのか」
 言葉に、くすっとキラが笑う。
「部屋に届いたバラ?」
「あ、ああ」
「そうだけど、そうじゃないよ」
「?」
「そのうちわかるよ」
 キラがそう言った、その数十分後。
「あー!」
 大きな声が通路に響いた。それはもちろんシンで、真紅のバラの花を一輪手にしている。
「あんた、おれの花買い占めといて先に……!」
「何のこと?」
 しれっとキラがすっとぼけ、シンがキラを指差して文句を言う。
「真紅のバラ買い占めたのあんただって店員さんが! だからおれ、探し回って」
「シン、そのバラ」
 アスランがバラについてシンに聞こうとするが、シンはキラへの文句に忙しいらしかった。
「しかも自分だけ花束って、なんだよそれ!」
「花束は僕だけじゃないと思うけど?」
「ルール違反だ」
「花束禁止なんてルール作った覚えないけど?」
「 しかも緑のバラが真ん中に一輪って、そんなんありかよ!」
「うーん、ごめんね?」
 えへっとか何とか。
「超むかつく……!」
 シンとキラのやり取りをおろおろ見ているだけだったアスランの部屋に、あらあらあら♪と勝手に入ってきたのは、もちろんラクス・クラインだった。後ろにはカガリもいて、それぞれピンクとオレンジのバラを手にしている。
「ラクス、カガリも」
「お誕生日おめでとう、アスラン。皆からのプレゼント、喜んでいただけました?」
 そう言って、ラクスがピンクのバラの花束を差し出す。
「皆?」
 条件反射でうっかり受け取りながら、アスランが聞いた。
 さすがにここまでくれば、バラの花がキラにシン、ラクスとカガリからのサプライズだというのは理解できたが、まだ足りないような気がする。
 そんなアスランの疑問を察したように、カガリが親指で後ろを示した。
「他にもきてるぞ、ほら」
 寮の広くはない玄関から、さらに花束が運び込まれる。黄バラの花束に明るい赤のバラ、ケーキのようにデコレーションされたピンクがかった赤いバラには青いバラが混じっている。そして羽根で飾られた、雪のような白と緑のバラのアレンジメント。
「さすがにザフト組全員が来たらまずいからな」
「白服が三人も離れるわけにはいかないしね」
「そう言えば、シンお前の服の色……」
「今頃気付いたんですか、あんた」
 カガリがウィンクし、キラが笑顔で説明して、アスランに顔を向けられた白服のシンが呆れる。
「メイリンとルナマリアからはメッセージを預かってますわ。ディアッカからはカードを。イザークからはいただけませんでしたけど」
 それでも届いた花を見れば、アレンジを気遣う程には、イザークがアスランを気に掛けていることはわかる。イザークが自分であれこれデザインを考えたとは思えないが、きれいで目を引くものを選んでくれたことくらい、アスランにも理解できた。
「君の誕生日に向けて何かできないかなーって考えたんだ。いきなりもいいけど、少しずつっていうのもいいかなって」
 キラの言葉を、ラクスが継ぐ。
「誕生部に向けて、一輪ずつ一文字ずつ贈ることにしましたの」
 が、シンにはまだ言いたいことがあったらしい。
「皆、最後の一文字を取っとくって聞いたから、おれ一輪にしたのに」
「あ、名前!」
 そこでようやくアスランは、一文字ずつ届いたアルファベットが、贈り主の名前になっていることに気付いた。
 紫のバラは「KIRA YAMATO」、真紅のバラは「SHINN ASUKA」 届いたカードを色別にして順番に並べていけば、いまここにいる人と、名前の出てきた人の名前になる。それぞれのカラーは、瞳の色か髪の色なのだろう。
「どうせなら、いっぱいカードを贈ってアスランを混乱させちゃえーって思ったんだけど」
 そう言ってキラが笑う。
「ディアッカやイザークまで参加してるとは思わなかった」
 一応、声は掛けて趣旨も伝えたが、参加するかどうかまで確かめなかったらしい。
「びっくりした?」
 皆を代表するように、キラが聞く。
「ああ、驚いた」
「うれしかった?」
「ああ、うれしいよ」
「ハッピーバースディ、アスラン!」
 再びキラが抱きつき、シンが慌ててそれを引き剥がそうとしたところに、今度は大きなケーキが届く。
「願い事をしてからローソクの火を吹き消してくださいな」
「あ、ああ」
 ラクスに促され、前に出たアスランの横でこそっとキラが聞いた。
「願いごとは決めた? アスラン」
「ああ、そうだな。来年も――」
 そこまで言うと、しっとキラの人差し指に口止めされた。
「願いごとは人に話すと叶わなくなるんだよ」
「そうか」
 いたずらっこのように笑うキラに、アスランも笑う。
 ――皆はどうしているだろう。
 去年、何となく呟いた一言をキラは覚えていたのだろう。皆を巻き込んでのこのサプライズこそが、キラからのプレゼントであることに、もうアスランも気付いている。
「さ、ローソクを吹き消してくださいな」
 来年もこうして皆と会えればいい。――戦場以外で。
 かつては望むことも許されなかった願い事を胸に描いて、アスランはローソクの火を吹き消した。
  

2010.11.3

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