「あ、はい。……ですね、わかりました」
切れ切れに聞こえる声はキラ・ヤマトのものだ。そう認識したディアッカは声の方――食堂の入口へと顔を向けた。
相手はエンディミリオンの鷹と呼ばれた元地球軍のエースパイロットらしいが、ディアッカから顔は見えない。キラにしたところで、見えるのは後ろ姿半分だけだ。
食堂の中にいるディアッカから見えるのは、入口付近でぼーっと突っ立っているアスランの、間抜けた横顔だけだった。
「何やってんだ、アイツ」
ディアッカは不思議に思ってひとりごちる。
どう見てもアスランは、キラとフラガの立ち話に参加しているようには思えない。ただ、ぼんやりとふたりの話が終わるのを待っている、そんな顔だ。
子どもじゃあるまいし。
ディアッカはそう思う。小さな子どもや集団で行動する女の子でもないのに、アスランは母親に連れられた子どもか飼い主を待つ犬のように、手持ち無沙汰にその場で突っ立っているだけだ。
「……でさ」
「いますぐですか?」
「うーん、悪いね」
そういうやり取りがあって、キラがアスランの方に振り返った。
一瞬だけアスランの横顔に浮かんで消える色。
「じゃあ、先にいっててくれる?」
「……ああ」
いつものように連れ立って食事に来たところを呼び止められ、キラだけが呼ばれて行ってしまったらしい。アスランはキラと別れ、ひとりで食堂に入って来た。
めずらしいことではないが、めずらしいものを見たとディアッカは思う。食堂へ入ってきたアスランは、どう見てもぼんやりと沈んだ顔をしていたからだ。
犬か、お前は。
ディアッカは小さく息をついた。
キラが顔を向けた途端アスランに起こった小さな変化を、ディアッカは見逃さなかった。
そうとはわからないくらいやわらいだ、目許と口許と肩の力。
犬なら尻尾が揺れて、ぽしぽし床を掃いていたことだろう。
いや、“ぽし”くらいだったかもしれない。それはキラも気付かなかったくらい、一瞬で消えてしまったから。そのキラが離れた途端、アスランの頭が萎れ、表情が沈んだのだ。
なんてわかりやすい……。
少し前まで気にも留めなかったことが気になり出してから、いろんなことが見えてきた。
アカデミーにいた頃は、クールビューティだのアイスドールだの言われ、同じチームになってからも表情の乏しいヤツだと思っていたけれど、それは目に見える変化がわかりにくいというだけで、彼なりの変化はきちんとあるらしい。もっとも、それを本人が気付いているかどうかは、また別の話ではあるが。
ぼんやりしたままアスランは食事のトレイを受け取り、ディアッカに気付いて近付いてきた。いつものことだ。
アスランの表情が、またも微妙に変わる。
ディアッカの自惚れでなければ、喜か嬉に分類される表情だと思われるが、彼はどうしたわけか少し迷ってから、ひとつ手前の席で止まった。
「……おい」
ディアッカは呆れてアスランを呼ぶ。
「なんだ?」
わかっているのかいないのか。相変わらずきょとんとした顔を向けてくるアスランに、ディアッカは、はあーと大きく息をついた。
「何で、わざわざ遠くに座るわけ?」
あ……と声をあげたアスランが、困ったような戸惑ったような顔をする。
ひとりの時はそばにいろ。
自覚のない淋しがりやなアスランに、ディアッカがそう言ったのは先日のことだ。言ってから今日がはじめての同席となる――はずだった。
が、しかし。
アスランは迷った末、わざわざいつもよりひとつ離れた席についたのだ。これはどうしたわけだと、ディアッカでなくても思うだろう、思うはずだ。
そんなディアッカの疑問に、アスランは困ったように俯き、どうしたわけか項を赤くした。
「おい……」
さすがにこれにはディアッカも驚いて、それ以上の言葉を失う。
「その、すまない……」
目を逸らし、小さくなって自分の方を見ようともしないアスランを、ディアッカは何事かと思う。
「ちょ……アスラン……?」
「いや、その、ごめん」
「ごめんって」
ディアッカは茫然とした。
一方的に赤くなり、目を逸らして俯くばかりのアスランなんて、なんていうかこれではまるで、はじめて異性を意識して恥ずかしがってる女の子ではないか。
いまどき幼年学校にだって、こんな天然記念物みたいなガキはいねえぞと呆れ、同時に意識されたことでディアッカまでぎこちなくなった。
テーブルのこちらとあちらで、視線を合わせもせずにぎくしゃく真っ赤になってるなんて、何かありましたと白状しているみたいなものだ。
しかし白状する罪状が見当たらない場合はどうすればいいんだと、ディアッカは天井を仰ぐ。
男なんてバカな生き物だから、こんなことがあれば自分に気があるのではないかと疑うところだが、相手がアスランでは気がある以前の問題だ。意識されているのは確かだろうが。
「…………」
「…………」
居心地の悪い沈黙が重なって、ディアッカは頭を抱え、何でこんなことで悶々としなきゃならんのだと開き直る。いい加減バカバカしくなってイスにふんぞり返ると、ようやくアスランが口を開いた。
「…………その」
「なんだよ」
「何を話したらいいんだ……?」
──は?
ディアッカの心情を漢字一字で表現するとすれば、まさに「呆」
文字通り呆気に取られ、ディアッカは呆然とアスランを見た。
まさかコイツはこんなことで固まっていたとでもいうのだろうか。何を話していいかわからない、そんなことで。
「……お前ってバカ?」
この程度のことで固まるなんて、いったいどんな旧式のコンピュータなんだと言いたくなる。それとも、それほどコイツにとっては難問だったとでもいうのだろうか。
ふーっと大きく息を吐いてディアッカが言うと、さすがにムッとしたのか、拗ねたような顔で上目遣いに睨んできた。
「……知ってる」
唇を尖らせ、憮然と答えるさまはまるで子どもだ。
こんな顔もできたのかと思うとおかしくて、ディアッカは苦笑した。
自分がバカだと自覚しているのもおかしいが、それを睨みながら認めるのもいかにもアスランらしい。
石頭の負けず嫌いが。
でも悪くない。
フンと鼻先で笑い、立ち上がったディアッカは、アスランの隣までイスを引きずり、またいで座った。
「食べろよ。冷めちまう」
「あ? ああ」
「食べ終わるまでいてやるからさ」
ここでウィンクひとつ。
「あ……」
再び俯いてしまったアスランの唇から小さな感謝の言葉が洩れるのを、ディアッカは聞き逃さなかった。
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