父のこと、プラントのこと、地球のこと。
ようやくオーブに戻って来ても、ほっとすることはない。アスランの心は重く沈んで、目に見えない何かに押し潰されそうになる。もう何度、溜め息をついたかわからない。
人が息をつくのは、少しでも重い胸のうちから何かを吐き出したいからだ。そんなことを考えながらシャワーを浴びたアスランは、もう一度服を着て車を出した。
行き先は知っている。疲れてはいるがかまわなかった。どうしようもなくキラの顔が見たかった。
途中の海岸でキラを見付け、車の中でいろいろ話した。
アーモリーワンでのこと、ユニウスセブンでのこと──これからのこと。
辛くないと言えば嘘になる。それでもキラといると少しは安らぐようで、アスランは苦く笑った。
「すまない。こんな話ばかりで」
避難したときのことや、これからのこと。キラの話を聞くつもりで来たのに、聞いて貰ってばかりだ。
「ううん」
自分が使っている部屋にアスランを招いた幼なじみは、今日は泊まって行くんでしょ?とやさしく笑んだ。
「いや、届けてないから」
軍の施設にいるから、外泊は事前に届け出なければならない決まりになっている。
生真面目なアスランらしい言葉に、キラがいたずらな笑みを刷いた。
「大丈夫だよ」
ね?
意味ありげな顔。キラが言わんとしていることは知っている。だが、アスランにはやはり抵抗があった。
「いや、そういうわけには」
「ひとりで眠れるの?」
そう言ったキラがアスランの頬を右手で包み込むように触れてきた。やさしい指にすがってしまいそうになる。
「アスランはすぐに我慢しちゃうから」
「キラ……」
「青い顔して。眠れてないんでしょ?」
「そんなことは」
ないと言うと、クスッと笑う。
「僕は眠れなかったよ」
頬にあった指が髪を梳く。
「お帰り、アスラン」
髪を弄んでいた手が首に落ちて、肩を滑る。そのまま、ぎゅっと抱きしめられたら、もう息もできなくなった。
キラの匂い。二年のうちに少しだけアスランに追いついた身長と同じくらい、キラの腕は大きくなったような気がする。ずっと自分が守って行くと思っていた幼なじみは、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。
「シャワーまで浴びて来ておいて、帰るなんて言わないでよ」
こんなにいい匂いさせて。
「き……」
唇が塞がれ、声が途切れる。そのあとは、意識も思考も何もかもが熱に飲まれていった。
瞼の奥をやさしい光が刺激する。傍らには心地よい重みと温もりがあって、アスランは満ち足りた笑みを唇に浮かべた。
そうだった。昨日はあのまま泊まってしまったのだ。昨夜、たくさんのキスをくれたキラは、眠らせてあげるという言葉の通りやさしかった。
覚醒しきっていない頭を振り、重い瞼を開けると目の前にキラの顔がある。人肌が心地いいとおしえてくれた幼なじみは、知らないうちに男の顔をするようになった。
「……おはよう、アスラン」
「起きてたのか」
「うん」
そう言ったキラに引き寄せられ、抱きしめられる。
「寒いでしょ?」
「いや……」
けれども肩は新しく与えられた温もりを喜び、心は安堵の息を吐く。身体だけではなく、心が弱っているときにも温めるという行為は有効らしい。
しかし、そんな心地よいまどろみは、ラクスのノックによって中断された。
「キラ、アスラン……」
控え目な声ではあったが、それだけにアスランの身体は強張った。しかし、こういうことには大らかにできているらしいキラは、平気な顔でベッドの中から、何?と聞く。
「たいへんですの、アレックスが」
その名前にふたりは顔を見合わせ、起きあがった。
さらにラクスの言葉は続く。
「プラントに向かったそうですわ」
「どうしてそんなことになったのさ、カガリ」
電話のこちら側でキラの声が低く、低く響く。完全に怒っている声だ。
『だから、ごめんってあやまっているじゃないか!』
対するカガリの声は甲高く、彼女の動揺が見て取れる。心なしか顔も赤い。それに気付いたキラの目が眇められ、声がさらに低くなった。
「──何があったのさ?」
『な、なにって……』
「アレックスに何をしたのさ?」
『人聞きの悪いこと言うな! アイツが勝手に──』
「ふーん?」
『その、指輪を……』
気の強い姉にはめずらしく言いよどむ。しかも真っ赤になって俯くというおまけ付きだ。
キラは、これみよがしに息をついた。
「だからいやだったんだ、アレックスの脳をいじるの」
