年の暮れは、どこもかもがせわしなく、いそがしい。元旦がハウメア神の祝日とされるオーブも例外ではなく、アスランも施設の大掃除に駆り出されている。
キラの母のカリダがいつもきれいにしているが、大掃除というからには、手の届かない棚の上や後ろ、いつもは見逃しがちな細かいところまで丁寧に埃をはらい、汚れを拭き取るのだという。子どもたちも走り回って大活躍だ。
掃除が済んだ頃にはキッチンから温かな湯気といい匂いが洩れてきて、カリダが「できましたよー」と皆を呼んだ。
「行こうか」
キラに促され、アスランもそれに続く。年越しそばというものらしい。賑やかに囲んだテーブルで、キラが明日の予定を聞いた。
「明日はどうするの? アスラン」
「特に予定はないな」
「じゃあ、泊まっていったら?」
施設もアスハも軍の寮も出たいま、アスランは一人暮らしだ。アスランは特に淋しいと思ったことはなかったが、キラは何かというと気にかけてくれている。
アスランは笑みで友に返した。
「いや、今日は帰るよ」
「何か約束でもあるの?」
「そういうわけではないんだが」
そう、特に約束したわけではない。ただ可能性があるだけで。
「ふーん」
いまひとつ納得していない顔のキラに送り出され、アスランはアパートに戻った。
あと数時間で新年だというのに、部屋にはまだ小さなツリーが飾ってある。イブに来てクリスマスに帰った年下の恋人が、空港で買ってくれたものだ。
見送るアスランに彼は言った。
『来年も一緒に祝いましょう』
『ずいぶん気が早いな』
苦笑はしたが、笑って一年先の約束ができる世界をアスランはうれしいと思う。
『あんた、約束しないとどこに行ってるかわかんないじゃないですか』
彼が拗ねていたのは、イブで帰りが遅かったせいだ。
上着を脱いで、詰まった襟を弛めた。
一週間前のキスマークはまだ完全に消えていない。つけた犯人はカーペンタリアからジブラルダルへと移動して、今日はどこにいると言っただろうか。時差も考えずに電話してくるから、いまひとつ頭に入っていないことが多い。
電話が鳴った。
自然に笑みが浮かぶ。
部屋にいることを確かめたいのか、ときどき恥ずかしいことを言うせいか、彼が携帯にかけてくることはあまりない。
「――はい」
出るとここ一週間、毎日見る顔が現れた。知らず綻ぶ口許をアスランはまるで自覚していない。
<アスランさん>
電話の向こうから、犬がしっぽを振るような笑顔が向けられる。アスランもまた彼の名を呼んだ。
「シン」
声が甘く掠れたような気がして、慌てて気を引き締める。
「どうかしたのか?」
何があるわけでもないことをアスランは知っている。シンはただアスランを確かめたいだけだ。アスランの声を顔を、その目で。アスランがそうであるように。
<どこか行ってたんですか?>
「よくわかったな」
素直に感心すると、おもしろくないと言った顔で種明かしをされた。
<上着出てます>」
シンの視線を追って振り向いた先に、椅子の背に掛けたままの上着があった。アスランは視線を戻す。
「施設に行ってた。大掃除の手伝いとそれから」
<それから?>
「年越しそばを食べたぞ」
<あんたが?>
「おかしいか?」
<おかしくはないですけど、ピンと来ない>
「ひどいな」
他愛のない会話。口下手な自分が、こんなふうに会話をたのしんでいることを不思議に思う。
「そっちはどうだ? そろそろ出張も終わりなんじゃないのか」
聞くと、そうなんですよとシンが言う。
<今日で終わりましたから、明日はそっちに行きます>
え?とアスランは目を瞬いた。
「こっちって……」
<休暇も貰いましたから三が日は一緒にいられます>
とっさのことに言葉を失くす。
<初詣行きましょう>
「あ、ああ」
<うれしくないんですか>
「そんなことはない。でも何も用意してないから……」
わかっていれば、いろいろ買っておけたのに。
元旦はオーブの祭りだから、この日に食べる料理や飾るものなどいろいろあるらしい。
カリダが忙しく準備していたあれこれを思い出し、どうしてシンが来るという可能性を考えておかなかったのかとアスランは思う。
クリスマスと同じようにふたりで祝う正月。イブもクリスマスも何もできなかったから、知っていれば少しは準備もできたのに。
<そんなのどうでもいいです>
きっぱりシンは言うが、アスランはそうもいかない。
「しかし」
<そんなことより、いまそっちは何時です?>
カウントダウンでもするのだろうか。
時差があるのに。
そんなことを思いながら、アスランは時計を見た。
「11時54分だな」
あと数分で今年も終わる。
<え? もうそんな時間?>
「ああ」
やばっとか、マズイという声がして、突然、電話の画面がぷつりと切れた。
「シン!」
黒くなった画面と、ツーという受話器。呆然とアスランは画面を見つめるが、軍の仕事で来ているシンに、こちらからかけなおすこともできない。
「シン……」
事故や攻撃でないことは確かだ。一方的に切られはしたが、へんなノイズが入っていたわけではなく、画面に乱れもなかった。シンの操作ミスかとも思ったが、数分たってもかかってこないことを思うと、それも違うようだ。
故障だろうか。
アスランが少し落ち着かなくなった頃、携帯が鳴った。着信音が相手をおしえてくれる。慌ててアスランは携帯を取った。
「シン!」
<わ、びっくりした>
その声にほっとして、アスランは力を抜いた。
「びっくりしたのはこっちだ。急に切れて」
<すみません。あの、ところでアスランさん>
「なんだ」
<窓に寄ってもらえます?>
空気が澄むこの季節は、星もきれいだ。
いつかと同じように、ふたりで空を見るのだろうか。
いつだったか、やはりシンが地球に来たとき、ふたりで同じように空を見上げて、電話のこちらとあちらで何が見えるか言い合ったことがあった。
「月が出てるな」
闇に穴をあけたように、欠けた月がぽっかりと浮かんでいる。
<きれいですね>
「ああ」
そう答え、答えたあと、何かがアスランの中で引っ掛かった。
――きれい?
まさか。
アスランは慌てて下を見る。アパートの下、クリスマスにはイルミネーションで飾られていた木の横に、手を振る人影があった。
街灯に浮かぶ髪は黒。瞳の色はわからないが、アスランが彼を見間違えるはずもない。
<びっくりしました? このまま初詣に行きましょう、アスランさん。……って、聞いてます? アスランさん??> 頭でそうだと確信するより先に、アスランは駆け出していた。
Happy New Year!
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