『二度目の約束』


 もっとも合法的な人殺しである戦争は、民族、或いは国家という単位で、悪い熱に浮かされているみたいなものだ。
 その戦争が終結し熱が冷めると、人は己れを省みて犯人を捜し始める。人は罪の意識を感じたとき、誰かがその罪を背負い、裁かれなければ安心できない生き物だからだ。
 クライン派のアイリーン・カナーバの提言により終結するに至った戦争は、戦後、ザラ派の議員・軍人たちを戦犯とした。本来ならば真っ先に裁かれるはずのパトリック・ザラ元最高評議会議長は討たれ、いまその筆頭にあるのはエザリア・ジュールということになる。
 イザークは母に付き添ってアプリリウスにいた。自宅はマテウス市にあるが、イザークはともかく、エザリアは帰宅を許されていない。しかしエザリアの地位と立場を考慮して、拘留先はアプリリウスのオフィスとなった。
 母のオフィスのソファで仮眠を取っていたイザークは、ドアの開く気配に目を開けた。
 母が戻ってきたのだろうか。
 事情徴収や弁護士との接見で、兵に囲まれて出ていくたび母の疲労は濃くなっていく。母の背を越してから数年たつが、気が強く、いつも自信に溢れた母を小さいと感じたのは最近になってからだ。そんな母を支えたくて側にいるが、母が崩れた姿をイザークに見せたのは一度だけだった。
「イザーク」
 名を呼ばれ、顔を向ける。
「お前か……」
 イザークは苦笑した。
 よく知る顔だった。だが、ここにはいるはずのない顔だ。
「どうしてお前がここにいる、アスラン?」
 名を呼ばれ、呼ばれた当人は少しだけ困ったような顔をした。
 イザークは苦い笑みで口許を歪める。
 自分はそんなに酷い顔をしているのだろうか。コイツにこんな顔をさせてしまうほどに。
 ザフトの赤服を着ていないアスランは、イザークが知る彼より印象が薄く、以前よりずっと幼く見えた。
 もともとその華々しい経歴に似合わず控えめな男ではあったが、存在感に疑問を感じたことは一度もない。なのにこの頼りなさはどうしたことだろう。彼は居場所をなくして、居心地悪そうに佇んでいる。
 何も言わないアスランに多少の苦笑を滲ませながら、ああ、そうだったなと今更ながらイザークは思い至った。もともとコイツは、言葉を口にするのがへたくそだった。
 国防委員長の息子で母親は科学者。小さい頃から月へ留学していて、成績は総合トップ。おまけに婚約者は、あのラクス・クライン。
 目も眩むような経歴を持ちながら、どういう育ち方をしたものか、アスランは人との接し方がうまくない。そのため誤解を招きやすく、孤独に陥りやすかった。
 イザークはその筆頭とも言うべき存在で、アカデミーでは犬猿の仲で有名だった。それが変わったのは、アスランがストライクを討ってからだ。
 わだかまりがなくなったわけではない。それでもニコルを亡くし、ディアッカの消息も不明だったあのとき、イザークにいちばん近いところにいたのはこの男だった。部下にしてやると言ったのは、イザークなりにアスランを認めた故だ。
 何も言わないイザークに困ったのか、アスランが何度も何か言いかけようとしてはやめる。
 いったいどんな言葉を捜しているのか興味がわいて、イザークはわざと何も言わずにいた。
「その……」
 ようやくアスランが見付け出してきた言葉は、ある意味アスランらしくてイザークの苦笑を誘った。
「帰るよ」
 そう言って、本当に踵を返す。
 アスランの言葉に嘘はない。立ち上がり、二歩でアスランに追いついたイザークは、その手を掴んだ。
「オレに会いに来たんだろうが」
 目を逸らし、唇を噤んだ顔が困惑に揺れている。
 アスランの父は被疑者不在のまま裁かれ、戦犯とされた。すでに亡いから刑を受けることはなく、アスランの戦功により全財産を没収されることはなかったが、アスランはそれを放棄してオーブに残った。
 本来はここにいないはずなのだ。父母の墓はあるが中はなく、待っている人もない。それでもわざわざここに来たのは何のためか。
「――今日は何日だ?」
 少し前に気付いたことを、わざとイザークはアスランに聞いた。
 アスランは憮然として答える。
「……10月29日……」
「覚えていたのか」
 破顔したイザークはアスランを抱き締め、アスランが肩の力を抜いた。
「お前が覚えてるとは思わなかった」
「約束したから」
 あれはいつだったか。
 一度だけ肌を重ねたあとだ。ストライクを討って、特務隊に行くことが決まったコイツをカーペンタリアで見送った、あの日。
 どうしてそんな話になったのかは覚えていない。肌を重ねはしたが、愛だの恋だの甘ったるい関係ではなかったはずだ。だが、どうした気まぐれか、イザークはアスランの誕生日に会おうと言った。
 それまで生きてろ、死ぬなという意味ではあっただろうが、それなら部下にしてやるだけで充分だったはずだ。何にしても、あんな気まぐれを覚えていて、しかもわざわざ約束を果たしに来たなど、いかにも律儀なアスランらしいと言える。
「バカが」
 イザークはアスランの痩せた身体を抱き締め、その髪に顔を埋めた。
 あのときは、この世界にたったふたりだけのような気がした。
 事実上、解散となったザラ隊。再編成され、自分たちの居場所がなくなったクルーゼ隊。
 だがいまアスランには帰る場所があり、イザークにも部下がいる。
「イザーク……」
 抱いたのはたった一度だけだ。けが人だというのに、やさしくもしてやらなかった。なのにコイツは忘れなかったとでも言うのだろうか。
 たった一度だけ、気まぐれの振りをして。
 あのときよりもずっとやさしくしてやるつもりだったキスは、いつの間にか激しいものになった。けなげに応えようとするアスランの舌がおずおずとして、息を詰めているのがわかる。その不慣れな不器用さをうれしいと感じるのは、あれ以来、アスランには誰も触れていないと確信したからだ。
「アスラン」
 名を呼ぶと、熱に潤んだ目がイザークを見上げてくる。
「お前、あのフリーダムのパイロットはどうした」
 キラ・ヤマトというアスランの幼なじみが、コイツをどう思っているかなど一目でわかる。
 困ったように眉を曇らせたアスランは、目を伏せて俯いた。
 ふん、とイザークは鼻先で笑う。
 ライバルが手強いほど燃えるというものだ。誰も欲しがらないものを手に入れて何になる?
「――上等だ」
 イザークはひとりごち、アスランを抱き上げた。
「い、いざーく!?」
「ここでやりたいのか?」
 オレはかまわんと続けると、アスランが赤くなっておとなしくなる。
「決めるのはお前だ」
 約束を果たすためだけではなく、自分の気持ちを確かめに来たであろうアスランに、イザークは口許に刻んだ笑みを見せる。
 そして、もう一つ。おそらくはアスランがいちばん気に掛けているであろうことから、解放してやるべく口を開いた。
「――母のことなら心配はいらない」
 イザークの戦功と周りの嘆願で、政治家としての地位は失うだろうが、さほどの刑罰には至らないだろう。ザラ元議長が独裁だった故の、皮肉にして幸運な結果と言える。
「そうか……」
 安堵した声。
 よかったとも、すまないともアスランは言わず、ただ首に回した腕が、ぎゅっとイザークを強く抱き締めた。 


2003.11.17

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