ボソッと言葉を落とし、ま、だいたい想像はつくけどね、と付け加える。
これにはムッとしたらしい。カガリはムッとした顔のまま反論した。
『いいじゃないか、これくらい。アスランを諦めたんだからアレックスくらいくれたって』
しかしけなげとも言える姉の反論は、正論を吐く弟にばっさり切り捨てられた。
「職権乱用だよ、カガリ。だいたいカガリがアスランに心配ばっかり掛けるから、アレックスが必要になったんじゃないか。そのアレックスを暴走させてどうすんのさ。 またアスランに倒れられたいの、カガリは」
『う……』
カガリが言葉を詰まらせ、ようやく訪れた話の切れ目に、横から姉弟喧嘩を見守っていたアスランが口を挟む。
「さっきから、まったく話が見えないのだが」
戸惑い顔のアスランに、おっとりとラクスが答えた。
「アレックスはカガリさんに指輪を贈ったみたいですわね」
「は!?」
「そんなことよりアレックスを止めなくていいんですの?」
おっとりと砂糖菓子のような甘い声で怖ろしいセリフ吐く。
「このままではモルゲンレーテの機密がプラントに漏れてしまいますわ」
急いで車に乗り込んだキラとアスランを見送ったのは、優雅に手を振るラクスだった。さすがにまだ子どもたちの姿はない。それに応える暇もなく、車は発進した。
目指すは復興されたカグヤだ。シャトルが出る前に、何としてもアレックスを掴まえなければならない。
湾岸道路で加速すると、助手席に座ったキラが口を開いた。
「──アスランたちがアーモリーワンに行ってる間に、アレックスをメンテナンスに出したってのは知ってるよね」
頷いたアスランの脳裏を、モニターの中で縮こまっていたカガリの姿が掠める。メンテナンスに出せと言ったのは彼女だ。
「そのときにカガリのたっての希望で、回路をちょっといじったってわけ。AIっていうか、主にソフト、思考パターンだけどね」
AI──人工知能。いくつかの心理テストを行い、基本の思考パターンを入力後、しばらくともに生活すれば、人工知能はその人間の行動パターンと思考パターンを学び、よりその人に近い判断をするようになる。この人ならこの場合、こういう言動をするだろうという予測プログラムだ。
さらにはアレックス。
モルゲンレーテの技術の粋を集めた最高傑作、アレックス・ディノ。アスランそっくりに作られた機械の人形に、アスランの思考パターンを入れて完成したアスラン・ザラのレプリカは、昨夜アスランの替わりに軍に戻り、今朝アスランに替わってアスハ邸に向かったらしい。
そこまでは予定のうちだった。昨夜、キラのもとに泊まったアスランの替わりに、キラが指示した通りだ。ところがだ。自分自身で考え、行動できるアレックスは、カガリが予定時刻を過ぎて現れたために、自分で判断、次ぎの行動に出たらしい。
「まあ、プラントに行くっていうのはアスランも考えそうなことだからいいんだけど、問題はそのあと」
キラは不機嫌な顔を隠そうともせずに、言葉を継いだ。
「カガリの希望通り、ウィンター奏鳴曲の主人公の行動パターンを入れたから、カガリ、アレックスを止めるどころじゃなくなったらしくて」
「やっぱりよくわからないのだが」
「いいよ、わかんなくて。問題はアレックスの行動より、カガリが骨抜きにされて止められなかったことなんだから」
まあ、アレックスのプログラムは修正するけどね。
そう言って、座った目で正面を見据える。
「だいたい、アスランと同じ顔の人形が誰かといるってだけでいやなのに」
文句を言うキラに、アスランは笑んだ。
「でも、そのおかげでキラといる時間が増えただろ」
「それはそうだけど」
「アレックスについては少し複雑な気持ちもあるが、その点は感謝してるよ、俺は」
「アスラン……」
カガリがオーブの代表になってから、アスランの心労はずいぶん増えた。その負担を少しでも軽減しようとして作られたアレックスの制作には、もちろんキラも協力している。
「シャトルには間に合いそうだ」
大きなカーブをやり過ごすと、視界が開け、マスドライバーが見えてくる。
安心させるように告げたアスランに、キラもまた笑みで返した。
その言葉通り追いつき、アレックスと入れ替わることに成功を果たしたアスランが、そのまま「何故か」プラントに向かう羽目になったのは、この一時間後のことである。
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