『もしかしたら、こんな脱走』


 いま見た光景をメイリンは反芻した。
 デュランダル議長がザラ隊長を拘束。と言うか、無理やり部屋に引きずり込んだようにしか見えない。しかもザラ隊長の衣服は乱れていた──ように見える。
「どうしよう……」
 足は内股、右手は躊躇いがちに口許という、よくあるポーズでメイリンは廊下に立ち尽くす。
 タリア艦長から議長への言付けを頼まれて来たのに、これではノックをしていいかどうかわからない。お取り込み中なら、まずいに決まっている。
 とはいうものの、隊長は嫌がっていたようでもあるし、艦長の用もわざわざメイリンに頼むくらいだから急ぎのはずだ。
 いったい、どうすれば──
 ぴん。
 夢は寿退社、狙うは玉の輿。エリートと肩書きが大好物のメイリン・ホークはひらめいた。
 最高評議会議長夫人=最高の玉の輿。
 貧しい生まれから大統領夫人に登り詰めた女性や、昔の皇帝の寵妃となった娘の中には、積極的な夜這いで成功したものもあると聞く。
 ここはひとつ隊長の身代わりとなるのはどうだろう。
 もちろん夜這いうんぬんがうまく行くとは思っていないが、議長に顔と名前を覚えてもらうきっかけくらいにはなるはずだ。しかもアスランにも借りを作るというダブルのおいしさ。
 大きく息を吸い込み、メイリンはかつて城であったという重厚なホテルのドアをノックした。
「デュランダル議長」
『……なんだね』
 お取り込み中なのだろうか。ややあってから議長の声がした。メイリンは冷静を装って答える。
「グラディス艦長がお時間をいただきたいと」
『タリアが?』
 議長の声が少し大きくなった。
「はい。お話したいことがあるそうです」
『少し時間を貰えるかね』
「はい」 
 待つことしばし。何事もなかったように涼しい顔で現れた議長に、メイリンは言った。
「ご案内します」



 数分後。落とし物を取りに来たという名目で、メイリンは侵入を果たした。もともと議長の部屋はフロア全体を貸し切っているから、フロアにさえ入ってしまえば警備もさほどのことはない。アスランのこともあって人払いもしてあったから、ことは思ったより簡単に進んだ。
「ザラ隊長!」
 広いインペリアルスィート。いちばん奥にある寝室に彼はいた。
 後ろ手に縛られ、猿ぐつわまではめられたスタンダードな格好で、キングサイズのベッドに横たわっている。衣服の乱れはあるが脱がされてはいないから、貞操の方は「まだ」大丈夫だろう。
「大丈夫ですか」
 手の拘束を何とかしようとしていたのだろう。乱れた息のせいで肩が上下している。猿ぐつわを取ると、彼が大きく息を吐いた。布に擦られたせいか、唇が紅い。
「──大丈夫だ。君は?」
「メイリンです。メイリン・ホーク。ミネルバのMS通信管制を担当しています。姉がいつもお世話になっていて」
「いや、俺の方こそ彼女にはいつも助けられているよ。それよりどうして君はここへ?」
「艦長から議長への言付けを頼まれて来たんですけど、そのときに、その」
 濁した言葉の先を察して、アスランは項を染めた。
「……見苦しいところを見せてしまったな」
 困ったように微苦笑を滲ませる、端正な横顔。小柄なメイリンから彼はいつも見上げる位置にいるが、こうして目線を合わせると、彼の線が男にしては細く、きゃしゃであることがわかる。
 議長の気持ちわかるかも。
 そんなことを思いながら、議長とアスランがくっつかれても困るメイリンは、初志を貫徹すべく口を開いた。
「いえ、それより早くここから出られた方が」
 しばらくは戻って来ないだろうが、時間があって困ることはない。
「いまなら警備も手薄です。議長は隊長のことを何もおっしゃっていなかったから、たぶんそのまま出られると思います。さ、早く」
「ありがとう。え? ちょっと、君?!」
 言うなり気前よく上着を脱いだメイリンに、アスランが驚いて目を見開いた。
「わたしが囮になりますから」
「囮?」
「わたしのことは心配しないで。隊長に襲われた、あ、いえ、被害者ということにすれば大丈夫です。隊長を悪ものにしてしまいますけど」
 メイリンがあらかじめ考えていた計画を口にすると、アスランが形のいい眉を曇らせた。
「それはかまわないが、ここに来たことはどうやって説明するんだ?」
「え?」
「へたをすれば侵入罪だろう」
 廊下や部屋の前ならまだ説明もつくが、議長の部屋の中にまで入ったとなれば言い訳できない。あやしい声が聞こえてとか、拘束をといたアスランに襲われてとも考えたが、防音設備は完ぺき、自力で拘束をといたアスランがわざわざ女の子を縛って置いていくというのも苦しすぎる。
 不覚。そこまで考えていなかった。
 メイリンの計画ではアスランを助けて借りを作り、自分はここでアスランの代わりに縛られて議長を待つ。言い訳はアスランが逃亡する際に襲われたで、下着姿の弱々しい姿で悩殺準備もばっちりだ。
 とはいえ、議長がそのまま自分に手を出すとも思っていない。しかし名前と顔は覚えて貰えるうえ、共通の秘密まで持つことができる。議長が同性愛者ならカムフラージュ結婚という奥の手もある。取り敢えず第一段階クリア。いまはそれだけで充分のはずだった。
 が──ふと気付けば我が身が危うい。
 まずい。
 隊長の貞操より自分の立場だ。今更アスランにこれはなかったことにしてくれとも言えず、メイリンは沈黙する。アスランの拘束をとく前なら見なかったことにするのも可能だろうが、拘束をといてしまったいまとなっては、縛り直そうにもフェイス相手に勝てる戦いとも思われない。
 メイリンがどうしたものかと考えていると、アスランが手を伸ばした。
「君も一緒に」
「ええ!?」
「ここに残るよりはいいだろう。さあ」
「あのっ」
 メイリン・ホーク、15歳。自分が計算間違いを起こしたことに気付いたときには、すでにいろいろ遅かった。

2005.6.25

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